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司馬遼太郎ってどんな人?彼から学べる教訓【こだわりを持つこと】


Hatena

ども!

ライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!

 

僕は歴史が好きで良く調べたり本を読んだりしています。

 

歴史は繰り返す。

歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)

シリーズ103人目は、「燃えよ剣」「竜馬がゆく」などの名作を残した日本を代表する歴史小説家の「司馬遼太郎」です!

 

名前は誰でも聞いたことがあるのではないでしょうか。

 

 

大河ドラマの「功名が辻」や「国盗り物語」も司馬遼太郎先生の作品です。

司馬遼太郎の歴史観は「司馬史観」とも言われ、単なる事実だけを伝えるのではなく独自の切り口で歴史を語るその感性に魅了される人が多いのです。

 

本記事を読めば「こだわりを持つことの大切さ」が学べます。

 

 

 

 

 

(約4分で読めます)

 

司馬遼太郎ってどんな人?

司馬遼太郎の写真

https://swet.jp/articles/article/translating_shiba_ryotaros_saka_no_ue_no_kumo/_C30より参照





戦争での経験が歴史観を育てる

 

司馬遼太郎は、1923年の大正時代に大阪府で生まれます。

本名は、福田 定一。司馬遼太郎はペンネームです。

 

三国志や中国の歴史が好きな方なら、「司馬」と聞いてぴんと来たかもしれませんが、紀元前2世紀頃に生きた中国の歴史家で司馬遷という方がいます。『史記』という著作を残していますが、司馬遼太郎はこの『史記』を愛読していました。

 

 

司馬遷には(はる)かに及ばない日本人(代表的な名前の「太郎」)」という意味で「司馬遼太郎」と付けたそうです。


小学生時代などはかなりやんちゃで悪童だったようです。母の実家の周辺は古墳が多かったそうで、土器や石器を拾い集めていたとか。

 

また中学時代には戦争が激化し、大学に入ったころ自身も学徒出陣で戦争に駆り出されます。

※学徒出陣・・・兵力不足を補うため、20歳以上の健康な学生を出兵させた。

 

こうした学生時代の経験が歴史に関する意識を育てていったのです。

 

 

新聞記者から小説家になる

 

終戦後、新聞記者として働きますが、2,3社新聞社を転職しています。

 

そしてかねてから小説を書いてみたいという想いがあり、33歳の頃に『ペルシャの幻術師』という本を書き、小説家デビューを果たします。講談倶楽部賞という賞を受賞。

そしてこのときから「司馬遼太郎」のペンネームを使い始めます。

 

『梟の城』という作品では、直木賞を受賞し、新聞社を退職して本格的に作家人生をスタートさせます。

 

 

そして40代の頃に『燃えよ剣』『竜馬がゆく』などの名作を生み出します。これらの2作品は「菊池寛賞」という賞を受賞。

 

 

このように数々の賞を受賞し、歴史小説家として名を上げました。

 

司馬遼太郎は人物に着目して歴史小説を書いていくスタイル。『燃えよ剣』の主人公は新撰組の副長の土方歳三。『竜馬がゆく』はその名の通り坂本龍馬。

 

このように、人物にスポットを当てて徹底的に歴史やその土地を調べ上げ、ときにはその子孫にも情報収集する徹底ぶりです。

 

逸話として情報収集のために古書店に軽トラックで行き、手あたり次第に本を買いあさり軽トラックの荷台に入れて運んだとか。1,000万円くらいの金額をひとつの情報を仕入れるのに使用していたと言われています。

 

この努力が「司馬史観」と呼ばれる感性を磨いたんでしょう。

 

 

 

数々の賞を受賞する

晩年には、日本の文化の発展に貢献した人物に与えられる『文化功労章』や『文化勲章』を受賞。

 

 

芸術家の岡本太郎も相談をしたりしていたそうで、ソフトバンク創業者の孫正義氏も敬愛していたそうです。

 

俳優でミュージシャンの武田鉄矢さんや女優の杏さんも大ファンだということを公言しています。

 

多くの人に支持されていましたが、病には勝てず、1996年には 体調を崩し吐血し、そのまま亡くなってしまいます。享年72歳でした。

 

 

 

 

 

 

こだわりの持ち方誠実さ


司馬遼太郎先生からは「こだわりの持ち方」を教えてもらえます。

 

司馬遼太郎先生の大ファンである武田鉄矢さんの著書を読んだときに書かれていたエピソードにとてもグッときました。

 

あまりに克明に描かれていた信長と秀吉が出会ったシーンの描写に驚いた武田さんは「あれは、創作ですか?」と聞いた時の司馬遼太郎氏の答えが次の通り。

 

「いや、調べたんですわ。(中略)私、その日がどんな天気か気になるんです。暑かったか寒かったか、晴れてたか雨か。それは物語を書く時にとても大事な事で、いよんな資料を調べ、その出来事の年月、季節、時刻を絞り込んで、他の文献の天候の記録を重ね合わせて、あんな風に書きました。間違いなくあの日、尾張は快晴やった筈です。私ねぇ、その一行を書きたくて、三年間調べたことあるんですわ」(『老いと学びの極意』武田鉄矢 32pより引用)

 

 

 

まさにプロフェッショナル。カッコ良すぎませんか?!

 

事実を知りたくて、現地に行き、その場で空気や風を感じ、徹底的に地理や歴史も調べ上げて想像したのです。

 

 

司馬遼太郎から学べる教訓 

勉強

司馬遼太郎から学べる教訓は「こだわりを持つときはとことんやること」です。

 

軽トラで本を手当たり次第買い漁り調べていたり、小説を書くために実際に足を運び地理や歴史を徹底的に調べ上げたり、そのこだわりぶりは凄まじいですよね。

 

でも、自分の想いを伝えるためにはこだわるところは徹底的にこだわらないと伝わりません。

 

まだまだ自分は生ぬるいなと反省させられました。司馬遼太郎先生を見習っていきたいものです。

 

 

 

僕まだ読めてませんが、司馬遼太郎先生の名作たちは一生のうちに読んでおきたいですね。

 

『燃えよ剣』

 『竜馬がゆく』

 

 

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

ではまた。

ざす。