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まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ

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親鸞ってどんな人?彼から学べる教訓【絶望したときの立ち直り方】


Hatena

ども!

ライフコーチのけんいちです!

 

『まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ』へようこそ。

このブログではライフコーチの観点から心が楽になる考え方をシェアしたり、オススメの本や映画の紹介をしたりしています。

このブログを通して知らなかったコトやモノに出会え、新たな世界が開けるかも?!

 

僕は歴史が大好きなのですが、日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
シリーズ76人目は、日本の仏教の宗派の1つ浄土真宗を開いた「親鸞」です!
 
鎌倉仏教の代表的な浄土真宗。
浄土宗を開いた法然の考え方をより深めて独自の教えを広めていきました。
 
親鸞聖人は、自分のことを「凡夫=平凡な普通の人」と呼び、とにかく謙虚でおられました。

 

そんな中、「こんな自分でさえ救われる教えがあるはずだ」というのが、浄土真宗の「悪人正機」などの考え方に繋がります。


「悪人正機」とは、「善人が救われるなら悪人も救われるはずだ」という教え。
一見すると理解できなさそうですが、そこには親鸞聖人の想いがあるのです。

 

親鸞聖人の生涯と言動を知ると、「絶望したときの立ち直り方」を理解することができます。

 

 

 

(約5分で読めます)

親鸞ってどんな人?          

       親鸞


父の死をキッカケに仏の道へ

 

親鸞は、1173年生まれ。

9歳の頃に父親を亡くし、出家することを誓い、仏の道へ。

 

親鸞の師匠の法然も、10歳の頃に父親の死がキッカケで出家してたので非常に似ていますね。

法然は親鸞が生まれたちょうど40年前に生まれています。

 

9歳で京都の比叡山延暦寺に修行に入ります。

比叡山延暦寺は、「天台宗」の総本山。

平安時代に最澄が開いた「天台宗」は今の仏教のベースとなっています。

 

その総本山で修行し、29歳になると下山し、法然と出会います。

 

 

法然に弟子入り

 

「誰でも念仏を唱えれば阿弥陀様が救ってくれる」という法然の教えに非常に感銘を受け、弟子入りします。

 

親鸞は自分のことを凡夫=平凡な普通の人だと言っていました。

その理由は、僧侶は性交渉が禁止されていたのですが、親鸞には好きな女性がいたのです。

 

「自分は僧侶としての教えすら守れない俗世間に生きる普通の人間なんだ」

と蔑んでいたそうです。

 

そんなときに法然の言葉が親鸞を救いました。

 

「僧侶ではあるけれど、好きな女性と結婚したい」と親鸞は法然に相談したところ、

法然は「お前が念仏を唱えるのに役に立つと思うなら結婚したら良いじゃないか」と言ったそうです。

この言葉に親鸞は涙を流しました。

 

そして、自分を「非僧非俗」と名乗り、「僧でもない、俗人でもない」人として生きることにします。

 

その後、僧侶には禁止されていた肉食もしたそうで、当時の仏教の戒律を破っていったのです。

その考えは現代にも引き継がれています。

 

浄土真宗は今までの仏教とは違う新しい仏教でした。

僧侶なんだけど人間らしさが感じられる親鸞聖人のこうした人柄に僕は惚れました(笑)

 

 

 

 

ひたすらに人の幸せを願った

 

親鸞が生きた時代は激動の時代でした。

天皇中心の平安時代の政治が終わり、武士が台頭してきた鎌倉時代が始まります。

 

平氏と源氏の争いもあったり、庶民も巻き込んだ戦がたくさんあったりしました。

 

そんな中だからこそ、「人が幸せになるためにはどうしたらいいんだ?」と考えるようになっていったのではないでしょうか。

 

「自分は凡人だ」と思っていた親鸞聖人に、「阿弥陀様へ願えば誰でも救われる」という教えは響いたのだと思います。

 

今までの仏教を否定するような考え方だったので法然や親鸞は流刑に処さられることもありました。

 

流刑で流されたときでもその場で教えを広めていきました。

 

亡くなる90歳までただひたすらに人の幸せを願っていたのです。

 

 

 

 

 

 

絶望したときの立ち直り方

     瞑想


親鸞聖人は、法然師匠に結婚を認めてもらったことなどがキッカケで「誰でも人は救われる」という教えが本当に人の幸せに通ずるものだと確信したのではないでしょうか。

 

親鸞聖人の教えの浄土真宗には「悪人正機」という考え方があります。

 

善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。

 

一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

訳すると「善人でさえ救われる、まして悪人はなおさらである。」という意味。

 

「悪い人の方が救われるの?」と勘違いしてしまいそうですがそうではありません。

この「悪人」とは、悪いことを行う人のことだけを指しているのではなく、「煩悩にまみれている人」全般のこと。

 

阿弥陀様はどんな人でも救ってくれるために悟りを開いたのだから、「善人が救われるのであれば、煩悩にまみれて苦しんでる人こそ救われるんだ」という意味なのです。

 

これならしっくりきますよね(^^)

 

 

「悪人正機」という考え方は多くの人を救いました。

 

現に、今でも浄土真宗として残っています。(浄土真宗は、親鸞聖人が開いたというわけではなく死後に弟子が教団として残したため浄土真宗として残りました)

 

「絶望したって救われる」という考え方は現代でもとても大切だと思います。

これは「あるがままの自分を受け入れる」ことにも繋がると僕は考えます。

 

別に無宗教の人に「神頼みするべきだ!」と言ってるわけではありません。

実際に僕も無宗教ですし。

 

「どんな煩悩を抱えた人でも救われる」という事はこのよう生きるすべての人を受け入れるという考え方だと僕は解釈してます。

 

人にはその数だけ価値観や考え方があります。

絶望したときには、「絶望する必要なんてないよ」と僕は言いたいです。

親鸞聖人の教えを学び、またこうした考え方が深まりました。

 

 

 

 

 

親鸞から学べる教訓

勉強


 

親鸞聖人から学べる教訓は、「絶望しても誰でも救われる」ということ。

 

「自分は凡人なんだ」「僧侶の規律も守れないような人なんだ」と自分を卑下していた親鸞聖人を救ったのは法然師匠の説く新しい仏教でした。

 

どんな煩悩を持った人でも救われるという「悪人正機」という考え方。

僕なりに現代版に言い換えると「どんな人間だってあるがままでいいんだ」ということかなと考えています。

 

絶望したときの立ち直り方として、自分を肯定するクセを身につけていきましょう。

仏教はそんな思考を持てるようになるためにも勉強になります。

 

 

親鸞聖人の教えをもっと知りたい人は、その弟子がまとめた『歎異抄』がオススメ。

以下は、まんがでわかりやすいですので、まずはまんがで読めるシリーズで内容を把握できます(^^♪

 

親鸞の師匠、法然についても以下の記事でまとめていますので、もし宜しければ(^^♪

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

ではまた。

ざす。