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まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ

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杉原千畝とはどんな人?彼から学べる教訓【人助けの極意】


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『まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ』へようこそ。

ライフコーチ、会社員、Kindle作家と三足の草鞋を履いている小泉健一と申します。

 

このブログではライフコーチの観点から心が楽になる考え方をシェアしたり、オススメの本や映画の紹介をしたりしています。

このブログを通して知らなかったコトやモノに出会え、新たな世界が開けるかも?!

 

 

 

本記事は歴史から学べる教訓について書いています。

僕は歴史が大好きで、よく歴史の本を読みます。

 

歴史は繰り返す』

とよく言いますが、歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)

 

シリーズ165人目は、ナチスの魔の手から6,000人のユダヤ人を救った日本外交官「杉原千畝」です。

 

あまり聞き馴染みがないかもしれませんが、リトアニアという国では彼が切手になっているほど英雄になっているのです。

 

彼は外交官時代にリトアニアにある日本領事館に勤めており、1940年代のナチスの虐殺から逃げ延びようとしていたユダヤ人にビザを発行し命を救ったのです。

 

日本国からはビザ発行の許可を貰えなかったにもかかわらず、彼はどんな思いでビザを発行したのか?

 

多くの命を救った杉原千畝から学べる教訓とは?

 

 

彼の生涯をざっくりポイントのみ触れてわかりやすく解説し、そこから現代を生きる僕たちにもタメになる教訓をご紹介していきますね。

 

彼の生涯や功績を知ると、「人助けの極意」を教えてくれます。

 

 

 

 

 

(約5分で読めます)

 

杉原千畝とはどんな人?

杉浦千畝

杉原千畝(Wikipedia参照)




猛勉強の末、外交官に

 

杉原千畝は、1900年に岐阜県の八百津町というところに生まれました。

 

段々畑が綺麗な景色のこの町。

千畝という珍しい名前の「畝(うね)」とは、畑の細長く土を盛り上げた部分。

 

この綺麗な景色を見て名前がつけられたと言われています。

 

段々畑

段々畑 ※写真はイメージです

 

彼は、ごく普通の一般家庭に生まれ、生活費がカツカツなこともあり、公費で勉強ができる外交官を目指すようになります。

そして、試験に合格し晴れて外交官になり、ヨーロッパにあるリトアニアに領事館の開設を命じられ、滞在するようになります。

 

6,000人ものユダヤ人を救った

当時は第二次世界大戦真っ只中。

ナチスドイツは敵対する旧ソ連と戦い、隣のポーランドを制圧。

 

 

 

ポーランドのさらに隣のリトアニアももはや時間の問題…

 

リトアニアにいたユダヤ人は、ナチスドイツに捕まったら大量虐殺にあうことがわかっていたのでソ連を横断して日本を経由し、アメリカに亡命するという経路で逃げようとしました。

 

 

「そのためにも日本のビザが欲しい」

毎日何百人ものユダヤ人がリトアニアの領事館を取り囲みビザの発行を懇願したのです。

 

杉原千畝は悩みます。

 

日本国にビザの発行の許可を貰おうとしたら、ドイツとこれから同盟を結ぼうとしていたさなかだったので、断られたからです。悩み抜いた末にビザを発行する決断をします。

 

「当時のことを、妻・幸子さんは生前このように話していた。『(夫は)苦しみました。それはいまだに忘れられないですね。子どもも小さくてかわいい盛りでしたからね。本当にあの時の苦しみはどうしたらいいかと思って。やはりビザを書けば(ユダヤ人の立場と)同じようなことになりますね。ナチスに捕まるかもしれない。外務省に反することなので外務省を辞めなければならない。命と職がかかっていますからね、主人も』」(ユダヤ人を救うため”ビザを発給し続けた男”の知られざるもう一つの奇跡|テレ東プラス (tv-tokyo.co.jp) より引用)

 

まさに命懸けで6,000人もの命を助けたのです。

 

 

報われた行い

 

ビザを発行した杉原でしたが、領事館を閉館するよう命じられ、退去させられます。

 

彼は閉館ギリギリまでビザを書き続け、電車のホームで電車が来る本当にギリギリまで書いていたそうです。

 

帰国後は当然のように仕事はやめさせられ無職になります。

 

そして、不幸が重なり、幼い息子も白血病で亡くしてしまいます。絶望の淵に立たされ自責の念に駆られた杉原でしたが、終戦のだいぶあとの1968年に、突然在日イスラエル大使館に呼び出されます。

 

そこにいたのは、よれよれになったビザを持ったユダヤ人で「あなたのおかげで命が助かった。私だけはなく大勢の命を助けてくれた。」と感謝の意を伝えたのです。

 

職も失った杉原でしたが彼の成し遂げた偉業はしっかりと伝わっていたのです。6,000人ものユダヤ人を救ったと言いますが、さらにその子供、そしてさらにその子供と考えると何万人救ったのかわかりません。彼は86歳で亡くなりますが、没後、リトアニアにはからの名前が通りの名前につけられ、切手の顔にもなり、首都には記念碑が建てられました。

 

 

 

 

 

 

 

人助けの極意とは?

アイデア

 

僕が杉原千畝の生涯から学んだのは「人助けの極意とは人として何が正しいかを守る」ということです。

 

彼はこう言います。

 

「一晩中、私は考えた。考え尽くした。私のしたことは、外交官として間違ったことだったかもしれない。

しかし、私には頼ってきた何千人もの人を見殺しにすることはできなかった。大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです。」

 

 

僕たちがいま考える以上に、国に背くということは重たいことだったでしょう。

 

それでも彼を突き動かしたのは「人として何が正しいか」という信念だったのではないでしょうか。

 

同僚や部下からは反対があったかもしれません。

それでも「ひとりの人間として頼ってくれた人を助けたい」という一心で行った行動が多くの人から感謝されることになったのです。守るべきは信念。そう教えてくれる偉大な人物です。

 

 

 

杉原千畝から学べる教訓 

勉強

杉原千畝から学べる教訓は「人助けは、人として何が正しくてどうするべきかを考えること」です。

 

 

人助けをするということは、自分の存在価値をさらに高めること。必ずしも人を助けなきゃいけないとは僕は思いませんが、誰かに頼り、頼られてこそ人生の意義は深まるとは思います。

 

自分の保身や、体裁を考えていては真の人助けはできません。杉原千畝さんの偉業を見習い生きたいと思いました。

 

杉原千畝のことが気になる方は彼のことについて書いた本があるので、そのリンクを貼っておきます。ぜひ(^^♪

 

 

 

①ライフコーチング

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それぞれお問い合わせはお気軽にご連絡ください!連絡先→g4n0323@gmail.com

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

ではまた。

ざす。