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まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ

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松永久秀とはどんな人?彼から学べる教訓【世間体は気にせず突っ走れ】


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ども!

ライフコーチのけんいちです!

 

『まだ見ぬ世界、自分に出会えるブログ』へようこそ。

このブログではライフコーチの観点から心が楽になる考え方をシェアしたり、オススメの本や映画の紹介をしたりしています。

このブログを通して知らなかったコトやモノに出会え、新たな世界が開けるかも?!

 

 

 

僕は歴史が好きで良く調べたり本を読んだりしています。

 

歴史は繰り返す。

歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)

シリーズ109人目は、あの織田信長が裏切りを許した?!武将の「松永久秀」です!

 

戦国時代の武将で、「梟雄」とも呼ばれる人物

梟雄とは、残忍で強く荒々しい人のことを言います。

 

彼は、東大寺の大仏を戦で焼いてしまったり、織田信長を2回も裏切ったり、将軍の暗殺に加担していたり。

 

何かと悪党の噂の絶えない人物ですが、織田信長が裏切りを許したのは、残虐だけど自分の信念を曲げずにその自由さに魅力を感じたんでしょう。

 

彼の生涯を知ると「世間体は気にせずに自分のやりたいことを突っ走る」ということの大切さがわかります。

 

 

 

(約5分で読めます)

 

松永久秀とはどんな人?    

松永久秀(Wikipedia参照)

松永久秀(Wikipedia参照)




三好家を支える重要人物

 

松永久秀は、諸説ありますが、1508年に摂津国(大阪)あたりで生まれたと言われています。

 

三好長慶(みよしながよし)を主君として仕えていました。三好長慶は一時期、関西エリアの畿内を統一するほどの勢力を持っていた大名です。

 

松永久秀は武功もあげながら交渉役としても活躍し、三好家に仕えていました。

 

しかし、三好長慶が亡くなってしまい君主をなくすと「三好三人衆」という三好一族の武将たちと三好家を支えていきます。

 

三好長慶が生きていたころ、当時の室町幕府将軍の足利義輝を京都から追い出していました。

 

その義輝を三好三人衆と松永久秀は、1万人の兵で攻めて滅ぼします。(永禄の変)

 

将軍殺害のこの事件をキッカケに松永久秀には悪役のイメージがつきます。

 

ちなみにこのとき、足利将軍から奪取した日本刀に「不動国行」という名刀があり、織田信長→豊臣秀吉→徳川家康と渡ります。江戸時代の明暦の大火で焼失してしまいますが。

 

大仏を焼き払う?!


協力していた「三好三人衆」とは権力争いで対立していきます。

 

そして、松永久秀と三好三人衆は戦うことになりますが、戦場がなんと東大寺。

 

三好三人衆がいた東大寺に松永久秀が奇襲をかけることで戦争勃発。

 

このとき大仏は焼き払われ首まで取れてしまったと言われています。今の大仏は江戸時代に修復されたものだそうです。

 

元々悪名高かった松永久秀は、大仏も焼き払ってしまうほどの暴れん坊のイメージがついてしまいます。(本人は気にしてなさそうですが笑)

 

半年にわたるこの戦いで、勝利した松永久秀は、権力を握っていきます。

 

 

織田信長との主従関係と裏切り

 

松永久秀は、先ほど書いた日本刀『不動国行』や自分の茶器を織田信長に献上して主従関係となりました。

 

久秀は信長と朝倉義景(あさくらよしかげ)との戦である「金ヶ崎の戦い」で信長の撤退の手助けをしたり、対立していた三好三人衆との和睦交渉をまとめたりするなど、その手腕を発揮。信長から信頼を得ていきます。

 

しかし、織田信長も敵が多くそばにいては危ないと思ったのか、織田信長を討ち取って勢力を得たいと思ったのかわかりませんが、敵対していた朝倉義景や三好三人衆と結託し織田信長を倒そうと反旗を翻します。

 

しかし、やはり最強の織田信長。この連合軍に勝利し、三好三人衆は自害、松永久秀はなんと裏切りが許され、織田信長の家臣となります。

 

しかし、家臣の中でも身分は相当低くなり、不満を抱いていた松永久秀は(裏切りを許されただけ幸せだと思うが…笑)、上杉謙信や毛利輝元などと手を組み再度織田信長を裏切ります。

 

しかし、ここでも敗れます。なんと織田信長は2回の裏切りにも関わらず条件付きで許そうと説得します。

 

それは、有名な茶器である「古天明平蜘蛛(こてんみょうひらぐも)」というものを差し出せ、という条件でした。

 

しかしこれだけは渡せないと断り、その茶器ともども自分の城に火を放ち自害することになります

 

あの織田信長が2回も裏切りを許すなんて考えられませんね。

久秀を徳川家康に紹介する際に言った言葉にその思いが隠されています。

 

「この老人は常人では一つとして為せないことを三つもしておる。主家(三好家)を乗っ取り、将軍(足利義輝)を誅殺し、そして奈良の大仏を焼いた。まったく油断のならぬ人よ。」

 

破天荒な織田信長は破天荒な久秀のことを気に入ってたんじゃないでしょうか。

 

もちろん、武功もあげて大活躍していましたが、それだけで裏切りを許されるとは思えません。

 

目的を達成するためなら織田信長さえも裏切る。そんな姿勢だからこそ信長は一目置いていたのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

世間体は気にせず突っ走れ!

大胆な人





久秀は、織田信長を裏切ったときに本人にこう言ったそうです。

「日ノ本一の正直者ゆえ、義理や人情という嘘はつきませぬ。裏切られるのは弱いから裏切られるのです。裏切られたくなければ、常に強くあればよろしい。」

 

自分は正直者だから嘘はつかない。

裏切られる方が悪い!と言わんばかりの発言です。

 

織田信長だったらたしかに気に入りそうですね。笑

 

でもここまで自分の信念に真っ直ぐで自ら「正直者だ」と言っているのは見習いたい部分もあります。

 

世間体とか評価なんて気にせず自分のやりたいようにやる。

 

これは現代人にこそ必要な姿勢かもしれません

 

 

松永久秀から学べる教訓 

勉強

松永久秀から学べる教訓は「世間体は気にせず突っ走れ!」ということ。

 

突き抜けすぎると変わり者扱いされますが、変わり者の方が楽しい人生を送れそうですね。

 

周りに迎合したりあまりにも協調性ばかり重視すると自分らしさを出すのは難しい。

 

久秀のように悪名高くなる必要はないですが(笑)、周りの目は気にせずに突き抜けてしまってもいいな、と思いました。

 

おそらく久秀だって、悪名を轟かせよう!と思って行動していたと言うよりもそのときそのときで自分のやりたいことを貫いたんだと思います。

 

姿勢としては見習いたいところ。

 

 

 

彼についてもっと知りたい方は以下の本があるのでぜひ(^^♪

 

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

ではまた。

ざす。