ども!
歴史好きなライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!
歴史は繰り返すと言われます。
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。
シリーズ55人目は戦国武将で人気の高い東北の猛将「伊達政宗」です!
あと10年生まれるのが早ければ天下を統一していたのは豊臣秀吉ではなく、伊達政宗だともいわれていた武将です。
彼の生涯と名言からは学べることがあります。
伊達政宗って何をした人?
伊達政宗から学べる教訓は?
これらのことをざっくりと5分でわかるように解説していきます^^♪
(約5分で読めます)
伊達政宗ってどんな人?
伊達政宗の生涯をざっくり紹介していきます!
4歳で右目を失明
伊達政宗は、1567年に、山形県の米沢で生まれました。
わずか4歳の頃、天然痘により、右目を失明してしまいます。
後世、「独眼竜」と呼ばれる所以です。
また、幼い頃はとてもシャイだったようで、失明をしてさらにふさぎ込んでしまったようです。
17歳で伊達家当主に。そして力を発揮していく
父親の隠居に伴い、弱冠17歳で伊達藩の当主となりました。
「まだ俺には早いよ〜」と一度断りを入れたそうですが、周りの後押しにより、当主となります。
そこからはシャイな政宗とは別人のように、猛将として大躍進していきます。
福島県の二本松城の城主畠山氏と敵対していた中、和睦交渉すると見せかけ畠山氏は伊達政宗の父の輝宗を拉致。
政宗は畠山氏に一斉攻撃を仕掛けましたが、その戦中、父の輝宗は亡くなってしまいます。
ただ、畠山氏をボッコボコにして倒し、二本松城は政宗のものになりました。
そこで、常陸(茨城)の猛将・佐竹義重は、伊達政宗の行動に怒り、最上氏などと連合軍を作り、政宗と戦うことになります。
伊達政宗は超劣勢。
伊達軍約7,800人、佐竹軍35,000人と言われてました。
伊達政宗自身も傷だらけになりながらも、運良く佐竹軍が内戦により撤退していったため、実質勝利を得ました。
まだわずか、18歳か19歳くらいのころでした。
辛勝ではありますが、勝利を続けていきます。
シャイな幼少時代がウソのように、かなりの猛将だったようです。
豊臣秀吉、徳川家康に仕える
伊達政宗は、東北地方を制圧していきます。
ただ、ここまで力をつけた伊達政宗でしたが、豊臣秀吉がすでに天下統一する一歩手前まで来ていたため、伊達政宗は秀吉に仕えるしかなかったのです。
伊達政宗は、あと10年早く生まれてれば天下統一出来たと言われています。
時代の流れには逆らえませんが、伊達政宗は秀吉にさえちょこちょこ反抗的な態度を取っていました。
こんなエピソードがあります。
豊臣秀吉の小田原攻めのときに遅刻。
豊臣秀吉にブチ切れられるかと思いきや、白装束でその場に現れました。
「遅刻して申し訳ありません。死ぬ覚悟は出来ています」というパフォーマンスです。
いかにも秀吉が好きそうなそのパフォーマンスのおかげで一命を取り留めます。
また、よく写真やイラストでも描かれているように、伊達政宗は結構派手な格好をして戦場に現れていたので、「派手なやつだ」と注目されていました。
「伊達に○○してないよ」という言葉も伊達政宗が語源だという説があります。
「格好ばかりじゃないぜ」という意味です。
豊臣秀吉の死後は、徳川家康に仕えました。
自分の娘を徳川家康の息子に嫁がせます。
ここらへんを見ても伊達政宗は世渡り上手なのかもしれませんね。
ただ、ここでも少し反抗的な態度を取ります。笑
徳川家康の命令で、戦をしていたときも、一揆を扇動したり好き勝手な行動をしていました。それを徳川家康にとがめられ、報酬を減額されてしまいました。
日本人”初”外交をした?!
伊達政宗は、海外にも興味を持っており、日本人で初めて西洋に使者を出します。
家臣の支倉常長(はせくらつねなが)という人物含めて180人もの使者をローマやメキシコなどに送り出します。
幕府のキリスト教弾圧により、この外交は失敗に終わりますが、この当時から海外に興味を持っていたなんてさすがですね!!
仙台藩の初代藩主
僕も東北に住んでいますが、仙台の青葉山公園には、伊達政宗の銅像が立っています。
僕も実際に見に行ったことありますが、はちゃめちゃカッコいいです!
仙台を作った人物ですから、仙台の誇りですね。
仙台藩を作り、初代仙台藩主となりました。
そして、晩年は仙台エリアの運河を整備したり、地元の繁栄に貢献しました。
68歳のころ、食道がんで亡くなってしまいますが、「死に顔は誰にも見せたくない」ということで、亡くなったときは妻子にも会わなかったそうです。
最後まで自分の信念を貫く通したんですね。
日常に幸せを感じるコツ
伊達政宗は、豊臣秀吉や徳川家康に強気な態度を取ったり、好き勝手やったりする節もありますが、非常に謙虚な姿勢もあります。
僕の好きな彼の名言で以下のようなものがあります。
朝夕の食事はうまからずとも褒めて食ふべし。
元来客の身に成れば好き嫌ひは申されまじ。
『自分という存在は、この人生という物語に訪れた単なる客なんだ。客の分際で何をわがままが言えようか』
そんな謙虚さを表している言葉です。
人はついつい、ないものねだりをして、欲は止まりません。
何かを手に入れたら、それよりも優れた何かを手に入れようとします。
そんな自分がいたらこの言葉を思い出して謙虚に過ごしたいものです。
気長く心穏やかにして、よろずに倹約を用い金銀を備ふべし。
倹約の仕方は不自由なるを忍ぶにあり、この世に客に来たと思へば何の苦しみもなし。
同じような名言ですが、伊達政宗は、倹約も推奨しています。
そのやり方はとにかく不自由に感じてもそれを我慢すること。
僕はなかなかできていないですが(汗)、これも自分は単なる客人だと思えば贅沢は言えませんね。
見習いたいところです。
このように、伊達政宗の言葉からは「日常に幸せを感じるコツ」がわかります。
幸せというのは、何かを手に入れた時に訪れるものではありません。
既にあるものの中から見出すものだと僕は感じています。
今あるものに感謝して、「これで充分じゃん」と感じられると「あぁ、幸せだな」と感じることもできます。
幸せのハードルを下げてみることが、日常の中に幸せを感じられるコツです。
伊達政宗から学べる教訓
伊達政宗から学べる教訓は『謙虚でいれば日常に幸せを感じることができる』ということです。
ウルグアイの元大統領のホセ・ムヒカさんをご存知でしょうか。
「世界一貧しい大統領」ということで一時話題になったホセ・ムヒカさんのスピーチで次のような言葉があります。
これは、国連の会議の場での発言です。
「我々は、発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。」
彼は、1ヶ月10万円で生活をしていたといいます。
とても一国の長の生活とは思えないですよね。
でも、彼はお金とか裕福さが幸せではないと考えているのです。
伊達政宗の言葉にもありましたが、僕たちは『何が幸せなのか』ということを改めて考えてみるといいかもしれません。
伊達政宗の言葉から学ぶものがとても多くありましたので紹介しました。
最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた。
ざす。