ども!
歴史好きなライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!
歴史は繰り返すと言われます。
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)
シリーズ66人目は、江戸時代の国学者として知られ「古事記伝」の作者。
当時あまり注目されていなかった『古事記』にスポットライトを当て、文学に大きく貢献した「本居宣長」です!
彼の偉業を知ると「成果がすぐに出なくても焦らなくていい」ということがわかります。
彼の生涯から学べる教訓を書きました。
本居宣長って何をした人?
本居宣長から学べる教訓は?
これらのことをざっくりと5分でわかるように解説していきます^^♪
(約5分で読めます)
本居宣長って何した人?
幼い頃から読書が好き
1730年の江戸時代中期に今の三重県に生まれました。
本名は小津富之助(おづとみのすけ)といいます。のちに改名します。
ちなみに、昭和時代に活躍した映画監督 小津安二郎さんは、本居宣長の子孫だそうです。
小津家は、江戸にもお店を出すくらい商売では成功しており、裕福な家庭でした。
そんな家の次男として生まれたのです。
幼い頃から読書が大好きだったそうです。
7歳で寺子屋(現代版 学習塾)にも入り、勉強に励みます。
家業を継ぐも、勉学の道へ
10歳の時、父親が亡くなってしまいます。
そして、20歳過ぎた後お兄さんも亡くなってしまい、次男である富之助は家業を継ぐことになります。
しかし、幼い頃から勉強や本が好きだったので商売に興味がなく身が入らなかったそうです。
「京都に行って、勉強がしたい!!」
そう母親にいうと、家を継ぐ人もいなくなるのに母親はなんとOKを出します。
「だったらあんた医者になりなさい」
と、医者になることを勧め、京都に出て猛勉強し、本当に医者になります。
この時に祖先の苗字を取って「本居宣長」と名乗ります。
医者になるって言ったって言葉で言うのは簡単ですが、並大抵の努力ではないでしょう。
本居宣長は、国学者として知られてますが本業は医者でした。
『古事記伝』を執筆
28歳になると故郷に帰ります。
医者をする傍ら、大好きな勉強も続けていました。
「源氏物語」や「日本書紀」、「古事記」など文学を読み漁ります。
日本の文学を学んだ本居宣長の言葉で「もののあはれ」という有名な言葉、一度は聞いたことがあるんじゃないでしょうか(^^)
✔「もののあはれ」とは?
折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁である。(Wikipedia参照)
これは平安時代の「源氏物語」などから感じられる平安時代の文学的な観点です。
本居宣長の提唱で世に広まりました。
そして、その後は「古事記」にも着目します。
これまでは「日本書紀」の方がメインで読まれてましたが、本居宣長の「古事記伝」の執筆で価値を見出され、注目されることとなりました。
古事記伝は35年もの長い年月をかけて作り、全44巻が出た頃はすでに本居宣長が亡くなった後でした。
そんな彼の偉業から僕が感じた、学べる教訓は以下の通り。
結果がすぐに出なくても焦らない
ひとつのことに集中して35年かかるって異常じゃないですか?!笑
本当にすごい。
医者という仕事をしながら執筆し続け、35年かけて作り出したものが200年近く評価され続けている。
きっとこれからもそうでしょう。
医者をしながら執筆。
現代風に言うと、本業しているかたわら副業している人と同じ状況ですね。
この事実から僕がいいたいのは「結果が出なくても焦らなくていい」ということ。
ブログやってるのに収益でない。
ライターとして仕事案件が増えない。
結果がすぐに出なくても焦らないこと。
本居宣長だって35年かけたんですから。笑
むしろ、焦って形だけ見繕ってやった仕事なんて大した評価されません。
まさに「一球入魂」。
当たり前かもしれませんが、ひとつのことに時間かけてしっかりこだわって作ったものが、ヒットしたり、後世にまで残ったりするんではないでしょうか。
今やってることで成果が出なくて焦ってる人は、今できる全力は何か?を考えて取り組むのはどうでしょう?
本居宣長から学べる教訓
「古事記伝」を35年もかけて執筆した本居宣長から学べる教訓は「結果がすぐに出なくても焦らない」ということ。
彼は自分の「古事記伝」の信ぴょう性を担保するために、古事記について書かれていた本を何冊も何冊も読みまくったそうです。
それだけひとつの作品に力を込めていました。
結果がすぐに出なくても焦らず、自分に出せるベストを出すことのほうが大切です。
そんなことを教えてくれますね(^^♪
最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた。
ざす。