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本記事では、鎌倉仏教について、ざっくり大まかな内容だけ触れていきます。
鎌倉仏教というのはその名の通り鎌倉時代に興った仏教ですが、浄土宗や浄土真宗、日蓮宗など未だに信仰する人の多い宗教です。
連綿と受け継がれる日本の仏教がどのようにして生まれたのか、そしてどんな教えなのか、をまとめていきます。
日本人で一番信仰者が多い宗教は仏教です。日本人の教養として、仏教のことは知っておいた方がいいと思いますので、ざっくりポイントのみ知りたい方にオススメの記事です。
(約10分で読めます)
鎌倉仏教はどうやって生まれたか?
日本への仏教の伝来
仏教はそもそも「仏陀(ブッダ)の教え」という意味ですが、ブッダは紀元前5世紀くらいに生まれました。
日本に伝わったのはその1,000年後の5世紀半ば。朝鮮半島の「百済(くだら)」という国から伝わりました。
ざっくり聖徳太子が生きていた頃で、聖徳太子も仏教の布教に力を入れていました。
最澄と空海の登場
そして、日本の仏教の発展のキッカケとなる人が現れます。
それが『最澄』と『空海』が現れます。
ここでは詳細は省きますが、最澄が開いた天台宗が鎌倉仏教のベースとなり、京都にある総本山の比叡山延暦寺は出家する人がこぞって修行する場所になっていきます。
仏教と政治の癒着
しかし、奈良時代末期には仏教の政治への癒着が目立ちます。
特に道鏡という僧侶は朝廷にすり寄って天皇にすらなろうとしてました。
当時は「俺は僧侶になる!」といえば誰でもなれる時代だったので、権力に飢えている者の政治との癒着が横行していたのです。
そんなとき、平安時代の桓武天皇は、僧になるための決まりをつくり、仏教を保護。誰にでも簡単になれるものではなくもっと崇高なものにしたのです。
そして、仏教は平安時代には国家運営に向けたものでしたが、だんだんと庶民にも伝わっていき、鎌倉仏教が生まれていきます。
鎌倉仏教の始まり
鎌倉仏教は、浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗の6つあります。
これらについて一連の流れを書いていきます。
浄土宗
浄土宗は鎌倉仏教の中でも一番歴史があります。
開祖は法然という人物で、平安時代の後期、1133年、現在の岡山県で生まれました。
父は地方の役所の人物だったのですが、領土問題で他の役人に夜襲をかけられ、殺害されてしまいます。
しかし、その父は「あだ討ちはさらなる恨みを生むだけだ。勇気を出してその連鎖を断ち切れ。そして仏の道に進み、万民が救われる教えを求めよ」と復讐は止めるように法然を説得。
この遺言から法然は仏になる道を選びます。
わずか10歳のころでした。
12歳の頃には比叡山延暦寺に修行に入ります。比叡山延暦寺は、天台宗の総本山。先ほど言ったように、最澄の開いた天台宗が僧になる人の憧れだったのです。
比叡山に入山しわずか2年ほどで師匠から「もう教えることはない」とまで言われます。ただ、修行は続け24歳で下山しますが、その頃には法然はエリート中のエリートで有名になっていました。
しかし、それでも、「これだ!」と納得できる教えに出会えず苦悩の日々。
いろんなお寺の僧侶に教えを乞うたりしたそうですが、それでもダメで、出家してからなんと苦節30年。。
ついに43歳になったとき、法然上人が納得できる教えに出会うことができました。
中国の唐時代の高僧・善導大師という方の書物を読み、「阿弥陀仏を唱えれば誰でも救われる」という教えに法然上人は感銘を受けて、これを布教する活動をします。
そして、「南無阿弥陀仏」と一心に念じれば誰でも救われるという浄土宗を開きました。
「願うだけで救われる」という浄土宗の考えは当時の庶民にも貴族にも広まっていきました。「誰でもどんな身分の人でも念じれば救われる」という受け入れやすさが広まった理由でしょう。
こうして浄土宗は、平安末期1175年に開かれました。
鎌倉幕府が開かれる20年くらい前ですね。
「念仏を唱えれば救われる」という浄土宗の教えは他の鎌倉仏教のベースにもなります。
法然に学んだ親鸞が浄土真宗を開き、日蓮が法華経をベースに日蓮宗という新しい仏教も作りました。
今なお600万人以上の信者が浄土宗にはいます。
法然上人が長い年月をかけて大成した宗教は日本の人々の心に根付いたのです。
浄土真宗
浄土真宗の開祖は親鸞。彼は、1173年生まれです。
9歳の頃に父親を亡くし、出家することを誓い、仏の道へ。
