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まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ

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直江兼続とはどんな人?彼から学べる教訓【生きていれば挽回できる】


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ども!

ライフコーチのけんいちです!

 

『まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ』へようこそ。

このブログではライフコーチの観点から心が楽になる考え方をシェアしたり、オススメの本や映画の紹介をしたりしています。

このブログを通して知らなかったコトやモノに出会え、新たな世界が開けるかも?!

 

 

 

僕は歴史が好きで良く調べたり本を読んだりしています。

 

歴史は繰り返す

歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)

 

シリーズ116人目は、戦国時代、上杉家に忠誠を誓い、米沢藩を繁栄させた手腕の持ち主「直江兼続」です!

 

大河ドラマの主役にもなるほど、人気の武将。徳川家康が天下を取ろうとしているときも物怖じせず「直江状」という挑発的な書簡を送ったことでも有名。

 

一度は、死をも覚悟した彼でしたが、あるキッカケで生き延び、その後、米沢藩の繁栄のために奔走して成果を残しました

 

そんな彼の生涯を知ると、「生きていればいつからでも挽回できる」ということが学べます。

 

 

 

(約5分で読めます)

直江兼続とはどんな人?

直江兼続

直江兼続(Wikipedia参照)




上杉謙信に気に入られる

 

直江兼続は、1560年に新潟県に生まれます。

彼の名前が史実に載るのは20歳になったくらいのときからであまり幼少期の頃は歴史に残されていません。

 

直江兼続が生まれたくらいのときは、新潟では上杉謙信という猛将が名を馳せていました。

上杉謙信

上杉謙信(Wikipedia参照)

 

直江兼続は、その上杉謙信にとても気に入られていたそうで、上杉謙信の養子であった上杉景勝の側近として抜擢されるのです。

 

直江兼続の幼少期の活動は、史実が残されていないのでハッキリわかりませんが、上杉謙信から気に入られていたことから想像すると、当時から優秀だったことが伺えます。

 

上杉謙信は、織田信長を撃退するほどの力の持ち主でしたが1577年に亡くなってしまいます。後継者を決めずに病死してしまったために、上杉家の跡取り争いが起きます。(御館の乱)

 

その結果、直江兼続が側近をしていた上杉景勝が後継者となり、上杉家を継ぎました。上杉景勝とは同年代だったこともあり主従関係以上の友情もあったと言われています。

 

上杉景勝

上杉景勝(Wikipedia参照)

 

 

 

 

上杉家の中で大出世

  

上杉謙信がいなくなり、攻勢をしかけてきた織田信長が『本能寺の変』で亡くなります。

そこで台頭した豊臣秀吉からは上杉景勝は会津(福島県)に120万石の領土を与えられ、上杉家は評価されていました。

 

1万石あれば大名になれる時代に、その100倍以上。おおよそですが、今の県を4つ分くらい合わせた広大な領土が100万石くらいなので、それをさらに凌ぐ大きさだったのですね。

 

上杉家はかなりの勢力を付けていました。その中でも直江兼続は今の山形県である米沢に6万石を与えられ、上杉家の中でも大出世。

 

上杉家に忠誠を誓う義将として名を馳せました。

 

 

 

徳川家康との対立と『直江状』

 

豊臣秀吉も亡くなると、秀吉の側近である五大老のうちのひとり徳川家康が勢力を拡大しようと動きます。

上杉景勝も五大老のひとり。ここから上杉家と徳川家康は対立します。


 

 

 徳川家康はこのとき上杉景勝が新しい城を建てようとしているのを不審に思い尋問するような書面を送りました。

簡単に言うと「やめろ」ってことなのですが、直江兼続がこれに対して代わりに書面をしたためました。

 

それが『直江状』と言う手紙。

 

内容は、

「謀反なんかするわけないのに、『謀反するつもりないなら上洛せよ』なんて子どもみたいなこと言われたら困ります」

「根拠もない訴えをした者の言うことを聞いたことで不平等な扱いをされるなら、上杉家が反旗を翻して天下とっても文句言わないでくださいね」

 

 

というようなかなり挑発的な内容。徳川家康なんて倒そうと思えば倒せるよと言っているようなものです。

 

まぁこれに怒り心頭になり徳川家康は、上杉家を攻めようとしますが、ここで石田三成が挙兵したことで、上杉家征伐を諦め軍を戻します。これで石田三成と争った戦いが「関ヶ原の戦い」です。

 

上杉景勝は石田三成の勢力の味方につき、徳川家康と対立。

直江兼続は石田三成ととても仲が良かったようです。

 

しかし、「関ヶ原の戦い」は、予想に反してたった1日で決着がついてしまったのです。石田三成が負けてしまい、徳川家康にも詰め寄られ、上杉家は大ピンチ。

 

この戦でもう勝ち目がないと悟った直江兼続は自害しようとします。しかし、戦友の前田慶次に止められて自害を免れたようです。男の友情ですね。

 

米沢藩の繁栄

 

関ヶ原の戦い後は、米沢の繁栄に尽力しました。

当然、石田三成側に付いていた上杉家は減俸されます。

 

会津に120万石あった領土も米沢の30万石に減らされたのです。お給料が1/4へカットと同然

 

直江兼続はここからの活躍がすごい!!
 

食べ物=お米を作らないといけないため、農業のために治水事業に力を入れました。他にも鉱山の開発や町の整備に力を入れて、米沢の人々を救います。

 

米沢は、江戸後期の上杉鷹山の手腕も有名ですが、直江兼続が基礎を作り、それを上杉鷹山が発展させたのです。

こうして何度も存続の危機のあった米沢藩を250年も繫栄させました。

 

こうして上杉家に忠誠を誓った義将は、米沢の礎を築き、60年で生涯を閉じました。 

 

 

 

 

生きていれば挽回できる

頂上

 

 

僕が直江兼続の生涯を調べて思ったことは「生きていればいつからでも挽回できるな」ということ

 

直江兼続は、上杉家への忠誠心でも人気ですが、僕は「関ヶ原の戦い」以降の政治的な手腕も素晴らしいと思いました。

 

米沢の人々のために奔走したのです。

 

もし、「関ヶ原の戦い」での西軍の負けに負い目を感じ、前田慶次の制止も振り払い自害していたら米沢藩はなかったかもしれません。

 

生きていてくれたからこそ、成し遂げることができたのです。

 

 

 

直江兼続から学べる教訓 

勉強

直江兼続から学べる教訓は「生きていれば挽回できる」ということ。

 

今生きる意味を感じられない人もいるかもしれません。

 

「自分なんて…」が口癖で、生きる目的がわからないという人もいると思いますが、とにかく生きてほしい。

死ぬまでの間にあなたのことを必要としてくれる人が絶対現れます。

 

何を成し遂げるかは死ぬまでわからない。

自分のしたことが後世まで語り継がれるかもしれない

 

自分は何を残したいだろう?

 

そんな想いを巡らせました。

 

 

彼についてもっと知りたい方は以下の本があるのでぜひ(^^♪

漫画だからわかりやすいですよ!

 

 

 

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最後までお読みいただきありがとうございました!

ではまた。

ざす。