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上杉鷹山とはどんな人?彼から学べる教訓【あるべきリーダーの理想の姿】


Hatena

ども!

歴史好きなライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!

 

歴史は繰り返すと言われます。

歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)

シリーズ96人目は、現在の米沢藩(山形県)の財政危機を立て直した江戸時代の名君「上杉鷹山」です!

 

『なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人のなさぬなりけり』という名言は有名ですね。

 

上杉鷹山は、非常に優れたリーダーシップで日本一貧しい藩と呼ばれた米沢藩の150億円もの借金を返済し、豊かな藩へと変革した偉人。

あのケネディ元アメリカ大統領も「尊敬する日本人はいますか?」という日本人記者の質問に即答で「上杉鷹山です」と答えたそう。

 

名言を知っている人は多いかと思いますが、実際どんなことしたのか知らない人も多いのでは?

 

上杉鷹山の生涯と、彼の行動から学べる教訓をまとめていきます。

本記事を読めば「あるべきリーダーの理想の姿」が学べます。

 

 

 

 

 

(約4分で読めます)

 

上杉鷹山ってどんな人?

  上杉鷹山



17歳で藩主に、そして借金150億?!

上杉鷹山は米沢藩の藩主でしたが、生まれは宮崎県でした。

親せきが米沢藩の生まれで養子として米沢藩に移ったのです。

 

1751年生まれ。

10歳のときに米沢藩へ養子として出されますが、当時の米沢藩は「日本一貧しい藩」で幕府からも今でいう破産宣告を受けていたそうです。

 

米沢藩だけではなく江戸中期は飢饉などもあり日本全体が非常に困窮していました。

上杉鷹山が生まれる20年ほど前に起きた『天保の大飢饉』では人口の10人に1人がなくなるほどの大災害でした。

 

 

米沢藩も、今日食べるご飯すらままならない中、逃げ出す民もいて、土地も作物なく乾いて、まさに「人も土地も死んでいる」状態だったのです。

 

その中で17歳で家督を引き継ぎます。

上杉鷹山は相当な覚悟だったと思います。

 

米沢藩主になった彼は、神社に奉納して、以下のようなことを宣言したそうです。

 

✔民の父母であること

✔質素倹約を忘れぬこと

✔学問武術は怠らぬこと

✔賞罰は正しく行うこと

 

 

これが、米沢藩を救うリーダーとしての素地となっていきます。

上杉鷹山が行った改革について紹介していきます。

 

質素倹約

上杉鷹山の特徴のひとつでもありますが、質素倹約の生活を奨励したこと。

大倹約令を発令。ただ、単純に奨励しただけなく彼自身も同じような生活を行っていたのです。

 

日常の食事は一汁一菜。お酒も飲まない。

普段着は木綿。

奥女中(いわゆる大奥)も50人から9人に減らしたそうです。

 

言葉だけではなく行動で示す。

リーダーの鏡ですね。

 

「残業するな」「定時で帰れ」と言いつつも自分たちは遅くまで残っている僕の会社の上長たちにも知ってほしい・・・笑

 

 

 

その他、上杉鷹山は非常に現場主義で、灌漑や橋のようなインフラも整えるため、実際に自分で動き、自分の目でみて課題や解決策を考えていました。

当時の藩主はいわゆるお殿様なので、自分が泥臭く動くということは非常に珍しいことでした。

 

 

殖産興業 

上杉鷹山が行った改革としてもうひとつ大きいのが「殖産興業」です。

「米沢織」が代表的なもので、原価の安い絹で作った米沢織を米沢の名物として高値を付けて売ります。

 

こうして、利益額の大きい商品を作り財政を立て直していったのです。

米沢織

参照:https://www.pref.yamagata.jp/020026/kensei/joho/koho/mailmag/menkoi/yoneori.html

 

米沢織は、武家に嫁いでいる女性ができる仕事であったため、女性の就業率アップにもつながりました。

 

 

また、動物性たんぱく質の乏しい食事をしていた米沢藩の民のために、福島県の相馬から養殖用の鯉を仕入れました。

そして庭に池を掘り、彩り豊かな錦鯉を飼育する風習ができ、観賞用だけではなく、お祝い事などにはご馳走として出されるようになり米沢の名物となっていきました。

 

 

上杉鷹山は、米沢ならではのものを作り、価値を生み出していったのです。

 

 

 

上級武士のクーデターでピンチに・・・

 

そんな立て直しをしていたある日、上級武士7人からクーデターを起こされたそう。

 

当時、藩主といえばどっしり構えるお殿様。

威厳あり堂々とし、トップとして部下に命令する立場でした。

 

しかし、上杉鷹山は、自分から動き、自分自身も質素な生活をしていました。

 

そんな姿を観た上級武士の部下たちが「頼りない」「そんなんでは誰もついてこない」「自分から泥臭く動くなんてやめてくれ」などと上杉鷹山に反抗。

 

「自分のやっていたことは間違っていたのか・・・」と悩んだそうですが、ある下級武士は「鷹山公のおかげでまともな生活もできるようになっていったし、目的持って仕事ができているので今はやりがいを感じられている。鷹山公のやっていることは間違っていない」と言ってくれて、目が覚めたそう。

 

 

上級武士はこれまで贅沢な良い生活をしていたので反抗したのだと思いますが、藩の下級武士にはしっかりと鷹山の信念が伝わっていたのです。

 

まさに組織のリーダーのあるべき姿。

自身の目標であった「民の父母である」ことを体現したのです。

 

行動で示すことで、しっかり組織の隅々まで自分の信念が伝わっている。

こうして、民の心も掴んだ上杉鷹山はなんと150億円の借金をすべて返済。

 

今でも続く米沢の名産も作り、窮地に追い込まれていた藩を立て直したのです。

 

今でも山形県の米沢市の方々には「上杉鷹山」と呼び捨てにせず「上杉鷹山公」と言わないと怒られるとか・・・

本記事はわかりやすいように「上杉鷹山」に統一させてもらいました。許してください・・・・

 

 

 

 

 

 

あるべきリーダーの理想の姿

リーダー

上杉鷹山からは「リーダーのあるべき理想の姿」を教えてもらいました。

 

相手にやってほしいことは自分から進んでやる。

 

背中で自分の理想や信念を伝える上杉鷹山は素晴らしいリーダーでした。

倹約って言ってるのにリーダーが贅沢してたら誰もついてきませんよね。

 

 

彼の名言である『なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人のなさぬなりけり』もこれだけの偉業を成し遂げたのだからとても説得力があります。

 

若くして150億円もの借金をしたまま、藩を立て直す。

今で言うと赤字企業の社長になるのと同じですね。

 

ビジネスマンとして上杉鷹山の心構えは必要なことでしょう。

尊敬する日本人に上杉鷹山を挙げたケネディ大統領もキューバ危機などのピンチを乗り越えました。

 

トップや人の上に立つ役職の人は彼の生き方は学ぶことがたくさんあるのではないでしょうか。

 

 

 

 

上杉鷹山から学べる教訓 

勉強

上杉鷹山から学べる教訓は「リーダーのあるべき理想の姿は自ら行動を起こす」ということです。

 

指示をするだけじゃない。

その目的をしっかり伝える。

そしてその先どうなれるかをしっかり伝える。

何より自分自身が率先して行動を起こす。

 

これがリーダーのあるべき理想の姿ではないでしょうか。

 

名言だけでなく、上杉鷹山公の生涯を深く知ると人生の糧になります。

 

もっと知りたい方は、以下の本がオススメ。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

ではまた。

ざす。