ども!
ライフコーチのけんいちです!
『まだ見ぬ世界、自分に出会えるブログ』へようこそ。
このブログではライフコーチの観点から心が楽になる考え方をシェアしたり、オススメの本や映画の紹介をしたりしています。
このブログを通して知らなかったコトやモノに出会え、新たな世界が開けるかも?!
僕は歴史が大好きで、日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)
歴史は繰り返すと言われます。
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
シリーズ84人目は、日本の怪談を世に広めた明治時代の作家「小泉八雲」です!
彼は元々ギリシア生まれでラフカディオ・ハーンという名前でも有名ですね。
彼は日本人の妻と結婚し、晩年を日本で過ごしたので帰化して名前も「小泉八雲」にしました。
彼は世界中飛び回るような人生を歩んでいて、彼の人生からは「違いを知り、変化を受け入れる方法」が学べます。
小泉八雲ってどんな人?
小泉八雲から学べる教訓は?
これらのことを書いていきます!
✔文学好きの人。
✔歴史好きな人。
(約5分で読めます)
小泉八雲ってどんな人?
小泉八雲は、本名ラフカディオ・ハーンというギリシアで生まれた作家です。
『雪女』『耳なし芳一』『ろくろ首』などの怪談を世に広めたのは彼の功績でもあります。
世界中様々な国を旅するなかで、日本の文化に興味を持ち、日本に帰化をした人です。
彼の生涯と学びについても書いていきますね。
幼少期から世界中を飛び回る
小泉八雲というのは彼の晩年に帰化して付けた名前で、元々はパトリック・ラフカディオ・ハーンという名前でギリシア生まれです。
1850年に、アイルランド人の軍医の父と、ギリシア出身の裕福な家系の母の間に生まれました。
母は、アラブ系の血も流れているとのことで、ラフカディオ・ハーンは、ハーフどころか3つの国の血が流れていたかもしれません。
のちに、世界中を旅するようになるのもこのような家庭環境があったからではないでしょうか。
両親はキリスト教徒なので、「パトリック」という名前を付けましたが、本人はキリスト教には懐疑的で、「パトリック」という名前はあえて使用しませんでした。
※パトリックというのは、アイルランドでキリスト教を広めた大聖人として崇められていた人物。
まだ2歳のころ、父の転勤で父の祖国アイルランドに移住することになりました。
しかし、その後すぐに母が精神的に病んでしまい、母のみギリシアに帰国。そして両親は離婚してしまいました。
その後両親とは会わず、父方の大叔母に育てられました。
思春期は、フランスとイギリスのキリスト教カトリックの学校で学びました。大叔母は厳格なキリスト教徒だったので、その教えが厳しくキリスト教に嫌気がさしたと言われています。
このように、ラフカディオ・ハーンは、幼少期~思春期を様々な国で過ごしたため、文化の違いについて興味を抱くのと同時に、「キリスト教」のようにひとつの考えに押さえつけられることに疑問を抱いていたのです。
世界を飛び回っていたからこそ、違いを尊重し、それぞれの良さを発見できる素地がこのときに出来上がっていました。
アメリカで記者として働く
17歳の頃、育ての親の大叔母が投資で失敗し、破産。
自分で稼いで生きていかないといけなくなったハーンは、単身アメリカに渡り通信社の記者として働きました。
幼いころから変化がめまぐるしかった環境だったからこそ固定概念にとらわれずに行動できたのかもしれません。
彼は文章力もあったそうで、ジャーナリスト記者としては早くも活躍していたそうです。
そして、その記者の仕事として、初来日します。
日本文化に傾倒していく
アメリカの通信社の記者として来日するも、突然、その仕事を辞めてしまいます。
彼が日本に来た本当の目的は、日本に住み、文化を学ぶことだったのです。
アメリカにいる時代から、万国博覧会で日本の展示を見たり、英訳の『古事記』を読んだりして、日本の文化に非常に興味を抱いていたのです。
こうして彼は、英語教師として日本で働くこととなります。
しかも、『古事記』に書かれている日本の始まりの場所「出雲」で暮らすこととなりました。
ハーンにとっては、これ以上ない恵まれた環境だったでしょう。
出雲で体調不良になった際、看病してくれた女性の「小泉セツ」という人とのちに結婚。
結婚してからしばらくして、帰化して「小泉八雲」という名前になりました。
「八雲」というのは『古事記』に出てくる“日本初の和歌”とされるスサノオノミコトが詠んだ句に出てくる単語です。
彼は両親も別々の国の人同士で、幼いころから世界を飛び回っていたので、帰化することに関しても何もためらいはなかったのではないでしょうか。
「変化を受け入れる」ことが自然とできていたのは学ぶべき姿勢ですね。
怪談話を執筆
冒頭に『ろくろ首』や『雪女』などの怪談が広まったのは小泉八雲の功績だと言いましたが、その経緯としては、結婚してから妻のセツに『民話』をよく話して貰っていたそうです。
その中でも小泉八雲の興味を引いたのは「怪談話」だったそう。
日本人が幽霊という超常現象、非科学的で自然現象に対する畏怖の念を持っていることに非常に興味を抱いていきました。
そうした怪談をまとめた「KWAIDAN(怪談)」という本を出版します。
(記事の文末に「怪談」という本の購入リンクを貼っておきます!)
