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まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ

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楢崎龍(おりょう)とはどんな人?彼女から学べる教訓【自分のやることは自分で決める】


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ども!

ライフコーチのけんいちです!

 

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このブログを通して知らなかったコトやモノに出会え、新たな世界が開けるかも?!

 

 

 

僕は歴史が好きで良く調べたり本を読んだりしています。

 

歴史は繰り返す

歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)

 

シリーズ115人目は、幕末の志士・坂本龍馬の妻である「楢崎龍(おりょう)」です!

 

「おりょう」という名前で知られている坂本龍馬の妻。

 

幕末から明治に時代が変わっていく激動のときの坂本龍馬を支えた人でその性格も果敢で気丈な方だったとか。

坂本龍馬襲撃事件では、おりょうの機転で龍馬は命拾いしました。

 

そんな彼女の生涯を知ると、「自分のことは自分で決める」大切さが学べます。

 

 

 

(約5分で読めます)

楢崎龍(おりょう)とは?

      おりょう






父を亡くし貧しい生活の幼少時代

 

楢崎龍(ならさきりょう。以後、おりょうで統一)は、1841年、幕末の京都に生まれます。坂本龍馬よりも5歳ほど年下です。

 

祖父は長州藩の武士だったようですが、浪人となり京都に。

 

父親は皇族の医者もしたことのあるエリートでした。

 

しかし、幕府に対する反乱分子を弾圧した「安政の大獄」で父が捕まってしまい、その後亡くなります。

 

稼ぎ頭をなくした母と女三姉妹は、困窮。

危うく妹たちが遊郭に売り飛ばされそうになりますが、おりょうは短刀を片手に乗り込み、妹たちを取り返したそうです。のちに坂本龍馬はこのエピソードを「面白い女だ」と気に入っています。

 

 

 

坂本龍馬との出会い

  坂本龍馬

その後、おりょうの母は浪人たちの世話をしていました。そんな中、おりょうも坂本龍馬と出逢います。

 

坂本龍馬と楢崎龍。同じ「龍」の文字が入っていたことで意気投合。

おりょうを気に入った坂本龍馬は、おりょうの母に、妻にしたいことを直談判して快諾されました。

 

こうしてふたりは夫婦に。

しかし、激動の時代、ゆっくりふたりで暮らすことなんかできず、おりょうは寺田屋という宿場に預けられたのです。

 

 

 

坂本龍馬の窮地を救う

 

1866年、寺田屋に坂本龍馬と同士が会合していたとき。

おりょうは、風呂に入ってるさなか、窓から外を見ると武装した役人を見つけます。

寺田屋

寺田屋(https://rcreation.jp/stockphoto/dr549参照)


 

 

坂本龍馬の命を狙ってきた者とわかり、ほぼ裸のまま風呂から上がり二階に駆け上がって龍馬に敵襲の知らせをしました。

 

敵は侵入したしてきましたが、準備していたこともあり拳銃で応酬できました。龍馬は手を切られる負傷を負いましたが、おりょうが裏口から逃げさせたこともあり、命拾いしたのです。

 

のちに龍馬は「おりょうがいなかったら死んでいた」と手紙を残しています。

 

妹を遊郭から取り戻したときもそうでしたが、かなり勇敢な性格ですよね。

 

常に命を狙われている坂本龍馬の妻はおりょうだからこそ務まったのかもしれません。

 

この襲撃事件のあとは、西郷隆盛のススメもあり、療養を兼ねて薩摩(鹿児島)をふたりで旅行しました。

これが記録に残っているはじめての新婚旅行で、日本最初の新婚旅行をしたのは坂本龍馬である、と言われてます。

 

龍馬の死と苦しいその後

 

坂本龍馬は、明治時代の幕開けの直前、凶弾に倒れます。

気の強いおりょうもこの時ばかりは大号泣したと言われています。

 

龍馬なき後は、おりょうは転々としました。龍馬に代わり坂本家を継いだ甥の坂本直を尋ねるも、冷たくあしらわれてしまいます。

 

坂本龍馬が作った「海援隊」の他のメンバーも、おりょうの物おじせずに歯向かうその性格を疎ましく思い誰も面倒見てくれようとはしなかったのです。

 

おりょうは、のちに「親切にしてくれたのは働いてた寺田屋の女将のお登勢、西郷隆盛、勝海舟の3人くらいだった」と言っていました。

 

坂本龍馬の死後、15年後くらいに坂崎紫瀾という人物が『汗血千里駒』という小説を書き、坂本龍馬を描きました。

 

ここで、坂本龍馬の妻としておりょうがインタビューされたりすることが増えて後世に伝わるエピソードが残されました(おりょうは『汗血千里駒』自体はフィクションが多いと批判的でした)

 

こうして坂本龍馬とおりょうについては注目を浴びることになりますが、おりょうは1906年に亡くなりました。

 

 

 

 

 

自分のことは自分で決める

頂上

 

 

もうひとつおりょうの性格を表すエピソードがあります。

 

「人斬り半次郎」の異名を持つ薩摩の中村半次郎という武士がいました。

 

寺田屋に泊まりにきた時、あまりに横柄な態度だったので女中が困っていたところ、おりょうはひとりで部屋に乗り込み酒を酌み交わしたといいます。

 

「人斬り」と呼ばれる乱暴者にも臆せずに向かっていく。

 

寺田屋をめちゃくちゃにするんじゃないという怒りからか、困っている同僚の女中を救いたかったからか、単純に曲がったことする人が嫌いだからか、理由はわかりませんが、自分がやると決めたことはどんな相手だろうと実行する強さがあります

 

このあと人斬り半次郎も大人しくなったそうです。

 

おりょうは自由奔放に日本中を走り回る坂本龍馬を支えた人物。

自身も、自分がやると決めたことはやる自由さを持ち合わせていたのです。

 

 

 

楢崎龍(おりょう)から学べる教訓 

勉強

楢崎龍(おりょう)から学べる教訓は「自分のことは自分で決める」ということ。

 

気丈な性格が災いして、坂本龍馬亡きあとの後世は苦しい生活を強いられ、孤独に生きました。再婚もしたそうですが、なんと妹に取られてしまうことも。

 

ただ、酒に酔っ払いながら「わたしは坂本龍馬の妻だ!」と再婚相手にも言っていたそうなので、そんなこと言われたら夫もいい気分にはなりませんよね。

自業自得な気もしますが、それだけ坂本龍馬を愛していたのでしょう。

 

 

自分の生きたいように生きることが幸せにつながります。

 

他人に否定されようと自分のやることは自分で決めて実行に移す。

 

そんな性格を龍馬に気に入られたからこそふたりは結ばれました。やりたいようにやっていればこのように自分を好いてくれる人は現れるのです。

 

世間体を気にしてやりたくないことを我慢してうわべだけの100人の仲間を作るか。

他人に批判されてもやりたいことをやってたったひとりの心の底からの仲間を作るか。

 

どちらがいいでしょうか?

 

 

 

彼女についてもっと知りたい方は以下の本があるのでぜひ(^^♪

龍馬との出会いから、おりょうの性格まで書かれている本です!

 

 

 

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最後までお読みいただきありがとうございました!

ではまた。

ざす。