『まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ』へようこそ。
ライフコーチ、会社員、Kindle作家と三足の草鞋を履いている小泉健一と申します。
このブログではライフコーチの観点から心が楽になる考え方をシェアしたり、オススメの本や映画の紹介をしたりしています。
このブログを通して知らなかったコトやモノに出会え、新たな世界が開けるかも?!
本記事は歴史から学べる教訓について。
僕は歴史が大好きで、よく歴史の本を読んでいます。
『歴史は繰り返す』
とよく言いますが、歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)
シリーズ160人目は、明治時代を代表する女流作家の「与謝野晶子」です。
彼女は、『みだれ髪』や『君死にたまふことなかれ』という作品で有名な女流作家。
これらの作品は当時としては賛否両論でした。それでも、彼女が作品を出し続けた想いとは?
彼女の生涯をざっくりポイントのみ触れてわかりやすく解説し、そこから現代を生きる僕たちにもタメになる教訓をご紹介していきますね。
彼女の生涯や功績を知ると、「ありのままを表現する」ことについて学べます。
(約5分で読めます)
与謝野晶子とはどんな人?
幼い頃は文学にハマる
与謝野晶子は、1878年に現在の大阪府堺市に生まれました。
与謝野というのは結婚してからの苗字で、和菓子屋を営んでいた鳳(ほう)という家の三女として生まれました。下の名前は「志よう」という名前でした。
「志よう」=「しょう」=「晶」で、「晶子」というのはペンネームだったのです。
9歳くらいの頃から文学にハマり、「源氏物語」が大好きだったようです。
後年、自身で『新訳源氏物語』という本も書くくらいでした。
当時は完全に男尊女卑だったので、家の中でも男が優遇されていました。
しかし、それをバネとしていたのか、与謝野晶子は文学以外にも、儒学や朱子学などの学問も一生懸命学んでいたのです。
本格的な文学活動と与謝野鉄幹との禁じられた出会い
20歳になると、和菓子屋を手伝いながらも、和歌を雑誌に投稿。
当時、有名だった与謝野鉄幹の詩歌に心惹かれ、彼の歌会に参加したところ彼自身にも一目惚れ。
与謝野鉄幹とその後親密な関係になりますが、彼は当時妻子持ちだったので不倫関係となりました。
略奪婚という形で、与謝野鉄幹は彼女と結婚することになります。
結婚後、与謝野志ようという名前になり、この後はペンネームの与謝野晶子で活動するようになります。
与謝野晶子自身、不倫関係なので実家の大阪を飛び出して、東京に移り住み、駆け落ちしていたのです。
作品は賛否両論になるも大ヒット
夫が主催となっていた文学雑誌の「明星」に短歌を載せるようになります。
そして、与謝野鉄幹との情愛を歌った歌を掲載した『みだれ髪』という歌集を出版。
当時は「女性は慎ましくあるべき」とされていたので、本作品は批判もあったが与謝野晶子は「感じたものを表現しないで歌など書けない」と主張。
批判もありましたが『みだれ髪』は大ヒットしました。
『みだれ髪』が出たのが1901年。その3年後に「日露戦争」が勃発。
その日露戦争に与謝野晶子の弟が出兵することになります。その時に詠んだ歌が「君死にたまふことなかれ」です。
「弟よ、あなたは死ぬ必要なんかないんですよ」という意味で、家族が戦争に行ってしまう悲しみを詠んだ歌ですが、当時の日本の戦争を否定しているのと同じなのでこれも批判を受けます。
パリに行く
当時、夫の与謝野鉄幹は、鳴かず飛ばずになってしまっていました。
与謝野晶子の提案でリフレッシュするために海外に行こうということで、パリへふたりで行くことにします。与謝野晶子のパリ行きは新聞でも報じられるほど。
パリでは力強く生きる女性たちから刺激を受け、晩年は女性の自立を訴える活動に勤しんでいきます。
帰国後には夫の鉄幹との共著である『巴里(パリ)より』を出版し、「要求すべき正当な第一の権利は教育の自由である。」と、女性教育の必要性などを説いています。
しかし、パリから帰っても夫の鉄幹にヒット作は生まれず、当時の稼ぎ頭は、妻の与謝野晶子でした。なんと生涯5万もの歌を詠んでいたのです。
帰国後は、ヨーロッパで刺激を受け、女性教育に力を入れます。
1921年には、建築家の西村伊作と、画家の石井柏亭そして夫の鉄幹らとともにお茶の水駿河台に文化学院を創設します。
これは、男女平等教育を掲げた日本で最初の男女共学の学校だったのです。
晩年はこのように教育に関する活動を多く展開していましたが、1940年には脳出血になり、1942年には他の病気も併発して自宅で亡くなってしまいます。享年63歳でした。
ありのままを表現する
僕が与謝野晶子の生涯から学んだのは「ありのままを表現する」ということです。
先に述べたように『みだれ髪』も『君死にたまふことなかれ』も賛否両論でした。
しかし、感じたままに表現するべきだとして、批判も恐れず、自分のありのままを表現しました。
当時は批判が多かったかもしれませんが、こうして後世にまで語り継がれているのは、自分に正直に真摯に向き合ってきたからでしょう。
現代でも、何かにチャレンジしようとしたときには批判はつきもの。
それでも、ありのままの自分でいるということは長い目で見たら自分のためになるのです。
与謝野晶子を見習い、ありのままの自分を表現することを忘れないでおきたいですね。
与謝野晶子から学べる教訓
与謝野晶子から学べる教訓は「自分のためなら、ありのままでいるべし」ということです。
周りの批判を恐れて萎縮したり、自分よりも他人に評価されることを優先したりして、本当にやりたいことを抑えるのはもったいない。
ありのままの自分を表現して、自分の価値観に違わない生き方をしていきましょう。
与謝野晶子に興味が出た方は、以下の本がオススメ。俵万智さんが現代語訳した与謝野晶子の『みだれ髪』です。
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最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた。
ざす。