ド底辺サラリーマンの夢の叶え方

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石川啄木ってどんな人?彼から学べる教訓【弱みも活かせる】


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ども!

歴史好きなライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!

 

歴史は繰り返すと言われます。

歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)

 

シリーズ71人目は、明治時代の歌人の「石川啄木」です!

 

わずか27歳で結核で亡くなってしまったため、作品集は2冊しか世に出していませんが、名前を知らない人はいないくらい有名な歌人ですね。

有名でありながら文学だけでは生計を立てられていなかったという悩みもありました。

それでも歌を書き続けた彼の姿勢から学べる教訓を書きました! 

 

彼の生涯を知ると、「弱みの活かし方」を知ることができます。

 

 

石川啄木って何をした人?

石川啄木から学べる教訓は?

 

これらのことをざっくりと5分でわかるように解説していきます^^♪

 

 

(約4分で読めます)

石川啄木ってどんな人?    

      石川啄木


   


 

石川啄木は、明治時代の歌人。

弱冠26歳で病気により亡くなってしまいましたが、誰もが知っている有名な方。

彼の短い生涯には何があったのでしょうか。

石川啄木とはどんな人だったのでしょうか。

 

神童、でも実はワル?!

 

現在の岩手県盛岡市に生まれました。

本名は石川一(はじめ)。啄木というのは歌人のときのペンネームでした。

 

盛岡駅には石川啄木直筆の「もりおか」という文字が書かれた石碑があります。

盛岡駅

  

石川啄木は、幼少期とても頭がよく「神童」と呼ばれていたそう。

小学校も人より1歳早い5歳で入学するという飛び級。

 

そして彼が通う中学校には3つ先輩に言語学者の金田一京助がいました。

のちに石川啄木とは親友になります。

石川啄木の10年後には同じ中学に宮沢賢治が入学してきました。

 

岩手県は文学に関する人が多く輩出されていますね。

 

「神童」とも言われ、一見、真面目に勉強しているような印象を持ちますが、2度のカンニング発覚と無断欠席も多く、中学を退学させられてしまいました・・・

不良かよ。笑

 

石川啄木は文学しか興味がなく、退学を機に、本格的に学ぶために上京をします。

 

 

 

なかなか文学でメシが食えず

『明星』という文学雑誌に、投稿した歌が掲載されたこともあり「文学で生計を立てる!」と当時憧れていた与謝野鉄幹、与謝野晶子夫妻を尋ねたそうですが、仕事にはありつけませんでした。

 

身体が弱かったこともあり、すぐに盛岡に帰ることになります。 

盛岡に帰った後も歌は書き続け、再度『明星』に掲載されることとなり、注目を浴びるようになります。

17歳の頃でした。この頃から『啄木』を名乗っていたそうです。

 

しかし、それでも文学だけでメシを食っていくのは難しかったそう。

現代でも芸術の分野で生計を立てるのって難しいですよね。

 

この頃、父がトラブルで職を失い、自身の結婚も重なり稼がないといけなくなった啄木は教員としても働くようになりました。 

 

 

一向に稼げるようにはならないが夢は諦めない

厳しい生活は続いていたようです。。

 

彼は周りの仲間にも支えられていて、金田一京助を始め、金銭的に支援する人もいたそう。歌では注目されていましたが小説などは書いても見向きもされず。。

 

貧しく苦しい生活の中、短歌を書き続け、日頃の生活の中で感じたことを赤裸々に歌った歌は庶民に人気となりました。

代表作『一握の砂』を24歳の頃に刊行。

 

『一握の砂』は簡単な誰でもわかる言葉で日常をうたった短歌は「生活派短歌」とも言われ、好感を持って受け入れられるようになりました。

 

 

しかし、病状は良くならずその数年後27歳と言う若さで結核で亡くなってしまいました。

生前に描いていた短歌を集めた「悲しき玩具」は啄木の死後に世に出ました。

 

 

 

 

弱みを活かせる    

       嫌がっている犬

僕は石川啄木の生涯を知り、「弱みも活かすことができるんだ」ということを学びました。

 

 彼は死ぬ間際まで本当に貧しかったそうです。

 

心配した親友の金田一京介が「体を良くするためにもちゃんと飯を食え。お前は細すぎる」というようなことを言っていたそうですが、石川啄木は「食べる米すらねぇ」と苦笑いをしていたそう。

 

自分の大好きな文学で生計を立てることができず苦しい生活が続いていたかと思います。

 

でも石川啄木の短歌はこうした貧困やふとした日常の心情や切ない気持ちを歌った歌が多く、だからこそ多くの人に共感され人気となっていたのです。

 

はたらけど
はたらけど猶(なお)わが生活くらし楽にならざり
ぢつと手を見る

 

これは現代人でも、共感できる歌ではないでしょうか。

いくら働いてもなかなか生活が良くならない。そのどうしようもない虚しさや悔しさが伝わってきますね。

 

僕が一番好きな歌は次の歌です。

たはむれに母を背負ひて
そのあまり軽きに泣きて
三歩あゆまず

 

石川啄木の母への愛情が伝わる感動的な歌。

ふとしたとき、母親をおんぶすると、思った以上に軽かった。貧しさなのか老いなのか、弱っている母を想うと泣いて3歩歩くことすらできなかったという歌です。

 

彼はこうした日常の出来事や感じたことを言葉にして人気を博しました。

 

 

石川啄木から学べる教訓

         勉強

石川啄木から学べる教訓は「弱みも活かせる」ということ。

 

短歌では評価されましたが、ヒット作を連発していたわけでもなく、早くに亡くなってしまったので生前は貧しい生活が続いていました。

 

それでも、短歌が好きで歌を書き続けました。

 

そして、「貧しさ」という弱みを歌に変えて、人気になったのです。

もちろん、貧しさを望んでいたわけではないですが、それを作品にすることで石川啄木の良さ=強みに変えていきました。

 

どんな自分の境遇も発信すればそれに共感したり、誰かの役に立ったり、励みになったりするかもしれません。

ぜひ、自分の逆境を強みに変えられるような発想を考えてみましょう!

 

 

 

彼の人生をもっと詳しく知りたい人は以下の本もあります(^^♪

石川啄木の作品を通して生涯が事細かに書かれている本です。 

 

 

『一握の砂』と『悲しき玩具』が気になる人はコチラ。 

 

 

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!

ではまた。

ざす。