ども!
ライフコーチのけんいちです!
『まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ』へようこそ。
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このブログを通して知らなかったコトやモノに出会え、新たな世界が開けるかも?!
僕は歴史が好きで良く調べたり本を読んだりしています。
歴史は繰り返す
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)
シリーズ135人目は、徳川11代目将軍の「徳川家斉」です!
家斉は、8代目将軍徳川吉宗の孫の徳川 治済(とくがわはるさだ)の息子。吉宗はひいおじいさんにあたるということですね。
10代目将軍の徳川家治も吉宗の孫だったので家斉の父親が、家治と従兄弟の関係にあたりました。
家斉は子宝には恵まれ、なんと正室と側室合わせて50人以上、子どもを作ったそうです。
大河ドラマ『大奥』のような豪華絢爛の全盛期が家斉の時代です。一方で家斉の時代がピークだったので徳川幕府衰退のスタートとも言われています。
彼は昼から酒を飲み、政治には興味なしで遊び呆けていたと言われてますが、化政文化というひとつの文化が繁栄したことには寄与しました。
そんな徳川家斉の生涯をざっくりポイントのみ触れてわかりやすく解説。
そしてそこから現代を生きる僕たちにもタメになる教訓をご紹介していきますね。
10代目将軍の家治については以下の記事でまとめています。
徳川家治とはどんな人?彼から学べる教訓【部下を信頼する】 - まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ (kkenichi.com)
彼の生涯や主張を知ると、「芸術や文化の発展のさせ方」が学べます。
(約5分で読めます)
徳川家斉とはどんな人?
15歳で将軍就任!
徳川家斉は1773年に生まれます。徳川幕府が出来てから170年後。15代目まで続きますが、ひとつの政権がここまで続くって改めてすごいですよねぇ。
11代目将軍の家斉は、1個前の10代目の家治とは血縁ではなかったのですが、家治の息子が18歳で亡くなってしまったこともあり、養子として迎え入れられたのです。
そして、当時政治を行っていた田沼意次の推薦もあり、家治が亡くなった際、家斉が15歳で将軍となりました。
「寛政の改革」
歴史の苦手な人でも、一度は聞いたことあるのではないでしょうか。
家斉の時代には老中に「松平定信」が付きます。(老中とは将軍の次に偉い役職で主な政治を取り仕切ります。)
この松平定信の行った政治が寛政の改革。かなりの手腕を発揮しました。
実は松平定信は、家斉と11代目の将軍候補を争ったくらいの人物なのです。
徳川家では、跡取りは男であることが条件なので、跡取りが絶えないよう「御三卿」という分家の制度を8代目将軍の吉宗が作りました。(御三家はもっと古くからあります)
将軍に息子ができなくてもこの御三卿の家柄の者であれば将軍職につけます。
実際、松平定信は御三卿のひとつの田安家という家の人で、かなり頭が良かったそうです。
その松平定信を老中へ抜擢したのです。
ただ、寛政の改革は、質素倹約、商人への重税などが激しく、町民からは猛反発が出てしまいます。
そして、「天明の大飢饉」と言われる飢餓が広まったり、「天明の大噴火」と言われる天災もあり、余計に町民の生活は苦しく「大塩平八郎の乱」のような事件も起きてしまいます。特に「天明の大飢饉」は凄惨で、食べ物がなく人の肉を食べたなんて記述も残されています…
この時代には「前の田沼意次の時代が恋しい」なんて言われる句まで読まれるようになってしまいました。
徳川家斉と松平定信の軋轢
政治はせずに遊び呆けていた家斉にとって右腕だった松平定信との別れのときがきます。
徳川将軍は代々将軍の父が「大御所」と呼ばれる立場で政治に関わっていることがほとんどでした。
家治が亡くなり、養子として将軍になった家斉は、自分の実の父親を「大御所」にしようとしたのです。
これに松平定信は猛反対。実際に将軍ではなかった人を大御所として政治をやらせてはめちゃくちゃになっちゃいますからね。
でも、「ふざけんな!テメーに言われる筋合いはねぇ!」と家斉はブチ切れ。
松平定信の改革はかなり無茶で理想も高かったこともあり幕府内でも不満が出ていたのでこの事件も相まって松平定信は罷免されてしまいました。
幕府の財政が破綻…
松平定信がいなくなると、政治には興味のない家斉はますます大奥に入り浸り、贅沢三昧。
そして子供もたくさんいるので生活費は膨大に。
さらに当時は海外から国交を結ぼうと外国船が日本に顔を出すようになり、「異国船打払令」が出されていたために外国船への対応の防衛費も膨大に。
まともに政治できる人がいなくなり、また、農民の貧富の差も開く一方で農業を放棄する農民が増え、作物も少なくなり税金も減ります。
そして幕府の財政は破綻していくのです。
化政文化が発展
家斉の政権は一番長い50年も続きます。
しかし、政治においては江戸幕府の衰退の序章となってしまうようなものでした。一方で芸術などの文化は発展しました。
松平定信の行っていた「寛政の改革」は質素倹約が推し進められていましたが、彼を罷免したあとは、将軍自身が贅沢を極めていたように、町人の生活もゆるくなり、文化が栄える素地ができていたのです。
お金に余裕があると、娯楽や芸能が流行ります。歌舞伎、川柳、浮世絵や今で言う漫画にあたる滑稽本というものまで流行りました。
家斉が狙っていたとは思えませんが、こうした娯楽を楽しむ余裕が出来たことにより後世にまで発展する日本の文化が出来上がったのです。
芸術や文化の発展に必要なこと
僕が徳川家斉の生涯から学んだことは「芸術や文化の発展にはお金を使おう」ということです。
芸術や文化、娯楽って後回しにされがちですよね。
コロナウイルス蔓延したときも、潰れていく美術館やライブハウスなどが目につきました。
娯楽や芸術は無いと生きていけないものではないけれど、人間の生きた証のようなものだと感じています。
後世の人に残していくためにも芸術や娯楽にもしっかりお金を使いたい。
僕はこうした「体験」にお金を払いたいし、今後は「体験」にお金を払う人が増えると思っています。
僕らにできることとしては芸術や娯楽が途絶えないようお金を使うことではないでしょうか。
家斉の時代の化政文化を見ているとそんなふうに感じました。
徳川家斉から学べる教訓
徳川家斉から学べる教訓は「芸術や文化、娯楽の発展にはお金を使おう」ということ。
化政文化で歌舞伎が発展したからこそ現代も観れるのかもしれないし、滑稽本があったから日本のマンガは世界的人気になれたのかもしれません。
後世に文化を残すためにも今を生きる私たちがお金を使おう。
僕は「体験」にどんどんお金を使っていこうと思いました。
徳川家斉の政治については、以下の本で詳しく書かれています。気になる方はぜひ。
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最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた。
ざす。