ド底辺サラリーマンの夢の叶え方

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一遍ってどんな人?彼から学べる教訓【執着を捨てる】


Hatena

ども!

歴史好きなライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!

 

歴史は繰り返すと言われます。

歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)

 

シリーズ77人目は、鎌倉仏教の時宗を開いた「一遍」です!

 

鎌倉仏教のひとつ「時宗」。

浄土宗や浄土真宗と同じで、念仏を唱える他力本願(願えば阿弥陀様が救ってくれる)の宗派です。

特徴的なのが「踊念仏」という踊りながら念仏を唱えること。

極楽浄土の恍惚感を皆で味わうということをしていました。なんだかパリピみたいですね・・・笑

 

一遍上人は、書物も残さず、お寺も立てず、終いには妻も子も捨てて仏の道を究めようとしました。

 

今でいう究極のミニマリスト(笑)

 

一遍ってどんな人?

一遍から学べる教訓は?

 

これらを書いていきます。

一遍上人の生涯を知ると、「執着を捨てる大切さ」がわかります。

 

一遍上人の『時宗』は浄土宗、浄土真宗と同じ念仏をとなえる宗派で、この2つがベースとなっていますので浄土宗と浄土真宗について「よくわからん!」という人は、以下の記事で開祖の法然と親鸞の生涯と教えをざっくりまとめていますので、もし宜しければ^ ^

 

 

 

 

 

 

 

(約5分で読めます)

一遍ってどんな人?          

     一遍上人


母の死をキッカケに仏の道へ

一遍上人は、鎌倉時代後期に武士の家に生まれました。

10歳の頃、母親が亡くなってしまい、父の指示で仏の道を歩むことになります。

同じく鎌倉仏教の浄土宗開祖の法然、浄土真宗開祖の親鸞も10歳ごろに親を亡くして仏の道へ歩むのですが、こうした共通点があるんですね。

 

愛媛県の生まれですが、九州の太宰府の聖達(しょうだつ)上人という方のもとで修業をします。

聖達上人は浄土仏教だったので、ここで後の時宗のベースが出来上がっていくんですね。

 

 

 

出家したが、一度、普通の人に戻る

10年ちょっと浄土教を学んでいましたが、25歳のとき、 父の訃報をきき、仏の道から普通の人に戻ります。

家業を継ぐためでした。

 

僧侶の考え方はありつつも、家族と一緒に暮らしたり世俗として生きていました。

ただ、その8年後にまた出家し直しています。 

長野の善光寺に訪れました。

そしてふるさとの伊予でも籠って念仏を唱える日々を過ごし、その語、一遍上人の特徴でもある「遊行」を開始します。

 

 

踊念仏で布教

30歳過ぎ頃、「南無阿弥陀仏」を唱えて布教する全国行脚を開始します。

「南無阿弥陀仏」と書いてあるお札の『賦算(ふさん)』を配って庶民に広めていきました。 

東北から九州まで、もちろん当時は歩きで、回っていたのです。 

 

鎌倉時代の最初の頃の仏教は、まだまだ貴族だけのものだったのですが、親鸞の浄土真宗で一般庶民にも広まり、さらに一遍の遊行で全国に広まっていった感じでしょうか。

 

この頃から『時宗』と名乗り始めます。(元々、一遍+複数のお弟子さんたちで回っていたので『時衆』と呼ばれていました)

『時』という言葉が使われているのは、『臨命終時(りんみょうじゅうじ)』が由来と言われていて「今生きている時がいつも最後だと思いなさい」ということから来ています。

 

スティーブ・ジョブズの言葉も同じですね(・`д・´)

 

 

『賦算(ふさん)』を配り、踊りながら念仏を唱える『踊念仏』で仏教を広めていきました。

 

『南無阿弥陀仏』を唱えるだけで極楽浄土に行けるという『他力本願』は、庶民に受け入れられていきました。

鎌倉時代は武家の争いや戦争も多かったので、こうした救いの教えはすんなり庶民になじんでいったんですね。

 

特に「踊りながら」っていうのも楽しみながら(?)仏教を学べたんではないでしょうか(笑)

 

「踊りながら念仏を唱えると極楽浄土の恍惚感を味わえる」というトランス状態を味わっていたそう。なんだかクラブみたいですね(笑)

 

こうして、仏教を広めていった一遍上人は51歳で亡くなるまで仏教を布教し続けていました。

 

 

 

 

 

執着は捨てるべき     

自由


一遍上人は、何もかも捨てたことから「捨て聖(ひじり)」と呼ばれていました。

 

遊行していたので、家もなく、途中奥さんや子供ともお別れしました。

ただ、家族はほったらかしにしたわけではなく、信頼できる人に預けたそうですが。

 

それでもこうして人付き合いも捨てて生きていたのです。

書物もあったそうですが、亡くなる前に焼いてしまったそう。

 

一遍上人はお寺も建立しませんでした。

 

さけば先ちらばおのれとちる花の ことわりにこそ身はなりにけれ 

 

「咲く時がくれば咲いて、散る時がくれば散る。花と自然の道理が私の生き方である。」

という意味。

 

流れに身を任せ、感じたままに感じ、全てを受け止め生きていたのです。

そのためには、何か物を持ってることって足枷になりますよね。

 

例えば、海外に住みたくなったのに、日本に自分のお店を持っていたら住めないですし、

家にたくさんものがあったら今より小さい家に引っ越せないですし

 

物も人間関係も仕事も持ちすぎてると動きづらくなります。

 

一遍上人は、生涯通じて仏教を広めようと、そして全国行脚もかなり険しい道だったので、奥さんと子どもを連れて行くわけにはいかないと思ったのではないかと僕は個人的に感じています。

 

執着を手放すことが身軽になれて、やりたいことやれるようになるのです。

 

一遍から学べる教訓

勉強


 

一遍上人から学べる教訓は、「執着は捨てなさい」ということ。

 

一遍上人が家族もいてお寺もあったら全国行脚なんて出来なかったでしょう。

現代に置き換えた時でも、ここまで極端でなくていいですが、身軽になっておくことをオススメします。

 

それは必ずしもモノであるかはわかりません。

「固定概念」「価値観」などの目に見えない部分かもしれません。

 

一遍上人は「南無阿弥陀仏だけ唱えてればいい!」とひとつのことに集中していました。

執着を捨てる大切さを教えてくれます。

 

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

ではまた。

ざす。