ども!
ド底辺サラリーマンのけんいちです!
僕は日本史・歴史が大好きなんですが、日本史の偉人から学べることってたくさんあるなーと。
そんなこんなで前回の記事で勝手にシリーズ化した『日本史から学べる教訓』の第2弾を書きたいと思います!
今回の記事は僕の大好きな人です!!
それは坂本龍馬です!!
(約4分で読めます)
坂本龍馬ってどんな人?
坂本龍馬は歴史上の人物の中でもその人気はトップクラスではないでしょうか?!
僕も一番好きです!!
「薩長同盟」とか「海援隊」とか「〜ぜよ」という口調とか、日本史まったくわからなくても坂本龍馬にまつわる話は色々と聞いたことあるものばかりですよね。
坂本龍馬は、今の高知県の土佐藩に生まれます。
彼が生きた時代の幕末は、戦乱の世でした。
260年以上続いている江戸幕府の勢力も衰えてきて、色々な藩が戦争を起こし覇権争いをしていました。
坂本龍馬は、ちょうど江戸に行っていたときにペリー来航という出来事を体験。
海外の進んだ技術や考え方などに触れ、「鎖国なんてしてたら日本はダメになってしまう!」と尊王攘夷に傾倒していきます。
当時、海外かぶれなんて命を狙われるような考え方でした。
それでも、日本を変えたい!という高い志を持つ龍馬は荒んだ江戸幕府を倒すという想いを持ち行動していくようになるのです。
坂本龍馬の偉業で有名な薩長同盟は、犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩を協力させた同盟でした。
その仲介人をしたのが坂本龍馬。
龍馬はただ交渉術が長けていたわけではありません。
当時の薩摩藩は武力はあるけど食料がないという状況。
長州藩は幕府にも他の藩にも目の敵にされ孤立した状況で軍事力がない。助けが欲しい。
薩摩藩からしたら長州藩と協力すれば食料が手に入る。
長州藩からしたら薩摩藩と協力すれば兵力や武器が手に入る。
お互いの利害関係を考えて『このふたつの藩はくっつけられる。そしたら幕府は倒せる』とふんだ坂本龍馬の先見の明があったのです。
また、坂本龍馬は末っ子で、幼い頃に母を亡くし、姉のスパルタ教育で育っていきました。
故郷を離れている頃に姉に送った手紙に書かれていた『日本を今一度せんたくいたし申候』という言葉は有名です。
日本を変えたい。
強い国にしたい。
この言葉からは、そんな思いがひしひしと伝わってきます。
龍馬は、日本を改革するというでっかい夢を持った人だったのです。
人の目は気にせずに自分のやりたいことをやろう
夢は大きく持った坂本龍馬でしたが、夢は大きければ大きいほどハードルも高くなります。
日本を改革する!と言っても当時は『幕府を倒す』とか『海外の文化を取り入れよう』とかそんなこと言ったらすぐに命を狙われるような社会です。
でも、龍馬は誰がなんと言おうと自分のやりたいことを貫く人だったんです。
龍馬の名言で次のようなものがあります。
世の人は我を何とも言わば言え
我が成す事は我のみぞ知る
世の中の人には言いたいこと言わせておけばいい。
自分のやってることは自分にしかわからんのだ。
くーーー!!!
カッコいい!!!!笑
この言葉一番好きです^_^
坂本龍馬から学べる教訓
坂本龍馬から学べる教訓は、
自分のやりたいことは誰になんて言われようとやり通して貫くこと。
これに尽きます。
新しいことをやるときには前例がないので過去の価値観から批判してくる人はうじゃうじゃいるでしょう。
坂本龍馬は、日本で初めて○○をした、というのが多いのです。
日本で初めての株式会社を作ったのも龍馬。
のちに海援隊となる亀山社中という会社で、貿易や武器の輸入などをしていました。
日本で初めて新婚旅行に行ったのも坂本龍馬と言われています。
日本で初めて水虫になったとも言われてます 笑
というのも当時は草履かゲタが当たり前ですが海外製のブーツを履いていたそうです。
だから水虫になったんですかね。笑
お茶目。
当時、海外との接点がない中で、海外を見習っていろいろと取り入れようとしていた行動自体も他にしている人がなかなかいないので初めてなことだったでしょう。
現代ではやりたいことをやるのに命を狙われるなんてことはそうそうありませんよね。笑
命狙われるわけでもないし、初めてづくしの坂本龍馬の行動力・精神力を見習って自分のやりたいことを貫いていきたいと思います。
何の志も無きところに、ぐずぐずして日を送るは実に大馬鹿者なり
何の目標もなくただただ日々を過ごすのは大馬鹿者だと龍馬も言っています。
夢はでっかく壮大な目標を掲げ、誰になんて言われようとそれを成し遂げるまで突き進んでいく。
僕もそんな人生を送るぞ!!
これだけさまざまな偉業を成し遂げた坂本龍馬が亡くなったのは31歳。
この記事を書いているときの僕と同い年です。
なんて濃い人生なんだろう。
そしてなんて完成された人間なんだろうと思いました。
本当に好きです。笑
坂本龍馬のような人生を歩みたいと思います。
最後に、僕の大好きなエピソードをご紹介します。
坂本龍馬は新たな明治政府の人事案を考えたと言われており、その中には坂本龍馬自身の名前はありませんでした。
それを不思議に思った西郷隆盛との会話です。
「坂本さぁの名が有りもせんが、何かの間違いじゃっどん?」
「いやいや俺は政府には入るのは好かん」
「では、どないしやっど?」
「そやにゃ。世界の海援隊でもやりますかいの」
あーーーーまじかっこいい・・・笑
改革はしたけども、何かに閉じこもっているのは性分ではない。
常に新しいことを求め、世界を見据えている龍馬だったからこそ、大きなことを成し遂げられたのでしょう。
最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた。
ざす。