ども!
歴史好きなライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!
歴史は繰り返すと言われます。
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)
シリーズ73人目は、主に大正時代に活躍した画家で詩人「竹久夢二」です!
彼は生涯で3人の女性を愛し、そしてその女性をモデルに作品に活かして「美人画」を描きました。
それは「夢二式美人」と呼ばれて評価され、大正ロマンの代表作家となります。
彼の画家人生を振り返り、また感性に触れると学べることがあります。
竹久夢二って何をした人?
竹久夢二から学べる教訓は?
これらのことをざっくりと5分でわかるように解説していきます^^♪
(約4分で読めます)
竹久夢二ってどんな人?
竹久夢二は、大正ロマンを代表する画家で、「美人画」で有名になりました。
彼は、今までの常識にとらわれず、日本画の技法と海外の風景画などの技法も取り入れて独自のスタイルを確立しました。
自分の恋愛遍歴を作品に活かしてましたが、女性を泣かしていた過去も...笑
竹久夢二の生涯を紐解きます!
雑誌の挿絵の応募から画家デビュー
竹久夢二は、1884年岡山県生まれ。
本名は、竹久茂次郎(もじろう)。
家は酒造業を営んでいました。
夢二が16歳くらいの頃、父親が酒造業をたたみ、福岡県の「八幡製鉄所」で働き始めたので、夢二自身もしばらく働いていました。
しかし17歳の頃、家出するように上京。
東京の早稲田実業学校に入学し、自分のスケッチを新聞社に投稿。
こうした活動から画家としての活動が始まります。
独自の画風で人気
雑誌や新聞の挿絵で画家として活動。
今でいうと画家というよりデザイナーに近い感じですかね。
読売新聞に入社して時事スケッチ担当としても仕事をしていました。
彼は画壇に属さずに独自の感性を独自のスタイルで表現しました。
美人画を中心とした作品で、ジャンルは水彩を使用した日本画として扱われていますが、枠にとらわれないスタイルが人気だったそうです。
彼の作品は、日本画っぽい描き方なんですが、どこか親しみやすいタッチで描かれてるので、美術に疎い僕が見ても楽しめました!
彼の作品集はベストセラーになったものもあり、ひとつのジャンルを確立したと言ってもいいでしょう。
3人の女性との大恋愛
竹久夢二の作品を語るには3人の女性が外せません。彼の恋愛や理想の女性像が大きく影響していたのです。
たまき
岸たまきという女性と夢二は結婚しました。
たまきは、お店をやっておりそこに通い詰めた夢二は彼女と結婚。
しかし、あまり性格は合わなかったようです。
2年後には戸籍上、離婚してしまいます。
「戸籍上」というふうに言ったのは、その後も同棲と別居を繰り返していたようで、晩年夢二が病気で倒れた時も世話をしてくれたり、ふたりは生涯を通してのパートナーでありました。
夢二式美人と言われた絵もたまきをモデルにしていたと言われています。
彦乃
彼女は夢二の「最愛の恋人」と言われています。
画学生だった彦乃は、夢二のファンでした。
夢二も彼女に恋をして相思相愛の仲となり、親の反対を押し切りながら、京都でふたりで暮らし始めます。
夢二の代表作「黒船屋」は、彦乃がモデルだと言われています。
しかし、彦乃は病気で25歳の若さで亡くなってしまいます。
これをキッカケに夢二は絵を描くことが出来ないくらい落胆してしまいます。
お葉
絵を描けない夢二に、友人からの紹介で新たなモデルとして現れたのがお葉です。
本名は佐々木かねよ。お葉とは夢二が呼んだあだ名みたいなものです。
お葉は、他の画家のモデルもするくらいの美女で、夢二の理想の立ち居振る舞いもできるスーパーモデルでした。
ふたりも程なくして恋愛関係になりますが、嫉妬深い夢二はお葉が他の画家のモデルになることをよく思わず、そしてお葉も夢二の最愛の恋人「彦乃」を夢二がずっと忘れられないことを悲しく思いふたりは疎遠になってしまいます。
ふたりはついに別れてしまいました。
海外渡航、そして病死
お葉とも別れた夢二は、その後は海外に行き、画家としてのレベルアップを図ります。
アメリカから、ドイツ、フランス、イタリアなどのヨーロッパにいき、台湾にも行ったそうです。
しかし、帰国後結核を患い、病床につき、50歳の若さで亡くなりました。
心を整える場所を見つけよう!
竹久夢二ゆかりの地として群馬県の伊香保があります。
伊香保に「竹久夢二伊香保記念館」もあります。
岡山県出身の夢二になぜ伊香保なのか?
それはひょんなことからでした。
当時12歳の少女の加藤ミドリさんという人が「伊香保で夢二さんに会った」という内容の手紙を出していました。
当時28歳だった夢二は人気画家となっていましたが、「それは私ではないが、お会いする日があれば楽しみましょう」とわざわざ返事を出しました。(この手紙は伊香保の記念館に展示されてます)
この手紙には「イカホとやら」という表現もあることから「伊香保」のことを知らなかった夢二でしたが、この手紙をキッカケに伊香保に行き、その場所に魅了され、伊香保で受けたインスピレーションで絵を描いたりもしていました。
人にはそれぞれ特別な場所があるかと思います。
それは夢二のように偶然出会うかもしれません。
心が整う場所というのは人間にとって大切なもの。そこで心を落ち着かせたり、インスピレーションを得たりできるような自分のお気に入りの場所を見つけていきましょう。
竹久夢二から学べる教訓
竹久夢二から学べる教訓は「心を整える場所を見つけよう」ということ。
夢二は、偶然ではありますが、伊香保という地を見つけました。
そこは画家としての力をさらに発揮するような場所でした。
僕にも、心が落ち着く場所、新たなインスピレーションを受けられる場所があります。
毎日近所の公園に散歩に行くのですが自然が豊かで毎日の癒しとなっています。
また石垣島、西表島には年に一回行ってるのですが、そこは、何も考えずにまっさらな自分になれる大切な場所です。
この記事を読んでくれてる方にも大切な心を整える場所はありますでしょうか?
夢二の作品には大恋愛が大きく影響されてますが、大切な場所も少なからず影響されてるでしょう。
お気に入りの場所は常に探していきたいものです。
さ、旅に出ましょ。笑
竹久夢二の世界に触れてみたい方は以下の本もあります(^^♪
最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた。
ざす。