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日本史から学べる教訓 vol.9 平清盛【組織の発展に必要なこと】


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ども!

 

ド底辺サラリーマンのけんいちです!

 

 

歴史は繰り返すと言われます。
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。
今回は「平清盛」です!

 

 

平清盛とはどんな人だったのか?!

歴史を楽しく学べて現代に活かせることを書きました(^^♪

 

 

 

 

(約5分で読めます)

 

 

平清盛ってどんな人?!

平清盛

 

平清盛は1118年の平安時代の終わりに生まれました。

 

1185年から鎌倉時代で、平安時代は794年からだったので、本当に平安時代の終わりの頃を生きた人なんですね!

 

平清盛のしたことを簡潔に3つにまとめます。

 

 

 

江戸時代まで続く武士中心の政治の礎を築く

武士

 

 

平清盛は平家という武士一族の生まれでした。

 

これまでは平安時代の藤原氏など、貴族の政治が中心でした。

※栄華を極めた藤原道長についての記事はコチラ↓

 

www.kkenichi.com

 

 

貴族から武士中心の政治へ。

 

武士中心といっても、もともと貴族中心の政治にどっぷりつかっていたので、平清盛に対して他の武士からは反抗もあったそうです。

 

 

 

平清盛といえば、『保元の乱』『平治の乱』の2つの戦が有名です。

 

 

保元の乱とは、1156年に天皇の跡継ぎ争いで、勃発した内乱です。

崇徳上皇という人と後白河天皇という人の勢力の2つに分裂し、それは武士をも巻き込んだ争いになったのです。

 

上皇というのは天皇の役職が終わった後に付く役職です。

 

なので、簡単にいうと、もう役割の終わったおじいちゃんの崇徳さんが、今の天皇の後白河さんを「気に入らん!」と喧嘩をふっかけたのがキッカケです。

 

 

【崇徳上皇チーム】藤原頼長・源為義・平忠正

          VS

【後白河天皇チーム】藤原忠通・源義朝(源頼朝の父)・平清盛

 

という構図です。

 

 

崇徳上皇は、政権を握っていた後白河天皇が気に入らず争いに発展しましたが、破れました。

 

後白河天皇側に付いていた、平清盛と源義朝は勝利したのです。

 

のちに争う平家と源氏ですが、このときは平清盛と源義朝は仲間でした。

 

 

しかし、平清盛の方が優遇されていることに不満を抱いた源義朝が「ふざけんなー!」と喧嘩を売ったのがその3年後の1159年の平治の乱です。

 

 

武士だからって喧嘩っぱやすぎでしょ!!笑

 

 

保元の乱で勝利して藤原信西という人が政権を握っていました。

 

保元の乱で後白河天皇が勝利した2年後に、後白河天皇は二条天皇という人に譲位しました。

 

そして、後白河さんは上皇となって院政を実行していました。

※院政とは、天皇に変わって上皇が政治の実権を握ること。 

 

そして、そこに絡んでいたのが藤原信西という人だったんです。

 

後白河上皇と手を組んで色々と政治を牛耳っていました。

 

そうした中で、「藤原信西が平清盛をひいきしてる!」と自分の処遇に不満を持った源義朝が戦を仕掛けたのです。

 

平治の乱は、この平清盛vs源義朝だけの戦いではなく、藤原信西に不満を持っている人はたくさんいたので、ここの政権争いでもありました。

 

 

 

平治の乱で勝利したときに源氏を滅ぼしたことで、平清盛は頂点に立つことになります。

 

そうして、江戸時代の終わりに徳川慶喜が1867年に『大政奉還』して「政権は天皇にかえしまーす」と言うまでの約700年続く武士中心の政治の礎を築いた人が平清盛だったんです。

 

歴史を作った人物ですね!!

 

平家でなければ人間ではない!

