ド底辺サラリーマンの夢の叶え方

https://webplatform.github.io/docs/html/elements/head

まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ

心が軽くなる心理学やオススメの本や映画を紹介しています。※当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。

黒田官兵衛から学べる教訓 何した人か5分で解説 【早い決断が成功への道】


Hatena

ども!

ド底辺サラリーマンのけんいちです!

 

歴史は繰り返すと言われます。歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。 今回は「黒田官兵衛」です!
黒田官兵衛とはどんな人だったのか?! 歴史を楽しく学べて現代に活かせることを、要点だけ簡潔に書きました(^^♪

 

 

 

(約5分で読めます) 

 

黒田官兵衛とはどんな人?

黒田官兵衛

 

 

 

黒田官兵衛は戦国時代に生きた武将です。

 

『軍師 官兵衛』という大河ドラマもあったのでご存知の方も多いかと思います。

 

戦国時代、一番頭の良いと言われた人です!

 

僕も大好きです。

 

『三英傑』と言われる織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた人で「最強のナンバー2」とも呼ばれています。

 

 

なぜ、ナンバー2なのかというと、将軍の補佐役(=軍師)として活躍したからです。

軍略にも非常に長けていたため、「困ったときは官兵衛に聞こう」と思われるくらい頼られていた存在だったのです。

 

10倍の兵力の相手に対して勝利を収めたり、敵を交渉して仲間にしたり、無駄に血を流さないよう水攻めや兵糧攻めをしたりと、とにかく知力の長けた人だったんです。

 

豊臣秀吉の天下統一も黒田官兵衛あってのことだったのです!

 

そんな黒田官兵衛の生涯をざっくりみていきます!

 

 

1546年に姫路に生まれます。1604年まで59歳の生涯でした。

 

当時、小出氏という武将に仕えていました。

 

しかし、姫路は東は織田信長、西は毛利輝元という武将に挟まれていて窮地に陥っていました。

 

小出軍の中では毛利氏に味方するか、織田氏に味方するかで意見が割れていて、毛利氏につくという意見が多いなか、官兵衛はこう言います。

 

 

 

 

「次に天下を取るのは織田信長だ」

 

 

 

当時30歳の官兵衛はすでに才能を発揮していたこともあり、官兵衛のひとことで織田氏に味方する事が決定。

 

織田信長の才能を見抜いた先見の明があったのです。

 

小出氏の使者として織田信長と面会。

そのときにも信長は官兵衛のことをめちゃくちゃ気に入ります。

 

こうして家臣となり、さらに信長に仕えていた羽柴秀吉(=豊臣秀吉)にも重宝されます。

 

 

そして官兵衛を一気に有名にしたのが「中国大返し」という出来事です。

 

 

これは、織田信長が「本能寺の変」で明智光秀に討たれたときのこと。(厳密には自害ですが)

 

当時、中国地方を攻めていた豊臣秀吉はこれを聞いてショックを隠せません。

 

しかし、冷静に先を見ていた黒田官兵衛は秀吉にこう言います。

 

 

ご運がめぐってまいりましたな

天下をお取りなさりませ

 

 

君主である織田信長の敵討ちが出来れば天下が取れると読み、助言したのです。

 

当時秀吉が争っていた毛利軍へは休戦を提案して完了させ、そして、電光石火のごとく中国地方から京都までの200km以上をわずか10日で戻ったのです。

 

この大移動のことを「中国大返し」と言います。

 

そして、明智光秀を「山崎の戦い」で打ち破ったのです。

 

 

このように、豊臣秀吉が天下を統一する手助けをしたことで官兵衛は一躍有名になりました。

 

ただ、頭が良すぎた官兵衛は悲運にも秀吉に疑われます。

 

官兵衛は即決して決めたことは

自分が熟慮して決めたことと

ほとんど同じだ

 

 

天下を統一した秀吉が熟考して決断した選択をいとも簡単にやってのける官兵衛に危機感を覚えた秀吉は、官兵衛に褒美を与えず不当に扱いました。

 

秀吉は家臣たちに「私の次に天下を取るものは誰だと思う?」と聞きました。

皆、徳川家康や前田利家などの有力武将の名前を挙げましたが秀吉は「官兵衛がその気になれば私が生きてる間にも天下を取ってしまうだろう」と言ったそうです。

 

これほどまでに恐れていたのでいつか裏切ると考えていて、官兵衛を不当に扱います。

 

これにショックを受けた官兵衛は一線から退き、隠居生活を始めます。

 

 

しかし、しばらくの隠居生活から黒田官兵衛は立ち上がりました!

