ド底辺サラリーマンの夢の叶え方

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高橋是清とはどんな人?彼から学べる教訓【失敗からの立ち直り方】


Hatena

ども!

歴史好きなライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!

 

歴史は繰り返すと言われます。

歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)

シリーズ99人目は、日銀総裁、総理大臣も務めたことのある「高橋是清」です!

 

彼の人生は波乱万丈で、奴隷として身売りを経験したり、詐欺にあい無一文になってそこから人生リスタートしたり、持ち前の明るさと謙虚さで何度も立ち上がってきた人なのです。

 

その後、総理大臣にも就任。軍部と対立し、二・二六事件で暗殺されますが、それも国民や国を想っての軍部との意見の対立だったようで、国民からは人気もありました。

 

 

それでは、高橋是清の人生について簡単に触れていき、彼から学べる教訓をまとめていきます。

本記事を読めば「失敗からの立ち直り方」が学べます。

 

 

 

 

 

(約4分で読めます)

 

高橋是清ってどんな人?

           高橋是清

養子に出され、留学先では奴隷にされる

1854年の江戸末期、現在の東京に生まれます。

絵師をやっていた父親のもと、生まれますが、生後まもなく仙台藩の足軽をしていた高橋覚治という人物のもとに養子に出されます。

それで高橋姓を名乗っていたんですね。

 

そして、アメリカ人の医者であるヘボンという人物がやっている私塾にて学びます。これは現在の明治学院大学です。

13歳くらいの頃には、勝海舟の息子とアメリカは留学。勉学に励んでいました。

 

しかし、ホームステイ先の家族に奴隷として身売りされていたことが発覚。

横浜にいた貿易商のツテで留学したのですが、なんと高橋是清の知らぬところで奴隷として契約させられていたそうで、過酷な労働を強いられていたとのこと。

 

高橋是清も最初はキツいけどこれも学びのうちのひとつなのかなと感じていたそうです。

異変に気がつき、抗議してなんとか帰国。

色々ありましたが、英語力をしっかり取得してくることができました。

 

しかし、また次の災難が待ち受けていたのです。。。

 

詐欺にあい無一文に・・・

帰国後、20歳そこそこで文部省に入省。

英語の教師としても活躍し、当時廃校寸前だった学校の校長先生も務めます。

その学校というのが現在の「開成中学校」でした。教え子に正岡子規がいたそうです。

 

その後官僚としての仕事を歴任してキャリアをスタートさせていきますが、ペルーにある鉱山事業を任されてペルーに渡ります。

そのときすべてのキャリアを投げ出して行きました。

 

しかし、なんとその鉱山がすでに銀を取り切っていて廃坑となっていたのです。

そう、騙されました、、、

 

なんとすべてのお金を注ぎ込んでいたので、無一文で帰国してホームレスとなってしまいます。

 

しかし、もともと官僚としてのキャリアもあり信頼を勝ち得ていた高橋是清だったので、お声がかかり日本銀行に入行します。

 

 

 

日銀総裁と総理大臣を歴任

 

高橋是清はピンチになりながらもいつも誰かが手を差し伸べてくれます。

これは彼の人となりもありますが、いつでも明るく「なんとかなる」精神でいたからでしょう。

 

人は、卑屈になってる人より「何かやってくれそうだ」と思える人に手を差し伸べたくなります。

 

そうして日銀に入行し、のちに副総裁に就任。

その際は日露戦争のためにお金が必要で、国債を発行して海外に売り、なんと9億円ものお金を作ったのです。

当時は信用のない日本だったにもかかわらず、他国の事例やこれからなぜ戦争をするのかということについて、イギリスを説得させ、国債を発行するに至ります。

 

彼の交渉術も素晴らしいものだったと伺えますね。

日露戦争後の1911年には総裁も務めます。

そして、その後は内閣にも入閣し、大蔵大臣を務め、総理大臣にまでなります。

 

ホームレスから総理大臣って本当にすごいですね!

