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まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ

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徳川家定ってどんな人?彼から学べる教訓【自分の役割を全うする】


Hatena

ども!

ライフコーチのけんいちです!

 

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このブログを通して知らなかったコトやモノに出会え、新たな世界が開けるかも?!

 

 

 

僕は歴史が好きで良く調べたり本を読んだりしています。

 

歴史は繰り返す

歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)

 

シリーズ137人目は、徳川13代目将軍の「徳川家定」です!

 

徳川家定は、12代目将軍徳川家慶の四男。

 

四男ということは跡取り候補とは程遠そうですが、実は家慶の息子は皆病気で亡くなってしまい20歳まで生きたのは家定だけだったそうです。

 

そんな家定も病弱でした。

しかし、病弱ながらも鎖国も終わり海外との外交が盛んになってくる激動の時代で将軍として指揮を取りました。

 

ペリーの黒船が来航した直後に父の家慶が亡くなっていてその翌年から将軍を務めた家定。

 

そんな激動の時代を歩んだ徳川家定の生涯をざっくりポイントのみ触れてわかりやすく解説。

 

そしてそこから現代を生きる僕たちにもタメになる教訓をご紹介していきますね。

 

12代目将軍の家慶については以下の記事でまとめています。

 

彼の生涯や実績を知ると、「自分の役割を全うする」ことの重要性が学べます。

 

 

 

 

 

(約5分で読めます)

 

徳川家定とはどんな人?

徳川家定

徳川家定(Wikipedia参照)




病弱で引っ込み思案

徳川家定は12代将軍家慶の四男として1824年に江戸城で生まれます。

 

先述したように四男だったため、跡取り候補ではなかったのですが兄弟が皆亡くなってしまったことにより次期将軍候補に

 

しかし、家定は幼い頃から病弱で、顔には病気の症状でアザができており、それもコンプレックスで人前には出るのが苦手な引っ込み思案でした。

 

こうした性格もあり、父の家慶の次の将軍には親戚に当たる徳川慶喜(次期15代将軍)の方が適任だという声も多かったのです。

 

実の父の家慶も迷っていましたが、そのときの老中(将軍補佐をする役職)の阿部正弘は直系の息子が継ぐべきだと徳川慶喜が後継者になることに反対。

 

家慶が亡くなった後、家定は正式に13代目将軍となります。

 

 

アメリカとの国交

 

1853年にペリーが来航し、その直後に父が亡くなり、将軍となった家定。

 

翌年1854年には、再びペリーが来航し、江戸幕府は日米和親条約を締結します。

ペリー

ペリー(Wikipedia参照)



 

これは、アメリカ船が近くに寄ったときに下田と函館においては、燃料や食料を与えることなどを日本に約束させた条約です。

 

まだ、貿易することを約束したものではなかったのですが、のちの国交開始のキッカケになるものでした。

 

元々病弱だった家定はこの国難に心身が疲弊しきってしまっており、廃人同様だったとも言われています。

 

主に政治は老中の阿部正弘が主導していました。しかし、日米和親条約が結ばれた3年後に阿部正弘が亡くなると、堀田正睦という人物が老中になります。

 

その年と同じ1857年に、アメリカは今度は貿易を開始するためにハリスという人物が江戸城にて家定に接見しています。

 

 

後継者問題

 

徳川家定の奥さんとして有名なのが大河ドラマにもなった篤姫。

 

しかし、篤姫との間に子供は生まれず、後継者争いは激化。

 

のちに14代目になる家茂と、15代目になる慶喜が後継者になることを求めてバチバチに争います。

 

1858年に大老に任命された井伊直弼は、家柄を重んじるべきだという家系に近しい家茂を推しました。

 

大老というのは将軍補佐役の老中のさらに上で臨時で1名しか任命されない将軍とほぼ同じくらいの権力のある人物。

 

家定がそれだけ信頼していた井伊直弼の言うことを聞き、次期将軍は家茂に決めることにしました。

 

そして、後継者争いに敗れた慶喜を推していた一橋家の大名たちを処分しました。

 

 

その直後に体調がさらに悪化し、そのまま亡くなってしまいます。

 

35歳という若さでした。元々病弱な上に、アメリカから国交を結ぶことを迫られるような緊迫した出来事が続き精神的な負担は大きかったでしょう。さらに後継者争いでも悩まされました。

 

 

 

 

 

自分の役割を全うする

アイデア

 

僕が徳川家定の生涯から学んだことは「自分の役割を全うする」です。

 

家定の役割と言えば、もちろん江戸幕府の将軍です。

昔は、自分の意思には関係なく、血筋だからという理由で一国のリーダーを任される時代。

 

少なからず、家定は、病弱であったし、できることなら将軍職に就くのを避けたかったのではないでしょうか。しかし、それでも奮い立たせ将軍の職務を全うしました。

 

現に、江戸城で家定と会ったアメリカのハリスの日記には家定が将軍らしい威厳のある人物だったことが書かれています。

 

それは、ハリスに対してこのように述べたからだそうです。

 

「遥か遠方より使節をもって書簡の届け来ること、ならびにその厚情、深く感じ入り満足至極である。両国の親しき交わりは幾久しく続くであろう合衆国プレジデントにしかと伝えるべし」

 

 

鎖国していた日本でしたが、アメリカがわざわざ出向いてくれたことに対して厚くお礼を伝えたのです。

まだ味方でもない国に礼儀を尽くすあたりが将軍らしい対応ですね。

 

現代の社会でもリーダーの人なら見習いたい姿勢です。

 

相手によって態度は変えずに、自分の役割を理解し、リーダーらしい対応を取る。

自分に向き不向きの役割もあると思いますが、任された役割にあった行動ができるかどうかも非常に重要ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

徳川家定から学べる教訓 

勉強

徳川家定から学べる教訓は「自分の役割を全うするべきということ。

 

リーダーのみならず、人は社会においてそれぞれ役割があります。それは、会社の新入社員でもそうです。

 

組織の中での自分の役割を理解し、それに期待されている責務を全うするような仕事をする。

 

そんなことを学びました。

 
 
 
 

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最後までお読みいただきありがとうございました!

ではまた。

ざす。