親鸞の師匠の法然も、10歳の頃に父親の死がキッカケで出家してたので非常に似ていますね。
法然は親鸞が生まれたちょうど40年前に生まれています。
9歳のとき、親鸞も比叡山延暦寺に修行に入ります。
29歳になると下山し、法然と出会います。「誰でも念仏を唱えれば阿弥陀様が救ってくれる」という法然の教えに非常に感銘を受け、弟子入り。
親鸞が開いた浄土真宗は、基本的な考え方は浄土宗とまったく同じです。法然の浄土宗をより深めて広めていったという感じです。
ちなみに、親鸞は自分を「非僧非俗」と名乗り、「僧でもない、俗人でもない」人として生きていました。
それは、僧侶には禁止されていた肉食もしたり、普通に結婚もしたりしていたからだそうです。
時宗
時宗は、一遍上人という人が開祖。
時宗は、浄土宗や浄土真宗と同じで、念仏を唱える他力本願(願えば阿弥陀様が救ってくれる)の宗派です。
一遍は、浄土宗を開いた法然のほぼ100年後に生まれているので、すでにあった浄土宗と浄土真宗をベースとしてそれをさらに庶民に広めていったのです。
特徴的なのが「踊念仏」という踊りながら念仏を唱えること。それを日本全国歩き回って布教したそうです。
「極楽浄土の恍惚感を皆で味わう」ということが目的とのこと。
なんだかパリピみたいですね・・・笑
日蓮宗
日蓮聖人は、1222年の鎌倉時代の中期に今の千葉県に生まれました。先ほど紹介した一遍上人とほぼ同年代。
鎌倉時代は、初めて「幕府」というものが作られた武士の時代です。
武士なので争いが絶えません。そんな困難な時代に生きていました。
浄土宗をはじめ、念仏を唱えれば救われるという仏教が広まっていったのも混乱の世の中だったからかもしれませんね。
12歳の頃に親元を離れ天台宗のお寺で仏教の修行をします。
4年間、寝る間も惜しんで勉強していました。
日蓮聖人は、「なぜ仏教を説くお坊さんはたくさんいて、素晴らしい仏教の教えもあるのに争いがなくならないんだ?」という疑問を抱いていました。
それが彼の仏教を極めようというモチベーションに繋がっていたのです。
4年間勉強して16歳になると出家します。
出家した後も学びはやめません。
鎌倉へ遊学(≒留学)したり、また京都へ行き天台宗の総本山の比叡山へも修行をしに行きます。
奈良のお寺でも学んだり、とにかく自分が納得できる教えを見つけるまで勉強しまくっていました。
そして、10年ほどの歳月が流れ、日蓮聖人は「お釈迦様の教えの中で法華経こそ人々を救える唯一の教えだ」という結論に至ります。法華経とは、お釈迦様を信仰しており、浄土宗や浄土真宗は阿弥陀様を信仰しているので信仰の対象が違います。なので、日蓮は法然の考えとは異なる考えだったということです。(阿弥陀様はお釈迦様の師匠と言われています)
12歳の頃から学んでいた千葉の鴨川にある「清澄山」にて朝日を見ながら題目である「南無妙法蓮華経」と唱え、事実上、「日蓮宗」を開きました。このとき32歳でした。
日蓮聖人は結構ズバズバ言うタイプだったからか、飢饉や災害が多かった鎌倉時代を、「こうなってるのは政治や宗教が良くないからだ」とストレートに政治を批判。
これが許されるわけもなく、伊豆に島流しにされたりします。
また、すでに広まっていってた「浄土宗」への批判もしていました。
「あんなもん信じちゃいけない!」と、法華経を大切にする自身の日蓮宗こそが世の中を救えると説いたのです。
臨済宗
臨済宗の開祖は栄西。
彼は、平安時代の後半の1141年に今の岡山県に生まれました。浄土宗を開いた法然と同じ故郷で、年代も近しいです。
父親は神社の職員だったそうで、その関係から仏教に興味があったのかもしれません。
1154年の13歳の頃、天台宗のお寺で仏教を学び始めました。
彼が開いたのは、座禅を組む「禅宗」ですので「念仏を唱えれば救われる」という他力本願の浄土宗とかとはまた違う教えの宗派です。
栄西は、天台宗を学んでいるうちに貴族や身分の高いものが仏教を利用して金儲けしたり、私物化していることに嫌気がさします。
そして、今の日本の仏教を見限った栄西は中国(当時は宋)に向かい勉強を始めます。
約半年くらい留学していたところ、当時の宋では「禅宗」が流行っていたことがわかり、この「禅宗」に天台宗を立て直すヒントがあるだろうと考えていたのです。
日本に帰国した栄西は「禅宗」を広める活動をしていましたが、京都の貴族らには批判されていきます。
しかし、京都の貴族がダメなら鎌倉の武士たちに。
この方針転換は成功し、臨済宗は一気に広まりました。
