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沖田総司から学べる教訓 何した人か5分で解説!【信念を貫くと得られるもの】


Hatena

ども!

ド底辺サラリーマンのけんいちです!

 

歴史は繰り返すと言われます。

歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。

今回は『新撰組』で人気ナンバーワンを争う「沖田総司」です!

 

「弱冠20歳で新撰組一番隊隊長」

という華やかな経歴をもつ沖田総司はいったいどんな人だったのか。

 

沖田総司からは「信念を貫くと得られるもの」を学ぶことができます(^^♪ 

 

 歴史を楽しく学べて現代に活かせることを、わかりやすく簡単な表現で書きました(^^♪

 

 

 

(約4分で読めます) 

 

沖田総司ってどんな人?

沖田総司


 

新撰組一番隊隊長

 

沖田総司は江戸時代末期に活動していた新撰組の一番隊隊長です。

 

分かりやすく言うと、漫画ワンピースの白ひげ海賊団のマルコ的なポジションですね。笑

ただ、弱冠20歳でこのポジションですからめちゃくちゃ強かったのです。

 

新撰組とは

1863年に創設された幕府を守る護衛隊。

当時は「幕府を倒せ!」という倒幕運動が盛んだったので京都を中心とした治安維持を目的に浪士を集めた部隊を「新撰組」と名付けて創設されました。

 

沖田総司は若手ながら剣術に優れ、一番強かったんではないかとまで言われています。

新撰組の中でも一位、二位を争う人気の人ですね!

 

僕も新撰組大好きで、家に「誠」と書かれた掛け軸を飾っています笑

 

誠と書かれた掛け軸

僕の家の掛け軸です(笑)


 

 

 

沖田総司は、1844年(もしくは1842年と言われている)に江戸で生まれました。

まだ4歳くらいの頃から、のちの新撰組の隊員でもある井上源三郎という人の家に遊びに行っていたそうです。

 

この井上源三郎は「天然理心流」という剣術を習得していたこともあり、沖田総司も自然と同じ流派の剣術を習っていきました。

 

天然理心流とは

近藤内蔵之助という人が、1789-1800年に創設した武術の一派です。新撰組局長である近藤勇が4代目を継ぎました。

 

沖田総司は、幼い頃に父と母を亡くし、姉に育ててもらいました。

 

若い頃から剣術の才能があり、二番隊隊長の永倉新八曰く、だいぶ年上の副局長の土方歳三や、八番隊隊長の藤堂平助よりも強かったと言われています。

 

試衛館という、天然理心流の道場では、16歳で塾頭というトップになったのです!

 

そんな強さが買われ、新撰組の中の一番隊の隊長という大役を任されていました。

 

活躍した事件

 

芹沢鴨の暗殺

 

初代筆頭局長だった芹沢鴨という人物がいます。

この人は、かなり酒癖も素行も悪く、金と女と酒というような典型的な酒乱でした。

 

当時、芹沢鴨派と、近藤勇派で派閥が分かれていました。

近藤勇を慕っている土方歳三や沖田総司が一緒になって芹沢鴨を暗殺したのです。

 

理由は諸説ありますが、まず芹沢と近藤は馬が合いませんでしたし、芹沢鴨の素行が新撰組の名を汚すと思っていたのかもしれません。

 

このときに沖田総司も活躍したのです。

 

池田屋事件

 

1864年に起きた尊王攘夷派を一掃した事件です。新撰組の活躍では、一番有名な事件ですね。

 

新撰組は、京都で14代将軍の徳川家茂の警護の仕事が中心でした。

 

そこで、京都で尊王攘夷派のヤツらが怪しい動きをしているという情報をつかみます。

 

尊王攘夷派の土佐藩や長州藩が「池田屋」という旅館で何やら密会をしていると。

「天皇をさらって、人質にとって長州に連れ帰ってやる!」

というものでした。

 

天皇を人質に取られたら幕府側も自由に動けなくなります。それを防ぐために、新撰組は総出で池田屋におしかけました。

 

局長、近藤勇はじめ、副局長の土方歳三、各部隊隊長の沖田総司、藤堂平助、永倉新八などエース級の人物が先陣を切っていました。

 

この事件は新撰組の大勝利。

なんとか天皇誘拐を阻止することができたのです。

 

