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日本史から学べる教訓 vol.16 武田信玄【統率力のある人の特徴がわかる!】


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ども!

ド底辺サラリーマンのけんいちです!

 

歴史は繰り返すと言われます。

歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。 今回は「武田信玄」です!武田信玄はどんな人だったのか?! 歴史を楽しく学べて現代に活かせることを簡潔に書きました(^^♪

 

 

 

 

 

武田信玄ってどんな人?

 

武田信玄

 

武田信玄は、戦国時代(室町時代)の名将で、誰もが知っている最強の武将です!

 

知らない人はまずいないんではないでしょうか。

 

現在の山梨県に当たる甲斐の国出身。

甲斐源氏の嫡流です。

源氏なので、鎌倉幕府を開いた源頼朝とは遠い遠い親戚になります。

 

1521年に生まれ、1573年に51歳で病気で亡くなりました。

 

武田信玄は、とにかく強かった! 

気性も荒く、勝利のためならなんでもする貪欲な性格だったともいいます。

 

今の長野県である信濃国も平定しました。

 

武田信玄の信濃侵攻を考えるのに、下記の地図がわかりやすいです。

 

信濃国地図

信濃侵攻地図(Wikipedia参照)

 

武田信玄は出家してから「信玄」とい名乗っていたので、上記地図の「晴信」が出生名です。

 

 

 

幾度もの戦いで信濃国を脅かし、とうとう信濃国で勢力を拡大していた「村上義清」も、降参。

 

「助けて〜〜」

 

と村上義清が助けを求めたのが、

武田信玄の永遠のライバル「上杉謙信」(長尾景虎)です!

 

上杉謙信は、越後国の大名。

越後は今の新潟県にあたります。

 

信濃と隣だったこともあり、

「よし!私が武田信玄から信濃国を取り返してあげましょう!」

 

と、兵を挙げたのです。

 

 

こうして、今の長野県であの有名な「川中島の戦い」が始まります。

 

 

武田信玄といえば、上杉謙信!川中島の戦い!って感じですね^_^

 

歴史好きにも人気のこの世紀の大決戦。

 

10年にも及び、5回も戦った非常に大きな戦いだったのです。

 

1回目の戦いでは、上杉謙信は次々と武田信玄の軍を破っていきます。

 

さすが上杉謙信も強い!

 

しかし、武田信玄は積極的に攻めることもせず、1回目は両軍とも撤退。

 

武田軍も痛手を追いました。

 

2回目の戦いでは、武田信玄は仲間を増やします。

 

相模国(神奈川)の北条氏、駿河国(静岡)の今川氏などと同盟を結びました。

 

北の上杉謙信と戦っている間、南の相模や駿河を仲間にしておくのは流石ですね!

 

後ろから攻められる危険を排除したのです。

 

しかし、この2回目の戦いも200日以上かけたのに引き分け。

 

駿河の今川義元の仲介で和睦して終わりました。

 

3回目の戦いでは、和睦したにもかかわらず武田信玄が攻めます。

 

「またかよーー」と上杉謙信は思ったでしょう。笑

 

しかし、これも決着つかず。

 

武田信玄は決戦の火蓋は切るのに、意外に慎重。

決戦を避け続けます。

 

こうした行動にはあの有名な「風林火山」という考え方が元になっているんです。

 

武田信玄は「風林火山」という旗を掲げて戦をしていました。

 

軍を移動させるときは風のように動き、林のように静かに陣を引き、攻めるときは火の如く攻める。そして、守るときは山のように屈強に守る。

 

 

「動かざること山の如し」

って聞いたことありますよね。

これも武田信玄の戦略です。

 

軍略に長けた信玄だからこそ、「勝つとわかった」勝負しかしないのです。

 

そして第4回目の戦いは川中島の戦いの中で一番大きな戦いと言われています。

 

この戦いでは、武田信玄軍の副将である実の弟や、重臣だった武将も亡くなっています。

 

両軍とも非常に多くの死傷者を出したのです。

 

勝ち負けは付かず両軍ボロボロ状態で休戦。

 

5回目の戦いも睨み合いで終わりました。

 

 

10年も続いた戦いでしたが、決着は付かず。

 

あれほど強かった武田信玄でしたが、それでも破られない上杉謙信もめちゃくちゃ強かったのです!

 

 

第4回目の戦いでは、武田信玄と上杉謙信が一騎打ちしたと言われてますが、それは創作だという説もあります。

 

 

 

でも、長野県に一騎打ちの像がありますよ。

 

武田信玄と上杉謙信の一騎打ち像

武田信玄と上杉謙信の一騎打ち像(長野市八幡原史跡公園)

 

 

 

 

統率力のある人は「人」を大切にする

 

リーダー

 

戦に戦を重ねる気性の荒い武田信玄でしたが、非常に人を大切にする人だったとも言われています。

 

武田信玄の有名な言葉で次のような言葉があります。

 

「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」

 

 

城や石垣は、単なる建物ではなく、人なのだと。

 

人を大切にしなければ、城なんか意味がない。

一番大切なのは人なのだ、という考えです。

 

 

人の関係がうまくいってないと、城や陣営など簡単に崩れると考えていたのです。

 

武田信玄は実の父を追放したり、息子を切腹させたりと、非情なこともしています。

 

それでも家臣からは非常に人気があったのです。

 

血の繋がった家族にも容赦しない武田信玄ですが、私情を挟まず、常に国のことを考えている行動が魅力的だったんではないでしょうか。

 

 

 

 

武田信玄から学べる教訓

勉強

 

武田信玄から学べる教訓は、「統率力のある人は『人』を大切にする」ということです。

 

これは現代にも同じことが言えます。

 

会社も同じですよね。

会社というのは事務所や建物のことではなく、人そのものだと僕は思います。

 

会社を大きくすることだけ考えて、人をないがしろにしたらその会社は潰れるでしょう。

 

 

会社は人なのだ。

組織は人なのだ。

 

と考えることがリーダーに必要な考え方です。

 

家臣に絶大な信頼を得ていた信玄からは、そんなことが学べます。

 

組織のリーダーとして動く人には大切の教えですね。

 

 

 

統率力のある人の特徴は「人を大切のすること」。

 

 

これを忘れずに僕も成長していきたいと思いました(^^♪

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

 

 

ではまた。

ざす。