ども!
ド底辺サラリーマンのけんいちです!
歴史は繰り返すと言われます。
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。
今回は江戸時代に、旗本⇒大名⇒老中と超出世を果たした「田沼意次」です!
「田沼時代」と呼ばれる彼が行ったことからは「節約と投資のどっちが大切か」ということが学べます。
田沼意次はどんな人だったのか?! 歴史を楽しく学べて現代に活かせることを簡潔に書きました(^^♪
(約5分で読めます)
田沼意次ってどんな人?
昇進しまくるエリート
田沼意次は江戸時代の旗本、大名、老中を経験した人です。
旗本とは、将軍の直接的な部下のことです。下記画像がわかりやすいので参考に。
将軍の下の「大名」は自分の支配する土地が1万石以上の人のこと。
1万石以下は「御家人」「旗本」と呼ばれるのです。
補足ですが、よく聞く「石」という単位。
これは豊臣秀吉の『太閤検地』から用いられたもので、ざっくり言うと、その人の田畑や土地、屋敷などの大きさなどを、コメの生産力に換算して算出した単位です。
1石=大人1人が1年に食べるコメの量
1万石といえば、1年間で1万人の人を養える能力があると言うことですね!
田沼意次も1万石以下の旗本(600石だったそう)から1万石以上の大名へと躍進したのです。
田沼意次は、1719年、江戸で生まれます。
お父さんは、今の和歌山県の紀州藩士から旗本へと栄転し、江戸に移り住んでいたのです。
お父さんはのちの江戸幕府8代目将軍の徳川吉宗の側近でした。
故に、田沼意次も徳川将軍の家臣となるのです。
徳川吉宗のあとの9代目の徳川家重のときに、重要な仕事を与えられ、昇進していきついに1万石以上の土地などの資産を手にし、大名になります。
10代目の徳川家治のときにも、将軍の信任も厚く、あれよあれよと昇進。
わずか600石だった資産も5万7000石へと大躍進。そして老中になります。
単純に資産が95倍ってヤバイですよね。笑
老中というのは、大名の中でも2万5000石以上の人から抜擢され、4〜5名くらいしかいない江戸時代の最高権威です。
そんなエリート田沼意次は、財政難だった江戸幕府を立て直すために奔走するのです。
田沼時代と呼ばれる政治
「田沼意次といえば、ワイロ政治!」
と言われていますが、はたして本当に悪政だったのでしょうか。
「田沼時代」と言われる政治ではざっくり3つのことをしました。
①株仲間の結成
問屋が、商人たちの間で株仲間という組織を作り、上納金を収める代わりに販売の独占権を与えるようなことをしました。
幕府にお金も入ってくるし、組織化した方が商人の統制も図れるとされたのです。
実際に経済は上向いてきました。
しかし、田沼意次の死後、天保の改革で有名な水野忠邦は、「物価高騰の原因だ!」として株仲間の解散を命じたりしました。
田沼意次は低迷した経済を活発化させるための株仲間を奨励しましたが、インフレになりすぎて止められたって感じですね。
経済はそれの繰り返しなので良い悪いはないかと思いますが。
②海産物などの輸出強化
「不作とかで不安定になるお米よりも貨幣で資産を持っておいた方がいい!」
ということで、干しアワビやいりこなどの海産物を輸出し、海外から金や銀と交換してもらいました。
こうして、貨幣が増えていきました。
③土地の開拓
印旛沼、手賀沼の開拓をしました。
沼の開拓ってなんやねんというところですが、沼と言いつつこのふたつは千葉県にある湖です。
この湖を開拓して埋め立てて田んぼにして米の収穫を増やそうとしていたのです。
しかし、途中で大洪水に合い、断念して実現にはなりませんでした。
ワイロの温床を作った
景気は良くなりましたが、株仲間で商人に独占権を与えたりすると、金で物を言わす人が現れます。
また、貿易で金銀の輸入を増やしたことも災いし、ワイロが横行してしまったんですね。
一般庶民からは、田沼意次は批判され、10代将軍の家治が亡くなると田沼意次も失脚してしまいます。
老中を辞めさせられ、減俸されましたが、かろうじて1万石以上の大名の座はキープ。
最後は不運な末路でしたが、70歳で亡くなります。
批判されていた田沼意次でしたが、財政難の時に節約路線から経済の活性化へと舵を切ったことは僕は評価できるのでは?と思っています。
節約と投資のどっちが大切か
田沼意次は、これまでの節約路線から、お金を動かす施策を選びました。
ワイロが横行したり、物価高騰により、後から批判はされましたが、経済は活発になったので結果は出ていました。
賛否両論あるかもしれませんが、節約ばかりではダメだということを教えてくれます。
庶民に対して節約でコストカットをしていたら、反発されたでしょう。
庶民から奪うのではなく、お金を使わせる方策だったので潤った人も多かったはずです。
お金は動かさないと回っていかない。
お金は血液と同じで節約ばかりで溜めてしまうと死んでしまいます。
田沼意次が、株仲間を奨励し、海外貿易を推進し、沼の開拓(失敗したが)を進めていかなかったら当時の江戸はどうなっていたのでしょう。
節約も大事なので、すべてはバランスですが、「節約ばかりではダメだよ」ということを田沼意次から学べます。
田沼意次から学べる教訓
田沼意次から学べる教訓は「投資の大切さ」です。
田沼意次のしたことは投資と同じです。
節約をやめて、お金を動かすということ。
個人であれば自分のために、組織のリーダーであれば組織のために、投資をどんどんするべきです。
僕の場合、お金を貯めることで資産を増やそうとしてましたが、それは限界もあるし、モチベーションが高まりません。
苦しいだけでした。
自分に対する投資では何ができるか?
よく考えてほどよい節約と大胆な投資で僕も資産を増やしていきたいと思いました!
田沼意次の経済の立て直しなどが詳しく学べる本もありますのでもし良ければ(^^♪
日本史をトータルで学びたい方は、こちらがオススメ!
この人の本はとても分かりやすく、歴史が流れでまるわかりです!!
世界史バージョンもありますので、興味のある方はぜひ(^^♪
最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた。
ざす。