否定。

 

有名な言葉で「平家にあらずんば 人にあらず」というのがあります。

 

「平家でなければ人ではない」という意味です。

 

傲慢極まりないっすね。笑

 


でも、平治の乱で源氏を滅ぼした平家は向かうところ敵なしといった状況なので、この言葉もあながち間違いではありません。


栄華を極めたこの時代に平清盛の義理の弟の平時忠が言った言葉でした。


平清盛は武士として初の太政大臣にもなりました。

 

これは歴史上5人しかいません。

 


太政大臣というのは天皇に匹敵するくらいの役職です。

 

このように平家は政治にも大きく絡み、公家として力を付けていきました。


その流れを作ったのは2つの争いに勝利した平清盛だったんです。

 

 

 

日宋貿易を盛んにして日本を発展させた

交渉。貿易。


 

 

当時の中国は『宋』という国でしたが、その中国との貿易を盛んに行いました。

 

当時には珍しい『宋銭』という硬貨も輸入しました。

 

平清盛は商才もあり、この貿易で非常に裕福になっていきました。

 

ただ、自分が裕福になっただけではなく日本にもとても影響を与えました。

 

当時は硬貨や貨幣はほとんどなかったので、宋銭を大量に輸入したことで、貨幣経済を築いたのです。

 

しかし、当時税金をお米や絹などで収めていたので、貨幣を使うことにまだ抵抗があった朝廷側のせいで、平清盛の死後は、宋銭はほとんど使われなくなったようです。

 

でも、今日でも貨幣が使われているようにどちらに先見の明があったのかは明らかですよね。

 

 

平清盛は、武力もあり、商才もあり、先見の明もあるエリートだったんですね!

 

 

ちなみに、広島の厳島神社も整備したのは清盛です。

厳島神社

 

夢で「厳島神社を大事に扱うと出世するよー」というお告げを聞いたと『平家物語』に書いてあり、それで平清盛は厳島神社を信仰するようになったそうです。

 

 

 

周囲への気配りで組織を発展させる

助け。気配り。協力。



平清盛はエリートなだけではなく、周りへの気配りをして組織の発展をしていくのもうまかったのです。

 

 

先ほど書いたように、後白河上皇と強い味方関係にあった平清盛は、当時の天皇の二条天皇ともうまく関係を築かないといけません。

 

後白河上皇と平清盛の奥さんの妹が結婚しており、憲仁親王という息子がいて、平家はこの憲仁親王を天皇にしようとしていましたが、これに怒った二条天皇は後白河上皇の院政をストップさせました。

 

 

二条天皇と仲が悪くなると、平家の権力も危ぶまれます。

 

そこで、平清盛は二条天皇のガードマンとして武士を京都に派遣しました。

 

「二条天皇、守りまっせー平家は味方でっせー」という姿勢を示したのです。

 

 

しかし、保元の乱から味方だった後白河上皇はこのままでは不平不満を持つでしょう。

 

 

そこで、清盛はすかさず蓮華王院という仏堂を後白河上皇のために建ててあげました。

蓮華王院




後白河上皇が平家に不満を持たないようにしたのです。

 

 

このように平清盛は平家の地位を守り、発展に貢献しました。

 

 

地位を守るってなんだか「意地汚い」とか良いイメージがないですが、非常に大切なことだと思います。

 

 

この平家を会社に置き換えても同じことです。

 

自分の会社を存続させ発展させるためには、周囲(他の会社や組織)とうまく付き合っていかなければいけません。

 

自分の好き嫌いで特定の人とだけ付き合っていると、痛い目にあいます。

 

良い意味で恩を売っておかないと、いざというときに助けてくれる人がいなくなってしまいます。

 

組織全体のことを考えるとしっかり俯瞰して物事を見られるかが大事です。

 

私情を挟まず、平家と言う組織のために尽くした平清盛から学ぶことは多いのではないでしょうか。

 

 

 

 

平清盛から学べる教訓

メモ。ノート。チェック項目。

 

平清盛から学べる教訓は、

『組織の発展に必要なことは、周囲への配慮や関係性の維持を忘れない』ということです。

 

 

私情を挟まずに組織のメリットになることを常に考える。

 

ときには「意地汚い」とか「八方美人だ」とか思われるかもしれませんが、それが組織の発展に必要なことではないでしょうか。

 

 

僕の経験上の話ですが、常に自分の会社に気を配って、いつも商品の提案に来てくれるような取引先には人間の心理として「大切に扱いたい」という気持ちは芽生えます。

 

人間なので感情があります。

感情で動きます。

 

 

人の心をつかんでおくのは組織の発展には必要なことだと思います。

 

 

平清盛の行動からはそんな教訓が学べます!

 

 

ちなみに、1181年、平清盛は、源氏の平家打倒の動きが始まった中で、病気して亡くなってしまいます。


 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

 

ではまた。

ざす。