ども!
歴史好きなライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!
歴史は繰り返すと言われます。
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。
50人目は文武両道で、剣術にも長け、教育にも熱心だった江戸末期の肥前国の大名「松浦静山」です!
「え、だれ?」
という方がほとんどかもしれませんが、
『勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし』という 名言を聞いたことないでしょうか。
元プロ野球選手で監督だった故 野村克也氏の言葉として有名ですが、これは実は松浦静山の言葉だったのです。
彼の生涯から学べる教訓を紹介していきます。
松浦静山って何をした人?
松浦静山から学べる教訓は?
これらのことをざっくりと5分でわかるように解説していきます^^♪
(約5分で読めます)
松浦静山って何した人?
松浦静山は本名、松浦清。
今の長崎県にあたる肥前国平戸藩の藩主で、18世紀の江戸末期を生きた大名です。
文武両道という言葉が彼ほど似合う人がいるのでしょうか。
藩主として学校も設立したり、書物もたくさん書いたりして教育熱心な一面もありつつ、剣術にも長けていました。
そんな彼の生涯と彼から学べる教訓を書いていきます!
藩主としての改革
松浦静山は、11歳の時に父親が亡くなってしまい、幼いながら長男だったのでその後14歳で藩主となります。
なんと10代でバシバシ改革をしていきます。
平戸藩は当時、財政難だったので、経費の削減や行政組織を簡素化したり、コスト削減に力を入れます。
そして、19歳の頃にはなんと学校まで建てちゃいます。人材の育成にも貢献したのです。
剣術にも長けていた
リーダーとして活躍しただけでなく、剣術にも長けていて「心形刀流(しんぎょうとうりゅう)」と呼ばれる剣術の流派をマスターしていました。
「心形刀流」は、二刀流などが特徴の流派だったそうです。めちゃ強そう!!笑
剣術書の「剣談」という本も晩年に出版しています。
彼は鎌倉時代に平戸で暴れていた海賊「松浦党」の末裔だとも言われています。
そうした誇りあったからか、武術にも力を入れていたのでしょうか。
隠居生活で本書きまくる
50歳手前で、家督を息子に譲り、隠居生活を始めます。
主に執筆活動をしていました。
主な作品は随筆集の「甲子夜話」。
こちらは200巻以上にも及ぶ超大作。
歴史書みたいなもので江戸時代の庶民の暮らしなどがわかる貴重な資料だったそうです。
先ほども書きましたが、剣術書も世に出していました。そこにあった言葉で有名な言葉が以下のフレーズ。
勝ちに不思議の勝ちあり
負けに不思議の負けなし
元プロ野球選手の故 野村克也さんも使っていたことで、有名な言葉になりましたね。
他にも浮世絵にも興味があり、コレクションしていたそうです。
30年近い隠居生活でしたが、82歳で亡くなりました。
ちなみに、松浦静山は、明治天皇のひいおじいちゃんに当たります。
娘が天皇家に嫁いでいたらしいです。
勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし
剣術書である『剣談』に書かれた有名な言葉。
剣術に長けていた彼の言葉には重みがありますね。
偶然勝つことはあるが、負けることには必ず原因がある。負けを分析することが成功への近道だ。
「失敗は成功の母」というエジソンの名言もありますが、偉人たちが言うように負けや失敗は次に活かさないといけませんね。
なぜ、負けたのか?
なぜ、失敗したのか?
どうしたら次は勝てるのか?
負けには偶然はないと松浦静山は言います。
次に繋げるために負けや失敗をしっかり分析して活かしていきましょう!
松浦静山から学べる教訓として「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」という言葉を紹介させていただきました。
最後までお読みいただきありがとうございます!
ではまた。
ざす。