キリスト教は「主イエス様」の言うことは絶対で教えを守らなければいけません。
それに対し、日本は無宗教で、「動物以外のものすべてにも魂は宿っている」というアニミズムの考え方が古代からあり、“自然はコントロールできるものではない”という日本人的考え方が小泉八雲には共感できたのかもしれません。
こうして、「怪談」を通して日本人の自然を尊重し畏怖する心を伝えていったのです。
その後、小泉八雲は狭心症という病気で54歳の若さで亡くなってしまいますが、子宝にも恵まれ、今は八雲の子孫が松江で「小泉八雲記念館」を運営しています。
一度は行ってみたいですね!
変化を受け入れる方法
小泉八雲の生涯を覗いてみると「変化を受け入れて柔軟に対応している」ことが非常に尊敬でき、学べるところだなと感じます。
絶対的な考えを押し付けるキリスト教に嫌気がさし(キリスト教じゃなくてもそうだったかもしれません)、自然を大事にしてそれに逆らわないという日本人の文化に傾倒していきました。
アメリカにいた時代も当時住んでいた州では法律で禁止されていた他の人種の人との結婚をしていたのです。のちにその女性とは離婚していますが、当時はそれで会社を解雇もされています。
また日本に来て日本人と結婚し帰化して名前まで変えてしまうほど、変化することに対して抵抗がまったくありませんでした。
彼の生涯からは、「変化を受け入れて柔軟に対応する」ためには、違いを知ることが大切だと学べます。
その方法としては、数々の国で暮らしてきてそれぞれの地の文化を知ること。
そうして改めて自分の文化の良さを知ることがあります。
海外旅行に行くと日本人のホスピタリティの高さに改めて良さを感じます。
海外のとある国では電車が遅れるのは普通ですが、日本では少し遅れたくらいで謝罪のアナウンスが入ったりもします。僕は個人的にやりすぎだと思いますが、言い方を変えれば、それもサービスの質の高さかもしれません。
常識を破り、違いを知り変化を受け入れるようになるためには、まずは様々な文化や慣習に触れ、異なる環境に身を置くこと。
それは旅行でもいいですし、海外の本を読むことでもいいと思います。とにかく『違い』に触れて自分の常識と比較してみましょう。
それが「変化を受け入れられるようになる」ための第一歩です!
小泉八雲から学べる教訓
小泉八雲から学べる教訓は「変化を受け入れるには違いを知ること」ということです。
ひとつの考え方に固執したり、自分の考え方を押し付けたりするのはやめましょう。
そこからは何も生まれません。
とはいえ、「変化を受け入れる」のは結構難しいですよね。
それもそのはず、脳みそは「変化」を嫌うからです。
人間の古代からの生存戦略的に生き延びるために安定を求めていたので、「変化」を避けるようにできているようです。
そんな中でも、変化を受け入れて柔軟に対応したり改めて文化の良さを理解したりするためには違いを知って比較することが大切です。
変化を受け入れられるとストレスもなくなります。
アドラー心理学では「課題の分離」という考え方があります。
これは、ざっくり言うと、「自分は自分」「他人は他人」という割り切った考え方なのです。
こうした考え方を身に着けるためにも、違いを知るような行動を心がけましょう!
ちなみに小泉八雲は「日本人には自然での活動が必要である」とも言っていたそうです。
アニミズムに触れた彼だからこその発言かもしれませんが、日本人は古来から自然を大切にしてきていたので、日本人の心の原点があるのかもしれませんね。
ちなみに日本は先進国で森林率第2位でもあるらしいです。
自然が豊かな国なので自然の中に出かけてみるのもいいかも!
小泉八雲に興味を持った方はぜひ『怪談』を読んでみてください(^^♪
最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた。
ざす。