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中岡慎太郎ってどんな人?彼から学べる教訓【嫌なことは自分から変えよう】


Hatena

ども!

歴史好きなライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!

 

歴史は繰り返すと言われます。

歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)

シリーズ92人目は、江戸時代末期に坂本龍馬と倒幕に奔走した「中岡慎太郎」です!

 

歴史の教科書には「坂本龍馬の盟友」くらいしか紹介されてませんが、薩長同盟の締結、そして薩摩との武力同盟である薩土盟約を結んだり、薩摩に信頼されるために自ら人質になろうとしたり、彼の男気ある行動には学ぶべきところがたくさんあるのです!

 

 

中岡慎太郎の生涯と、彼の行動から学べる教訓をまとめていきます。

本記事を読めば「嫌なことに対する向き合い方」が学べます。

 

 

 

 

 

(約4分で読めます)

 

中岡慎太郎ってどんな人?

        中岡慎太郎

土佐勤王党に参加

中岡慎太郎は、1838年土佐に生まれました。

坂本龍馬は1836年生まれなので同年代の人物です。

盟友 坂本龍馬

盟友 坂本龍馬

 

中岡慎太郎は勉学に熱心に励みかなり有能だったそうです。

17歳のとき、武市半平太という人物に師事します。

彼も土佐の生まれで、黒船来航を目の当たりにして「今のままではダメだ!」と攘夷論を唱え「土佐勤王党」という党を作った人物。

武市半平太

土佐勤皇党の党首 武市半平太

 

「土佐勤王党」は、「尊王攘夷」を志とするメンバーで集められた結社です。

 

その「土佐勤王党」へ中岡慎太郎は坂本龍馬とともに参加します。

 

 

攘夷派の弾圧と脱藩

 

しかし、土佐勤王党に加盟した2年後には八月十八日の政変という事件が起きて、攘夷派は危険分子として弾圧の対象になってしまい、土佐勤王党は解散してしまいました。

 

その後、身の危険を感じ、「土佐にいては日本を変えられない」と、中岡慎太郎は脱藩します。

 

そしてその後は今の山口県である「長州藩」に亡命します。

そして、長州藩を中心とする攘夷派の志士たちの橋渡し役になり重要人物となっています。

 

そしてそんな彼だからこそ成し遂げられる「薩長同盟」の締結へと進んでいきます。

 

 

薩長同盟の締結

 

薩長同盟といえば坂本龍馬!

と知られていますが、僕は中岡慎太郎がいなかったら難しかったんじゃないかと思います。

 

彼が、長州藩や薩摩藩の脱藩した志士たちのもとを駆けまわり、説得させていったそうです。

 

犬猿の仲と言われていた薩摩藩と長州藩を坂本龍馬と一緒に仲を取り持ち、見事同盟を締結させたのです。

 

薩長同盟の目的としては、倒幕です。

このふたつの強力な藩がタッグを組んでくれればかなりの勢力になるからです。

 

なぜ、仲の悪いふたつの藩を手を組ませることができたのかというと、簡単に言えば利害関係の一致です。

 

幕府と天皇にも反逆者として目の敵にされ、武器の購入さえ許されず国力が弱まる長州藩。

幕府からは守られているが、幕府の言うことをずっと聞いていてもこの先の未来は明るくないと倒幕のチャンスを待つ薩摩藩。

 

薩摩藩が武器を購入しそれをこっそり長州藩に渡して長州藩が先陣を切って倒幕をするというストーリーでふたつの藩を納得させました。

 

坂本龍馬の熱弁や戦略があってのことですが、中岡慎太郎も脱藩者の連絡役として活動していたので志士たちの意思の取りまとめをしていたのでしょう。

 

このふたりだからこそ成せた「薩長同盟」は、倒幕からの明治維新への大きな役目を果たします。

 

軍事による倒幕を進める

 

この頃、坂本龍馬とともに脱藩を土佐藩から許され土佐に戻ることができるようになりました。

脱藩は裏切りなので、基本二度と故郷に帰れなくなるのですが、中岡慎太郎と坂本龍馬の功績もあり許されたのでしょう。

 

中岡慎太郎の考え方は、坂本龍馬と同じですが、ひとつ違うのは武力による倒幕を進めていたこと。

 

坂本龍馬は知能を使い、中岡慎太郎は武力を使いました。

そして、薩摩と土佐の武力同盟である「薩土盟約」と言うものを締結します。

 

これは、薩摩との武力倒幕の約束で、「幕府側との戦となればお互いすぐに駆けつける」というもの。

 

このとき、中岡慎太郎は、薩摩側に信頼してもらうために「俺が人質になる」と言いますが、西郷隆盛は「その必要はない」と言い切り、中岡慎太郎に信頼を置いていたそうです。

 

男と男の約束ですね!カッコいい!

