『まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ』へようこそ。
ライフコーチ、会社員、Kindle作家と三足の草鞋を履いている小泉健一と申します。
このブログではライフコーチの観点から心が楽になる考え方をシェアしたり、オススメの本や映画の紹介をしたりしています。
このブログを通して知らなかったコトやモノに出会え、新たな世界が開けるかも?!
本記事は歴史から学べる教訓について書いています。
僕は歴史が大好きで、よく歴史の本を読みます。
『歴史は繰り返す』
とよく言いますが、歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)
シリーズ175人目は、江戸時代の幕末に手腕を振るった薩摩藩の名主「島津斉彬」です。
彼は名君として有名であの西郷隆盛や大久保利通を登用しました。
「幕末の四賢侯」にも数えられた名君です(ワンピースの四皇みたいなもの?笑)。
日本初のコンビナートのような工場群を作り、近代化を推し進めました。
また、日本で残っている最古の写真はこの島津斉彬の写真だと言われていたり、ルイヴィトンを初めて手にした日本人とも言われています。
島津斉彬が亡くなってしまったときは西郷隆盛は、後を追って殉死しようとしたほど。
「彼以上の名君はいない」と言われている凄すぎる島津斉彬とはどんな人物なのか?
彼の生涯をざっくりポイントのみ触れてわかりやすく解説し、そこから現代を生きる僕たちにもタメになる教訓をご紹介していきますね。
彼の生涯や功績を知ると、「柔軟な考え方」が学べます。
(約5分で読めます)
島津斉彬とは何した人?
藩主になるまでの道のり
島津斉彬は、1809年、薩摩藩主・島津斉興(なりおき)の長男として生まれます。
ひいおじいちゃんの島津重豪(しげひで)は斉彬が青年時代にまだ存命で、曽祖父の影響で斉彬は洋学を学ぶようになります。
重豪は、日本に来ていたオランダの医者シーボルトとも交流があって海外の学問に詳しかったのです。
しかし、斉彬は父の斉興とは仲が悪く、長男なのに40歳をすぎるまで家督を譲ってもらえませんでした。
斉彬には久光という母親違いの兄弟がいました。久光の母親のお由羅(ゆら)は、久光を後継者にしようと奔走。
そこで両者を支持する者たちがバチバチに争い、切腹や脱藩する人が出るほどの事件に発展します。
斉彬に近しい老中の阿部正弘らが事態を収集させ、なんとか斉彬が藩主となるに至ります。
(一連の騒動を「お由羅騒動」と言います。)
近代化を推し進める
島津斉彬は藩主になると薩摩藩の近代化を推し進めます。
西洋の学問を学んだことや、大国の清(中国)が、アヘン戦争でイギリスに負けたことを目の当たりにし、西洋化が日本には必須だと悟ります。
そして造船や溶鉱炉、ガラスやガス等、地雷などの武器の製造も行い、工業化を推し進めます。
まるで明治維新を先駆けたような事業だったのです。
また、アメリカから黒船が来て蒸気で動く船に日本の人たちが圧倒されていたなか、斉彬は日本初の蒸気船も作ります。
彼がいなければ近代化が遅れていたのではないでしょうか?
卓越した人材抜擢
彼は人材の抜擢にも優れていました。
先述した西郷隆盛と大久保利通を、まだ無名だった頃に登用します。
他にも海外に行っていたジョン万次郎も航海術の向上のため登用します。
西郷隆盛は生涯、島津斉彬を尊敬していたと言います。
西郷隆盛と大久保利通はのちに明治維新で活躍し「維新の三傑」とも呼ばれる人。
やはり島津斉彬が見出さなければ、明治維新は遅れていたでしょう。
優秀な人材も獲得して、工業化を推し進め西洋の文化やスキルをどんどん吸収していきました。
海外が押し寄せてくるようになり日本も強くしないとダメだと考えていたのです。
しかし、ある人物が出てきたことで歯車が狂っていきます…。
最期
ある人物とは、井伊直弼。
歴史の教科書にも出てくるので歴史に詳しくない人でも聞いたことはあるでしょう。
当時「老中」という役割があり、今で言う総理大臣レベルの権力を持っていました。そんな老中のなかでも臨時で置かれたトップの位が「大老」。
その大老に任命されたのが井伊直弼。彼が結構乱暴で権力で刃向かったものたちをねじ伏せています。
100人以上の者たちが処罰されたのが「安政の大獄」。あの天才教育者・吉田松陰先生もこのときに死罪になっています。
このやり方に島津斉彬は激怒。そして14代目将軍を決めるときでも意見が割れて井伊直弼には反発していきます。
そしてこの後継者問題で朝廷に圧力をかけるために京都へ兵を送ろうとした最中、なんと急死してしまったのです、、、
突然過ぎたのとタイミングもあったので暗殺説も浮上していますが真実は闇の中…
柔軟な考え方とは
僕が島津斉彬の生涯から学んだのは「柔軟に考える」ということついてです。
いち早く近代化を推し進め、人材登用も身分など関係なく見込みのある者を抜擢してきました。
これまでの慣習だったり、家柄だったり、関係なく薩摩藩ひいては日本を強くしてきたのです。
彼がそういう柔軟性を持てたのは「常に未来を考えているから」だと僕は感じています。
現代人でも、過去の慣習やこれまでの成功法則にこだわっている人がいます。
そういう人たちは、過去ばかりを見ていて未来を見ようとしていないのです。
この先何があるかわからない。
そんな時代では島津斉彬のような柔軟な考え方が必要なのではないでしょうか。
島津斉彬から学べる教訓
島津斉彬から学べる教訓は「柔軟な考え方をするには、未来を見据えよう」ということです。
人は誰でも失敗をしたくないので、過去にうまく行った方法とかに助けを求めがち。
しかし、本当に未来をより良くしようとしている人は、過去がどうだったかは気にしないのです。
柔軟な考え方をして未来を切り拓くためには、先を見据えること。そして何が正しいかを考え抜くこと。
島津斉彬からはそんなことが学べます。
以上、日本史上トップレベルの君主・島津斉彬の生涯と彼から学べる教訓でした。
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最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた。
ざす。