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日本史から学べる教訓 vol.3 藤原道長【リーダーに必要な素質】


Hatena

ども!

 

ド底辺サラリーマンのけんいちです!

 

 

歴史の人物から学べる事はたくさんあります。

 

日本史大好き人間の僕が歴史上の人物から現代でも活かせるエッセンスをピックアップしてご紹介します。

 

歴史が苦手な人でも読みやすく書いていますのでぜひ(^^♪

 

 

 

本記事で第3弾になります!

 

過去記事はコチラ↓

 

www.kkenichi.com

 

 

www.kkenichi.com

 

 

 

本日は平安時代に栄華を極めた藤原道長です!!

 

 

(約5分で読めます)

 

藤原道長ってどんな人?

藤原道長

 

 

藤原道長は日本史の授業では必ず名前を聞く人物ですよね。

 

 

平安時代の代表的人物といっても過言ではありません。

 

平安時代後半の966年に生まれ、1027年に病気で亡くなっています。

 

 

栄華を極めた藤原道長ですが、最初からエリートコースであったわけではないんです。

 

 

『藤原』という姓は645年の『大化の改新』で活躍した藤原鎌足から始まった血筋で、その藤原鎌足の息子の藤原不比等という人物が当時の天皇の文武天皇や聖武天皇に自分の娘を嫁がせて、自分が政治の実権を握っていたのです。

 

 

 

 

 

藤原道長もその子孫なので血筋は超エリートです。

 

 

藤原家は藤原不比等の息子4人がそれぞれ『北家』『南家』『式家』『京家』という4つの家系に分かれていきました。

 

その『北家』の子孫が藤原道長です。

 

この藤原四家の中でも最終的に生き残るのは『北家』のみ。

 

 

藤原北家が摂関政治でブイブイいわせていました。

 

 

摂関政治とは、摂政・関白の頭文字を取って名付けられた政治で、
摂政とは天皇が子供だったり病弱だったりした際に、代わりに政治を行う役職です。
関白とは天皇が成人になったあと政治をサポートする役職です。

 

藤原四家は自分の娘を天皇の后にし、自分は親せきとして摂政や関白で実質的に政治の実権を握り自分の思うがままに世の中を動かしていたのです。

 

また、その間に生まれた息子を天皇にしたりとしていて、藤原家は他のどの一族も歯が立たないくらい権力を増していきました。

 

そんなエリート家系でしたが、藤原道長は藤原兼家の五男として生まれます。

 

長男、次男もエリートだったため、五番目となると出世の可能性はとても低く、ここまで権力を持つことになるとは思われていませんでした。

 

いくら才能があっても当時は生まれた順番にはかないません。

 

 

しかし、運がいいことに長男、次男が相次いで病死し、長男の息子との権力争いにも勝ち、藤原道長は頂点を取ることができたのです。

 

 

 

そして道長が藤原北家の頂点の時、一条天皇→三条天皇→後一条天皇と3代連続天皇に自分の娘を嫁がせました。

道長は子だくさんだったのでこれが可能だったのです。

 

 

もうこの頃には誰にも藤原道長を止めることはできません。

 

戦国時代の天下統一と同じようなニュアンスではないでしょうか。

一家三后なんて当時は他に類を見ません。

 

 

もう笑いの止まらない道長は、自分の娘が後一条天皇の后になり一家三后が実現した1018年の10月に宴会であの有名な歌を詠みました。

 

 

この世をば

我が世とぞ思ふ

望月の

欠けたることも

なしと思へば

 

 

この日は満月だったようです。

『この世は俺のためにあるようなものだ。満月が欠けることがないのと同じように完璧なのだから』というような意味です。

 

ちなみに2018年11月にはこの歌を詠んでからピッタリ千年が経ったとニュースになってましたね。

 

この歌からは傲慢さがうかがえますが、頂点に君臨した人だからこそ詠める歌ですね。

 

 

・兄貴たちが病死した

・娘たちを次々に天皇の后にした

 

 

このことによって藤原道長は頂点に立つことができたのですが、もうひとつリーダーになるための素質が道長にはあったと僕は思います。

 

 

 

自分への自信と負けん気がリーダーへの素質

ファイティングポーズをする女性

 

 

藤原道長と同じ年に生まれた超天才がいました。

 

 

藤原公任(きんとう)という人物です。

 

 

藤原公任は和歌・漢詩・管弦・武術に長けている超エリートでした。

そして天皇の家系で血筋もサラブレッド。

 

 

今でいうと勉強もできてスポーツもできて、芸術の才能もあり、親も超優秀みたいななんでもできるスーパーマン。

 

当時は紫式部や清少納言などがいた時代で、歌や物語などが発展し『文化の時代』だったんですがその中でも超優秀だったのが藤原公任でした。

 

藤原公任と紫式部は恋仲だったともいわれています。

 

 

また、天皇が選ぶ勅撰和歌集の『拾遺和歌集』という詩集には歌人の中で最多の15首が選ばれています。

 

今でいうと、オリコンヒットチャートを総なめといったところでしょうか(笑)

 

それでいて勉学も政治もできる。

 

 

 

そんな公任に対して道長の親は息子たちの前で「公任は優秀すぎて、うちの息子たちは影すら踏むことはできないなぁ(=歯が立たないなぁ)」と嘆いたそうです。

 

 

なんともひどい親ですね(笑)

 

 

この言葉に長男も次男も、公任が優秀なのは痛いほど知っているので言い返すことができませんでした。

 

 

しかし道長は、

「父さん、影なんていわず顔面を踏んでやりますよ」

と言ってのけたそうです。

 

 

道長が頂点に君臨する事ができたのは、長男、次男が病死して運が良かっただけではなく、こうした『自分への自信』や『絶対負けない』という負けん気があったからではないでしょうか。

 

 

 

藤原道長から学べる教訓

ペンとノート

 

 

藤原道長は詠んだ歌からも『傲慢だ』と思われている節はありますが、それくらいでないと頂点に立ちリーダーになることはできないんではないでしょうか。

 

 

藤原道長の性格からは、

・運が舞い込んだ時にそれを最大限に活かす

・自分への自信と負けん気を持つ

というリーダーに必要な素質を学ぶことができます。

 

 

自分への自信とブレないビジョンがあったからこそ、道長は栄華を極めることができたのです。

 

 

 

僕も絶対的な自信を持って目標に向かって精進していきたいと思いました!

 

 

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

 

ではまた。

ざす。