ども!
ライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!
歴史は繰り返すと言われます。
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。
37人目は『維新三傑』とも言われ、明治維新の立役者である「大久保利通」です!
西郷隆盛とも同郷で仲良かったですが、途中考え方の違いで仲たがいしてしまいます。
そして、大久保利通は明治維新の中心人物となります。
当時はご飯も食べる暇がないくらい多忙を極めたらしいです。。
「日本を強くしたい!」という大久保利通の野望を通して、彼から学べる教訓を書いていきます。
大久保利通って何をした人?
大久保利通から学べる教訓は?
これらのことをざっくりと5分でわかるように解説していきます^^♪
(約5分で読めます)
大久保利通って何した人?
おひげが特徴的な大久保利通さんは、江戸時代から明治時代に入る重要な日本の転換期に生きた政治家です。
1830年に、武士の家に生まれました。
初代伊藤博文内閣の中心人物でもあった大久保利通の生涯をざっくり概要だけ紹介します!
下級武士の生まれで体も弱かった
薩摩藩(現在の鹿児島県)の武士の家に生まれた大久保利通は、幼名が「正袈裟(しょうけさ)」という名前だったようです。
身分も高くなく、武士の生まれでしたが、体が病弱で武術は得意ではなかったそうですが、学問は秀でていたそうです。
同郷の西郷隆盛とも非常に仲良く、明治維新の際も一緒に働きます。
倒幕から明治維新まで
薩摩藩では、西郷隆盛とともにメキメキ頭角を現し、藩内のリーダー的役割を担うまでになりました。
当時、薩摩藩の藩主の島津斉彬はのちに幕末で活躍する人物を育てた名君でも有名ですが、1858年に49歳の若さで病気で急逝します。
西郷隆盛は、島津斉彬を心から尊敬して慕っていたため、あとを追って殉死しようとまでしました。
島津斉彬と対立していた島津久光という人物が薩摩藩の藩主となると西郷隆盛は側近を降り、大久保利通が側近となり活躍します。
当時、公武合体を唱えていましたが、のちに倒幕の考えに変わり、明治時代の幕開けを迎えるのです。
公武合体とは?
天皇と幕府の関係を強化して協力していこうという考え方。
対義語は「尊王攘夷=天皇を敬い外国を打ち払え!」。
明治維新後の活躍と親友 西郷隆盛との別れ
1867年には、江戸時代最後の将軍徳川慶喜が、政権返上を天皇に宣言した「大政奉還」が行われました。
翌年の1868年に旧幕府軍vs新政府軍の戊辰戦争が勃発し、旧幕府軍が降参すると明治時代を迎えます。
明治政府ができると、大久保利通は参議という役職に就任し中心となって活躍しました。版籍奉還、廃藩置県など明治維新の重要な改革を行っていったのです。
版籍奉還と廃藩置県とは?
版籍奉還は、藩ごとに所有していた土地や人民を朝廷にお返ししますという政治改革。
廃藩置県は、藩を撤廃し、都道府県を導入した政治改革です。
藩というのは事実上国みたいなもの。
行き来も自由じゃなかったので、それが撤廃されるというのは大改革でした。
そんななか、「韓国を征服するべし!」という征韓論を唱える板垣退助や西郷隆盛と新政府は対立します。※西郷隆盛は征韓論を唱えていなかったという説もあります。
そこで政府から退いていった西郷隆盛は、1877年に西南戦争で、親友大久保利通と戦うことになり、破れて自害してしまいます。
その翌年には、大久保利通も暗殺されて亡くなります。
大久保利通は、日本を何十年という長い目でしっかり土台を作り強くしていこうと志高く奔走した人物です。
徴兵令や地租改正なども指揮をとっていきました。
伊藤博文、木戸孝允と並び、維新三傑と呼ばれる英雄です。
最期は暗殺という悔しい死に方でしたが日本を大きく変えていった人物でもあったのです。
自分の得意を伸ばすということ
大久保利通は、武士の家に生まれましたが、体がとても弱かった。
しかし、弁論や勉強など頭を使うことは幼い頃から得意だったそうです。
そこで、大久保利通は苦手な武力を無理やり伸ばそうとせず、勉強の方に力を注ぎました。そうして、薩摩藩の中でも頭角を現してきたのです。
・苦手を克服するよりも得意を伸ばす
・自分の強みと弱みを把握する
大久保利通の人生からはこうしたことが大切なんだと学べます。
大久保利通から学べる教訓
大久保利通から学べる教訓は、「苦手な克服よりも得意を伸ばすこと」です。
得意分野を伸ばすことで、政府の中心人物にまでなりました。
当時は西郷隆盛や初代総理の伊藤博文、同じ維新三傑の木戸孝允など、中心人物はほとんどみんな武士でした。
僕だったら、周りのみんなが武術に長けていたら、「自分も周りに劣らないように」と苦手でも武術を頑張っていたなぁと思います。
しかし、大久保利通は武術に見切りを付けていたかどうかは分かりませんが、その分読書や勉強に力を注いだそうです。
当時、下級武士の生まれだった彼は、藩主に近づくために藩主が欲しがっていた本を探し回って見つけてプレゼントしたという逸話もあります。
当時、本は貴重なものでしたので、相当苦労したでしょう。そんなGIVE精神も功を奏し注目され始めたのですね。
大久保利通のこんな名言があります。
彼は彼
我は我でいこうよ
この言葉からも分かる通り他人と比べようとせずに自分の得意を伸ばしていた姿勢が伺えますね。
僕も見習って自分の得意分野を伸ばしていくような活動をしたいなと思いました!
大久保利通の偉業がマンガでわかる本もあります(^^♪
彼の生涯を知れば、刺激になること間違いないでしょう!!
最後までお読みいただきありがとうございました。
ではまた。
ざす。