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まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ

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小早川隆景とはどんな人?彼から学べる教訓【慎重だから大胆になれる】


Hatena

ども!

ライフコーチのけんいちです!

 

『まだ見ぬ世界、自分に出会えるブログ』へようこそ。

このブログではライフコーチの観点から心が楽になる考え方をシェアしたり、オススメの本や映画の紹介をしたりしています。

このブログを通して知らなかったコトやモノに出会え、新たな世界が開けるかも?!

 

 

 

僕は歴史が好きで良く調べたり本を読んだりしています。

 

歴史は繰り返す。

歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)

シリーズ108人目は、戦国時代の武将「小早川隆景」です!

 

戦国時代の武将で、毛利元就の三男。

織田信長とも戦い、豊臣秀吉とも戦った人物。

 

豊臣秀吉とは、敵対関係であったにもかかわらず、のちに「日本の西は小早川隆景に任せておけば大丈夫」と信頼されるまでになります。

そこまで信頼を得られることができた秘訣は、彼の慎重さにあると僕は感じました。

彼の生涯を知ると「慎重だからこそ、大胆になれる」ことがわかります。

 

 

 

(約5分で読めます)

 

小早川隆景とはどんな人?    

小早川隆景

小早川隆景(Wikipedia参照)





幼い頃から名将の片鱗を見せる

 

小早川隆景は、1533年に安芸国(現在の広島県西部)で、戦国大名の毛利元就を父として生まれます。

 

なぜ、小早川という苗字かというと、毛利家と友好関係にあった小早川家の跡取りがいないまま当主が亡くなってしまったので、養子として小早川家にいくこととなったためです。

 


小早川家に養子としていった後も、父親の毛利元就の戦に従軍し活躍します。

特に大きな戦だった「厳島の戦い」

あの世界遺産の厳島神社があるところです。

 


陶晴賢(すえはるかた)という人物が2,3万の兵を挙げて勝負を仕掛けてきます。そこに、小早川家の跡を継いだ隆景が、水軍を率いて応戦。

 

小早川家は元々水軍を持っていたのですが、その統率を養子に来たばかりの隆景が担い、わずか4,5千の兵力であったにもかかわらず大勝利を挙げます。まだ弱冠18歳くらいの頃でした。

 

これ以降の戦でも大活躍していきます。

 

 

織田信長、豊臣秀吉との戦い

 

小早川隆景は、メキメキ力を付けていきますが、お兄さんである長男の毛利隆元が若くして亡くなってしまいます。

 

毛利隆元の息子である輝元はわずか11歳。しかし、家督を担っていく人物であったため小早川隆景は、毛利家から出ていましたが、輝元を厳しく育てていったと言われています。

 

この毛利輝元は、のちに豊臣家の重臣である『五大老』に任命され、関ヶ原の戦いでは西軍の総大将になるまでの人物に

 

小早川隆景の教育のおかげもあったのではないでしょうか。

 

そして親父の毛利元就の死後、状況が変わってきます。

 

毛利輝元は、織田信長と揉めていた室町幕府の将軍の足利義昭を保護したせいで、織田信長と敵対することに。

 

織田信長と戦うことになった、毛利家with小早川隆景ですが、織田軍は鉄砲を使ったり、頑丈な鉄板を船体に取り付けた「鉄甲船」というものを使ったり、最新鋭の水軍で攻めてきて、毛利家は敗北してしまいます。

 

織田信長は毛利家の見張り役に豊臣秀吉をつけます。

そして豊臣秀吉とも戦うことになっていくのです。

 

豊臣秀吉にも押され気味で、状況が良くなかった矢先、織田信長が亡くなる『本能寺の変』が起きます。

広島方面で毛利家と戦っていた秀吉は早々に切り上げて、織田信長を自害に追い込んだ明智光秀を討ちに行きます。たった11日間で京都まで戻ったと言われている有名な『中国大返し』です。

 

豊臣秀吉からの絶大なる信頼

 

これで難を逃れた毛利家。小早川隆景が柔軟だったのは、豊臣秀吉が優勢と判断するや否や味方についたこと。

 

豊臣秀吉が、四国や九州を攻めるときに小早川隆景も従軍し活躍。その後も次から次へと秀吉のために戦い、60歳を過ぎてからも朝鮮出兵に参戦して功績をあげるなど、大活躍。

 

天下統一した秀吉からも「日本の西は小早川隆景に任せておけば大丈夫だ」と言われるほどに。

 

ただ、朝鮮出兵からほどなくして64歳で亡くなります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

慎重だから大胆になれる

大胆な人





彼は水軍を率いて勇猛な武将であっただけではなく、敵対していた相手(豊臣秀吉)とも、和睦を図り家来になる柔軟さも持っている人でした

小早川隆景は、石橋を叩きまくって渡るくらいの超慎重な人。

 

彼の名言で「すぐわかりましたという人間に、 わかったためしはない。」という言葉があります。

 

即答で「わかりました!」と言う人は自分の頭で何も考えずに言葉を発しているという意味でもあります。

 

そんな人は信用しちゃいけないということです。

 

 

また、部下に手紙を書かせるときにはこう言ったそう。

 

「急ぎの案件だ!ゆっくり書け!」

 

これはどういうことかと言うと、「急いでいるからこそ間違えないように慎重に手紙を書きなさい」ということ。スピード感が求められることほど慎重にいることの大切さがわかります。

 

 

 

小早川隆景から学べる教訓 

勉強

小早川隆景から学べる教訓は「慎重にいるからこそ大胆になれる」ということです。

 

この慎重さと強さを兼ね備えているから、秀吉も彼を気に入っていたのでしょう。

 

僕たちの仕事でも信頼を得るためには非常に大切なこと。

 

スピード重視にしていると中途半端に物事を進めてしまったり、失敗を招いたりすることもあります。スピードを求められることは慎重さもとても大切。

僕は、ある仕事に取り掛かっているときに上司から「ゆっくり早くやろう」と言われたことがあります。

 

まさに小早川隆景が言っていることと同じだ!と思いました。笑

 

彼の慎重さから学び、自分たちの活動に活かしていきましょう!

 

 

 

彼についてもっと知りたい方は以下の本があるのでぜひ(^^♪

 

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

ではまた。

ざす。