時の権力者である北条政子や源頼家に伝えたところ、臨済宗を支持してくれました。
そして鎌倉の武士たちの間に広まっていったのです。
広まった理由は法然の浄土宗と同じで、山や寺に修行に行かずにできる「簡単さ」からだと言われています。
ただ、浄土宗と大きな違いは、『自力』なところ。
「念仏を唱えれば極楽浄土にいける」という『他力本願』な浄土宗に比べ、臨済宗は自分で坐禅をして仏の境地に達することを目指す『自力』となります。
曹洞宗
曹洞宗は、臨済宗と同じく禅を組むという禅宗のひとつ。
開祖は道元で、1200年に京都の貴族の家の元に生まれたエリートでした。
しかし、父を3歳で亡くし、8歳の時には母も亡くしてしまいます。
悲しみに暮れ、この世の儚さを感じ、仏教の道を歩むことを決め14歳で出家します。
他の鎌倉仏教を作った法然上人、一遍上人も同じく親を亡くしたことを機に仏教の道を歩まれています。
身近な人の死が、キッカケになることが多いんでしょう。
道元が生まれる前から「禅宗」を中国から取り入れて発展させていた栄西の臨済宗を学びます。
日本で「禅宗」を学んで修行していた道元禅師。
あるとき「宋の国にお釈迦様の座禅を正しく伝える禅の教えがあるから学んで来たらどうか」とアドバイスをもらい、栄西も訪れた宋に行くことを決意。
栄西の弟子と宋へ渡りました。
そこで、生涯の師匠である如浄禅師(にょじょうぜんし)という人物と出会います。
あるとき、お寺で如浄禅師とお弟子さんたちが座禅を組んでいました。そのとき居眠りをした弟子がいたそうで、如浄禅師が一喝。
「居眠りするとは何事か!心身脱落でなければならん!」
この『心身脱落(しんじんだつらく)』という言葉は道元の教えを代表する言葉となります。
身も心も本来の姿に戻ること。あらゆる自我という意識を捨てるということです。
居眠りをする=寝たいという欲望が出てきているので、悟りの境地に行けるはずもないというのがこのお叱りの内容です。
すべての心身の執着を捨て去り、ただひたすらに座禅をする。
このことそのものが悟りだと道元は気づき、悟りを開いたと言われています。
道元禅師は、如浄禅師の教えを日本に持ち帰りました。
そして『正法眼蔵』『現成公案』という本を出し、「心身脱落」「只管打坐(しかんたざ)」という考え方が弟子たちを中心に広まっていきました。
「只管打坐」とは、「ただひたすらに座禅をすること」
同じ禅宗でも、曹洞宗と臨済宗の違いはざっくり言うと、禅のやり方です。今言ったように、曹洞宗はひたすら黙って座禅を組むというやり方。臨済宗は、公案という問答を繰り返すというやり方です。なぞかけみたいなもので、一休さんが有名ですが一休さんも臨済宗の僧だったのです。
鎌倉仏教まとめ
以上、ざっくり鎌倉仏教の始まった経緯や、それぞれの内容を書きました。
政治との癒着により腐敗した平安時代の仏教を空海と最澄という天才が現れ変えていきました。
そしてそれを受け継いだ鎌倉仏教。武士の戦乱の時代に庶民の心の拠り所になったことで急激に広まっていきます。
現在では、無宗教のご家庭も多いと思いますが、菩提寺(自分の家が代々お墓を建てているお寺のこと)というものがある人はルーツを調べてみると面白いかもしれません。
僕は葬儀の時「南無阿弥陀仏」と唱えたので浄土宗か浄土真宗だったのかな、と今思い出されます。少し調べてみようかな。
日本人が一番人口数が多いのは仏教。その仏教の歴史は基本的な教養として知っておきましょう!
それぞれの仏教についてもう少し詳しく知りたい方は以下の記事に書いてあります(^^♪
開祖した人に特化した記事ですが、どんな想いで宗教を開き、その方の生涯からどういう教訓が得られるかまとめています。
法然ってどんな人?彼から学べる教訓【謙虚さこそが成長のカギ】 - まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ (kkenichi.com)
親鸞ってどんな人?彼から学べる教訓【絶望したときの立ち直り方】 - まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ (kkenichi.com)
一遍ってどんな人?彼から学べる教訓【執着を捨てる】 - まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ (kkenichi.com)
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ざす。