ども!
歴史好きなライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!
歴史は繰り返すと言われます。
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)
シリーズ67人目は、平安時代後期に活躍し、戦が得意だった「平将門」です!
彼の首塚が東京の大手町にありますが、何度も立て壊そうと工事していると、作業者が事故死するなど、何かと『祟り』としても恐れられていますよね。
恐れられている彼ですが、地元の人からはヒーローのように評価されています。
そんな彼の生涯とそこから学べる教訓を書きました。
平将門って何をした人?
平将門から学べる教訓は?
これらのことをざっくりと5分でわかるように解説していきます^^♪
(約5分で読めます)
平将門って何した人?
描かれた平将門は怖いですね・・・
それだけ恐れられていたってことでしょう。
桓武天皇の子孫で平安京に仕える
平将門は、903年、現在の千葉県に生まれたとされています。
(生年も生まれた場所も不詳なのであくまで説ですが)
平将門は、桓武天皇の子孫にあたります。
非常に戦が強く勇猛な武将だったと言われています。
彼は、15歳位の頃に平安京の藤原氏に仕えるようになりました。
彼は出世欲が強く、役職を望んでましたが位を授かることが出来ませんでした。
そのことに不満を持っていたようです。
後に平将門は朝敵となりますがこれも朝廷に不信感を持ったキッカケだったのかもしれません。
親戚内の内乱に巻き込まれる
そして、地元の関東の方では、親戚内で内乱が起きます。
当時は長男が世襲するという習わしは定まってなかったため、平将門の父親が領地のことで兄弟と争っており、将門にとって叔父にあたる平国香という人物が、父を退けて領土を拡大していました。
それに怒った平将門は、平国香を滅ぼします。
その平国香の息子、平貞盛とは永遠のライバルとなります。
平貞盛軍を破る
ライバルである平貞盛と戦うことになりますが、平将門がめちゃくちゃ強かったそうです。
将門は馬に乗りながら弓を放つ騎馬隊を基本としていました。
当時、馬に乗って戦をするといっても馬に乗りながら戦うことはあまりしてなかったようです。
のちの鎌倉時代の元寇のときにモンゴル軍の騎馬隊に、日本がめちゃくちゃにやられたところを見ても、騎馬隊に不慣れなことはわかります。
しかし、平将門は部下に馬に乗りながら弓を放つ訓練などをして騎馬隊として育て上げていました。
そんな平将門に勝てず、いとこでライバルの平貞盛は、ほうほうのていでなんとか逃げます。
「新皇」と名乗り国を立ち上げる
負けて逃げた平貞盛は、朝廷に「平将門は裏切り者だ」とチクります。
その後すぐに、朝廷から派遣された受領の横暴な対応に苦しめられていた地元の関東の人々を平将門は助ける形で間に入りました。
しかしこのとき、国府(国の政治をする人がいる場所)攻撃を仕掛けたため「朝敵」とされてしまいました。
「こうなったら後に引けない」と今の関東一体である坂東と呼ばれるエリア八つの国を自分の国とし、「俺が新しい天皇だ!」と「新皇」を名乗りました。
要は、もうひとつ国を作ったのです。
しかし、これを朝廷が許すわけもなく、戦いが始まります。
それが「平将門の乱」です。
自分の名前が戦いの名前に付いちゃうのってすごいですよね。。
しかし、その戦では、部下の軍隊がたまたま別の要件で将門のそばにおらず、手薄で挑むことになりました。
相手方にはライバルの平貞盛と、藤原秀郷という人物がいましたが、平将門は放たれた矢が頭に突き刺さり、討ち死にしました。
このとき勝利した平貞盛は、平清盛の先祖、藤原秀郷は栄華を極めた奥州藤原氏の先祖にあたります。
歴史に「もしも」はないですが、平将門が多くの軍勢を引き連れ、騎馬戦で戦って勝っていたとしたら。。
歴史は大きく変わっていましたね。
人のために立ち上がるべし
平将門は、「逆賊」「朝敵」と言われていましたが、そもそも暴利を貪っていた国司から国民を守るために立ち上がったんです。
勇猛な性格だったというのもあり、黙っていられなかったのでしょう。
結局は、朝廷側に討ち取られてしまいますが、今でも英雄と崇められているのは、こうした平将門の行動があってのことでしょう。
彼が、朝廷を裏切ったとは言え、実際に関東の八つの国をも従えて天皇と名乗ることができたのはやはり人民の心を惹きつけることができたからではないでしょうか。
何事にもリーダーや人を引っ張る立場の人は、当たり前かもしれませんが、一緒に行動してくれる部下やチームの仲間のことを第一に考えるべきなのです。
平将門から学べる教訓
平将門から学べる教訓は「人のために立ち上がるべし」ということ。
彼は、朝廷という自分より立場の上の存在に歯向いました。でも、それは坂東の国の人のためでした。
今に置き換えると、会社において、課長がチームのために社長に意見をしっかり述べるといった感じでしょうか。
チームの仲間や部下はリーダーの背中を見ています。
チームを良くするためであれば、上の立場の人にでもしっかり意見を述べること。
人のために立ち上がるときは立ち上がることを平将門は教えてくれます。
ちなみに、彼は矢で刺されて死んだ後、介錯され、首を京都に持っていかれて晒し首にされましたが、数日目を開けたまま「俺の体はどこだ?持って来い。また戦おうぜ」と言っていたそうです。
もちろんそんな話はあり得ませんが、それだけ恐れられていたという言い伝えなんでしょう。
今でも大手町に首塚がありますが、この首塚を壊そうとした工事現場の人が不安な死を遂げたりしています。
2020年の東京オリンピックのために再開発されるときも、この首塚のある場所だけそっくり対象外になったそうです、、、
そんな勇猛で後世にも恐れられている平将門については、以下の本でもっと詳しく学べます。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた。
ざす。