 

 

秀吉の死後、勢力を伸ばしていた徳川家康。

石田三成との戦いである『関ヶ原の戦い』を官兵衛は狙いました。

 

徳川家康が勝つだろうと読んでいた官兵衛は、石田三成と戦い勝利した後、疲弊しきった徳川軍を狙い撃ちして勝利し、天下を取ろうと目論んだのです。

 

花々しく一合戦つかまつる

 

そう言うと九州で隠居生活をしていた官兵衛は兵力を集め上京していきます。

 

 

随分兵力も集まったところで、いざ「関ヶ原の戦い」がスタート。

 

 

しかしここで、誤算が。

 

ぼろぼろになった家康を討ちたかったので、『関ヶ原の戦い』が長引いてほしかった官兵衛。

しかし関ヶ原の戦いはなんと半日で終わったのです!


「うっそーーん」って感じだったでしょう。笑


半日で終わった原因を調べると、さらに切ないんです。。。

 


石田光成側の小早川氏が寝返って味方を攻撃し、石田光成軍は混乱してしまい、あっという間に徳川家康軍の勝利が決まりました。


この小早川氏の謀反を成功させたのはなんと黒田官兵衛の息子の『黒田長政』でした。


官兵衛は「このたわけもの・・・天下を取れたチャンスをつぶしやがって・・・」と嘆いたことでしょう。
長政は武力はあったのですが、頭がよくなかったそうです。
そんな長政は、お父さんのもとに自信満々に成果を上げたことを報告をしてきました。
そのときの会話は次のようなものでした。

 

長政「徳川家康将軍が『よくやった!』と褒めてくれ、強く手を握ってくださいました!」
官兵衛「・・・その手はどちらの手だった?」
長政「・・・?右手です」
官兵衛「そのときのお前の左手は何をしてたのだ!」

 


空いていた左手で家康を殺すことができたのにお前はなぜやらなかったと叱責したのです。

 


天下統一ならず、徳川家に仕える形でそのまま黒田官兵衛は生涯を終えることになりました。

 

官兵衛は、非常に頭の切れる人でしたが、その天才がゆえに周りから不当な扱いを受けたり、天下統一を息子に邪魔されたり、非常に悲運な人だったのです。


そんな智将・黒田官兵衛から学べる教訓を書きます。

 

 

 

早い決断が成功への道

 

決断

 

黒田官兵衛は、頭が良いだけでなく、決断するスピードが早い。

 

豊臣秀吉に進言した「中国大返し」もあの機転とスピードがあったからこそ成功したのです。

 

おそらく他の人であれば、毛利氏を倒してから戻ると言う決断をしていたでしょう。

 

現に、秀吉以外にも全国で戦っている織田信長の家臣はいました。

 

誰にだってチャンスはあったのです。

 

即断即決が要だ!と思った黒田官兵衛だからこその行動で、それにより秀吉は一気に織田信長の後継者として一歩リードできました。

 

 

戦は考えすぎては勝機を逸する

たとえ草履と下駄とをちぐはぐに履いてでも

すぐに駆け出すほどの決断

それが大切だ 

 

 

これは戦だけではなく、現在でも言えることではないでしょうか。

考えて考えて決断を先延ばしにしても、即決したときと対して結果が変わらないことも多いかと思います。


『すぐに駆け出すほどの決断』

黒田官兵衛が言うと非常に重みがあります!!

 

中国大返しに見られるようにチャンスはやってきたらすぐにモノにしないと失敗します。


「草履と下駄をちぐはぐに履いてもいい」と官兵衛が言っているように、ある程度見切り発車でもいいのです。

 


決断するスピードが成功への道です。

 

 

黒田官兵衛から学べる教訓

 

教訓

黒田官兵衛から学べる教訓は「早い決断が成功への道」ということです。

もちろん準備は必要です。


しかし、時には、早い決断をしないといけないことがあります。


ビジネスのシーンでも同じことが言えますよね。


僕はメーカーの営業マンですが、自分の会社がやろうと思っていた仕事を先に競合他社がやってしまい、行動できなかったこともありました。


即決して先に行動を起こし、動きながら修正していくというスタンスでいいのではないでしょうか。


成功を収めるためには早い決断が必要です。


そんなことを黒田官兵衛は教えてくれます。


他にも、官兵衛は死ぬ間際に息子の長政にこんな言葉を残しています。

 

軍は死生の境なれば、分別するほど大義の合戦は、なりがたきものなり


「戦は、生と死と隣り合わせなものなので、考えすぎるほど重要な合戦はできない」という意味です。


現代に戦はありませんが、何事もやはり「考えすぎ」は毒なのではないでしょうか。

 


黒田官兵衛を見習い、早い決断を心掛け、行動力をアップさせていきたいと思います!

 

 


最後までお読みいただきありがとうございました。


ではまた。
ざす。