 

 

その後に一度、政界を引退しましたが、1927年に昭和恐慌が起き、その際に大蔵大臣に再度就任してこの危機を救います。

 

この手法がまた面白いんです。

昭和恐慌が起こった経緯というのが、財政不安になり銀行の経営も不安定になり「私たちの貯金は大丈夫なのかな」と国民が不安になっていたところ、

当時の大蔵大臣が、「東京渡辺銀行が破綻しました」と国会で発表してしまいさらに不安を煽ったことから始まります。

 

「銀行はもう安心できない」と国民は銀行から一斉にお金をおろそうとして他の銀行も破綻しそうになります。

 

このときに高橋是清は片面しか刷っていない偽札を銀行の窓口から見えるところに大量に並べるよう指示。

それをみて国民は「あ、なんだ、お金あるじゃん」と安心して、この恐慌を免れたというのです。笑

 

なんともまぁ、アホみたいな話ですが、今でもコロナ禍でトイレットペーパーが品薄だなんてデマを信じて売り切れてしまうような時代ですから、我々国民はすぐに盲信してしまうんですね...

 (もちろん他にも政策はあったのでこれだけで乗り越えたわけではありません笑)

 

 

恐慌を救った高橋是清ですが、突然その最期が訪れます。

 

当時の政策から物価が急騰するインフレを防ぐために国防費を削減する施策を取りました。

これに軍部が反対。

しかし高橋是清は「予算は国民の所得に応じて作られるべき」と国防費を削る予算を変更しませんでした。

 

これに怒りを買い、軍部によるクーデターニ・二六事件で暗殺されてしまいます。

享年81歳でした。

 

 

 

 

 

 

 

失敗からの立ち直り方

トレーニング




高橋是清からは「失敗からの立ち直り方」を教えてもらいました。

 

青年期は奴隷にされるという衝撃の経験をして、

ペルーの銀山の運営の際は、騙されて無一文になりました。

昭和恐慌という大変な時期も見事日本を立て直しました。

 

ピンチや失敗があっても何度も這い上がります。

彼は、まん丸い顔とその愛嬌、そして何度倒しても元に戻ることから「ダルマさん」と呼ばれていました。

 

国民からも「ダルマさんがいれば大丈夫」と絶大な信頼を置かれていたようです。

 

そこまで信頼されていたのは彼の姿勢もあると感じました。

 

ペルー銀山で失敗した際、帰国して当時の日銀総裁に声を掛けられて入校しましたが、同時に、元々いた官庁からも声がかかり戻らないか聞かれていたそうです。

 

しかし、「もう一度0から学び直したい」と銀行、それも「建築事務主任」というかなり下っ端からのスタートでした。

 

「何かを失ってもまた0から始める」

 

そんな姿勢でいたのです。

また、彼は自伝の中で「自分は運がいいと思い込んでいた」とも書いています。

 

この不屈の精神と楽観的な精神があったからこそ、何が起きても立ち直ることが出来たんですね。

 

 

 

 

高橋是清から学べる教訓 

勉強

高橋是清から学べる教訓は「失敗から立ち直るためには、不屈の精神と楽観的な精神が必要だ」ということです。

 

 

不屈の精神といっても強く立ち向かうことではなくてもいいと僕は思います。

すべてを受け入れるということです。

何が起きても「また始めればいいや」「自分は運がいいからなんとかなるさ」というようなしなやかな強さが必要です。

 

高橋是清は、それを持ち合わせていたからこそ、ピンチをチャンスに変えることができたのです。 

 

高橋是清の自伝からの本文を引用して終わります。

「どんな失敗をしても、窮地に陥っても、自分にはいつか良い運が転換してくるものだと、一心になって努力した。

今になって思えば、それが私を生来の楽天家たらしめる原因じゃないかと思う。」

 

窮地に陥った際や失敗をしてしまったなと思ったときは高橋是清から学びましょう!

 

彼についての生涯をもっと詳しく知りたい人は以下の本がオススメです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

ではまた。

ざす。