 

また、坂本龍馬の海援隊に対し、兵力部隊の陸援隊という団体も作りました。

軍事による倒幕の準備を進めていったのです。

 

明治維新の20日前に散る

 

ここで少しだけ坂本龍馬と考え方がズレてきます。

先ほども書いたように坂本龍馬は知能を使い説得することが多く、対話で物事を進めようとして行きます。大政奉還論もまさにその通り。

大政奉還は、江戸幕府が降参して朝廷に政権をお返しするという約束です。

 

しかし、中岡慎太郎はそんな優しいものではなく武力で倒幕するべきだと主張。

「大政奉還の内容は正しいが、やり方は違う方がいい」とあくまで武力行使に拘ったのです。

 

そんな中、大政奉還も成され、ついに江戸幕府の力が潰えようとしているさなか、中岡慎太郎の命に終わりが来ようとしていました。

 

京都にある近江屋という醤油屋さんの部屋で中岡慎太郎は坂本龍馬と密会していました。

近江屋跡地

京都の『近江屋』の跡地

 

「坂本龍馬さんがいたらお目にかかりたい」という訪問者がいて、不思議に思わなかった付き添いの人が、中岡慎太郎と坂本龍馬がいる2階の部屋に上がろうとしたとき、訪問者は坂本龍馬がいることを確信して斬り込んできました。

 

一瞬のことで自分の刀を拾う余裕すらなかった中岡慎太郎と坂本龍馬はあっという間に5人の刺客に襲われて敗れました。 

 

坂本龍馬は脳が飛び出るほどの状況で即死。

中岡慎太郎も手足を斬られて重症で2日間は生き延びていたそうですが、その後亡くなりました。

 

享年30歳。

この約20日後に明治時代を迎えます。

ふたりがいたからこそ明治維新は為されましたが、このふたりは新しい時代を見ることなく散っていきました。

 

 

 

 

 

 

嫌なことは自分から変えよう

    やる気のある人



中岡慎太郎からは「自分の環境を嘆かずに嫌なことは自分から変えること」の大切さを教えてもらいました。

 

彼の名言にこんな言葉が残されています。

 

「君子小人(しょうじん)人にあり。家に在らず」

 

人が立派になるかどうかは家柄ではなく、人の心がけ次第である、という意味です。

 

今の時代のせいにしたり、「仕方がない」と諦めたりせずに、彼は脱藩してまで日本を変えようとしました。

実際に日本は変わって行きました。

 

のちの政治家の板垣退助も中岡慎太郎のことをかなり評価していたのです。

 

自分に当てはめてみて、嫌なことがあったときに他人のせいにしたり環境を嘆いたりするだけで自分から変わろうとしてますでしょうか。

 

「長い会議があるから残業が減らないんだ」

「ダイエットに成功したら自分はモテるんだ」

「お金さえあれば自分だってやれるんだ」

 

こんな風に考えてないでしょうか。

彼のまっすぐな信念と行動から自分の襟元を正そうと思いました。

 

 

中岡慎太郎から学べる教訓 

勉強

中岡慎太郎から学べる教訓は「嫌なことは自分から変える」ということです。

 

嫌なことがあったら逃げたりするのもいいと思いますが、変えたければ自分から変えましょう。

 

たしかに自分の力だけではどうにもならないこともあると思います。

 

でも、中岡慎太郎は日本を変えるというめちゃくちゃ大きな野望を持って取り組んでいたのです。

そのために自分から動きリスクを取り、仲間を増やして戦ってきました。

 

ただ嘆いてるだけでいいのか?

 

簡単に諦めてしまっては、中岡慎太郎大先輩に笑われてしまいますね!(`・∀・´)

 

 

 

彼の姿勢から学び、自分から行動するようにしようと強く感じました!!

 

 

中岡慎太郎の生涯が気になった方は、こちらの本でぜひ。

 

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

ではまた。

ざす。