ちなみに尊王攘夷って、幕府を倒せ!と同時に天皇制を取り戻せ!(尊王=天皇を敬う)という考えなので、誘拐しようとした長州はやりすぎですよね。

後々、長州藩は天皇側からも朝敵と見なされ、行く場を失っていきます。

 

そんなときに、困った長州藩と、薩摩藩が仲が悪かったのに同盟を結んだ「薩長同盟」によって長州藩は救われるのです。

 

話が逸れました。

 

 

この池田屋事件でも、弱冠20歳でしたが、沖田総司は活躍しました。

 

 

肺結核にかかる

 

他にも活躍した事件はあるのですが、沖田総司は、当時は不治の病と言われていた「結核」を患ってしまいます。

 

 

病気のせいで出動できないことが多く、1868年に24歳の若さで亡くなってしまいます。

(1862年生まれではないかとも言われてるのでもしそうなら、26歳です。どっちにしろ、若すぎる...)

 

 

歴史に「たられば」は禁止ですが、沖田総司がもう少し長生きしていたら、新撰組の未来も変わっていたかもしれませんね。

 

明治維新と同時に、内乱で近藤勇も土方歳三も亡くなってしまい、新撰組は解散しました。

 

 

 

明るい一面

 

沖田総司は、強い剣豪なので、怖い感じの人かというと全然そうではなかったようです。

 

 

新撰組として活動しているとき以外は、人を笑わすことが好きで、子供と一緒に遊んだりする面もあり、非常に優しい人だったようです。

 

また、沖田総司自身は「幕府を守る!」という政治的な考え方が薄く、とにかく「局長の近藤勇のために!」という信念で動いていたのです。

 

両親も幼少期に亡くなってしまっていましたし、お世話になった新撰組が家族のようなものだったのでしょう。

 

政治うんぬんよりも「新撰組のため、近藤勇さんのために」という思いで動いていた青年だったのです。

 

そんな人間味ある性格や、男がある性格が、人気の秘訣かもしれませんね。

 

 

 

信念を貫くと得られるもの

信念


信念を貫くと信頼が得られます。

 

 

信頼ってどうやって得るのだろうか?

と考えたことがあります。

 

・実績を作る

・正直である

・人を助ける

 

色々考えられることはありますが、「信念を貫く」ってことも大切だと沖田総司は教えてくれました。

 

 

もちろん、彼も日本の未来を想って戦っていたのでしょう。

 

でも、恩がある近藤勇や土方歳三への忠義の一心で動いていたのではないでしょうか。

カッコいいですよね。なかなかできません。

 

沖田総司のお見舞いに来た土方歳三とのやりとりで沖田総司が詠んだ辞世の句があります。

※辞世の句とは、この世を去る前に詠む最後の句。

 

動かねば闇にへだつや花と水

 

花は沖田総司、水は土方歳三を指します。

花は水がないと生きていけませんよね。

花と水は一体なのです。

 

戦わないと、土方さんと離れ離れになってしまう。そんなの、生きていても意味がない。

 

 

というような土方歳三への尊敬と忠義心から出た句です。

 

彼のこのまっすぐな心が人気の秘訣なんだなと分かりました。

 

こうした忠義心が、一番隊隊長という大役を任された理由でもあると思うんです。

信頼を得るためには、信念を貫き通すのが大切です。

 

 

 

沖田総司から学べる教訓

学び

 

沖田総司から学べる教訓は「信念を貫けば信頼を得られる」ということです。

 

約束は守るとか以上に「自分の信念を貫く」のが大切だなと思います。

 

自分の言ったこと、決めたことをやり切るって、簡単そうで出来ない。

そんな人がいたら信頼できますしね。

 

僕は個人的に思うのは、さらにその信念は発信した方がいいと思っています。

「この人は言ったことをやる人だ」と思われるだけでも信頼されることに繋がります。

 

 

沖田総司の人生からは「信念を貫く大切さ」が学べました。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

沖田総司をもっと知りたい!新撰組に興味がある!という人は下記の本がオススメです。

 

 

動画がよければ、オリラジあっちゃんの下記の動画が面白いですよ!

 

www.youtube.com

 

 

ではまた。

ざす。