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日本史から学べる教訓 vol.26 千利休【カリスマ性のある人の共通点】


Hatena

ども!

ド底辺サラリーマンのけんいちです!

 

歴史は繰り返すと言われます。

歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。

今回は『侘び寂び』『茶道』を完成させた「千利休」です!

 

 

そんな日本の文化を作ったと言っても過言ではない千利休は豊臣秀吉に好かれながらも、最後は自害を命じられます。

 

なぜ秀吉に自害を命じられたのか?

自害を命じられても美を忘れず凛とした姿勢でなぜいられたのか?

千利休の姿勢から「カリスマ性のある人の共通点」が学べます。

 

 

千利休はどんな人だったのか?! 歴史を楽しく学べて現代に活かせることを、わかりやすく簡単な表現で書きました(^^♪

 

 

(約3分で読めます)

 

千利休ってどんな人?

 

千利休

千利休は、安土桃山時代に活躍した茶人です。

1522年、大阪の堺に商人の子どもとして生まれました。

10代の頃にはすでに茶道で名を馳せていたようです。

 

ちなみに背が高く180cmくらいあったようです。勝手に小さいイメージがあったのは僕だけでしょうか。笑

 

千利休は、茶道を大成させ「茶聖」と呼ばれるほどの人物です。

 

当時は「茶道」ではなく「茶の湯」と呼ばれていました。

 

茶道は、単にお茶を淹れて人をもてなすだけではなく、茶道をする和の部屋、禅の言葉が書かれている掛け軸、茶碗などの道具すべて含めた総合的な芸術のことを言います。

 

千利休の二畳一間の小さな茶室が有名ですよね。

茶室

千利休の茶室(https://30047809.at.webry.info/201505/article_6.html参照)



 

「侘び寂び」というものを極めたのがこの千利休です。

 

豊臣秀吉より15歳上の千利休は、織田信長や豊臣秀吉の茶道の先生でもありました。 

有名武将の前田利家や徳川家康も千利休に教えを乞います。

 

特に秀吉は、千利休を重宝し、側近としたのです。

 

しかし、あるときから豊臣秀吉に嫌われてしまいます。

 

色々理由がありますが、そもそも秀吉と千利休は性格が合わなかったのです。

 

豪華絢爛、派手好きの秀吉とは対照的な侘び寂びの千利休ですからね。

客人を招く茶会も、数百人と集めたのは秀吉です。パーティーピーポーですね。笑

 

千利休は二畳一間の茶室でやるくらいですから、「茶の湯」に対しての姿勢がそもそも異なっていました。

千利休には、「自分が『茶の湯』を大成させた!」という自負があります。

しかし、秀吉も「俺のおかげだ」という気持ちがありました。

 

そうしたところから、徐々に確執が生まれてきたのです。

 

また、秀吉の側近ということもあり、結構政治に口を出すようになっていたようです。

秀吉の朝鮮出兵も反対したという話があります。

 

豊臣家の家臣であった石田三成は、当然、千利休をよく思っていませんでした。

 

「いつか、権力つけたら厄介だな〜」とでも思っていたでしょう(想像ですが)。

秀吉への陰口とかもしてたんじゃないかと妄想してしまいます。

 

千利休を側近にまでしてた秀吉は、なんと千利休に「自害しろ」と命じるのです。

 

千利休は、非常に頑固な人で、自分が正しいと思ったことは曲げない人でした。

なんでも一番になりたい秀吉も鼻に付くようになってきたのでしょう。

 

同じようなエピソードで軍師黒田官兵衛への待遇もあります。

秀吉を慕っていた黒田官兵衛を「俺の座を狙ってる!」と勘違いし、隠居生活へ追い込みます。

 

黒田官兵衛の話はコチラ。

www.kkenichi.com

 

 

千利休が秀吉を怒らせたエピソードをひとつ。

黒が嫌いな秀吉。それを知りつつ「黒は古き良き心なり」と黒い茶碗でお茶を出したという。

 

侘び寂びを好む千利休は、基本茶道具は黒でした。いくら目上の人に対しても自分の信念を曲げないでいたのです。

しかし、短気な秀吉はメンツを潰されたことに怒り、千利休を磔にしたり、堺での自宅謹慎を命じたりしました。

 

秀吉の使者が何度か来て、「謝れば許してもらえるぞ!」とアドバイスするも利休は断固拒否。

 

いつまでたっても自分を曲げない利休に秀吉は自害を命じたのです。

 

この千利休の姿勢から学べることがあります。

 

 

カリスマ性を出すために必要なこと

美しい



千利休は戦国時代のカリスマと言われています。

 

利休殿ほど恐ろしい人はおらん(前田利家)

 

あの者が生み出す美の前では、刀も鉄砲も役に立たん(豊臣秀吉)

 

天下の武将がそろって千利休を恐れる理由。

それは、「堂々たる姿勢」だと思います。

 

 

 

権力に屈しない。

自分の信念を貫き通す。

 

才能があったことももちろんですが、「千利休はすごい」と思わせた利休の姿勢がカリスマとさせたんでしょう。

 

 

秀吉も『千利休を困らせたい』といじわるな課題を言ったりしますが、とんちを利かせて平気で答えてしまっていたそうで、それに秀吉はたいそう関心していました。

 

千利休は「茶の湯は自分が大成させた」という自負があったのと、「自分が正しいと思ったものは正しいんだ」という姿勢をもつことで他の者が恐れるくらいのカリスマ性を手に入れたのです。

 

 

千利休から学べる教訓

学び

 

千利休から学べる教訓は、「カリスマ性を出すには、堂々たる姿勢が大切」ということです。

 

もちろん、ハッタリだけではいけませんが、自分を信じ、自分の自信を持つことはとても大切です。

 

戦国の時代なので、自害を命じられて切腹をして千利休は死んでしまいますが、そこまでして信念を貫き通す姿には学ぶことしかありません。

 

秀吉は言うことを利かせたかっただけで、自分の短気から利休を殺してしまったことを後悔したそうです。

 

 

千利休の頑固とも言える堂々たる姿勢から学び、カリスマ性を出せるような人物になりたいと思いました。

 

 

最後に千利休のしびれるエピソードを。

 

千利休の首を持ち帰る役目の使者が訪れたとき「利休さん、あなたは自害を命じられました」というと、「お茶の支度が出来ております」と言い、使者をもてなし、一息ついてから切腹したといいます。

 

最後の最後まで「おもてなしの心」を忘れない千利休の姿勢には感服です。

 

千利休に興味を持った方にはこちらの本もオススメです(^^♪

千利休のわびの心、美意識がわかる本です。

 

 

 

以上、千利休から学べる教訓でした!

最後までお読みいただきありがとうございました!

ではまた。

ざす。