ども!
歴史好きなライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!
歴史は繰り返すと言われます。
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。
シリーズ57人目は明治時代から昭和時代で活躍した教育者であり、国際連盟の事務局次長も果たした「新渡戸稲造」です!
2007年まで五千円札の肖像画にもなっており、『武士道』というベストセラーも執筆。
「太平洋の懸け橋となる!」と高い志を掲げ、西洋の良さを取り入れようと奔走していました。当時としては珍しい国際結婚もしています。
そんな彼の生涯と現代にも学べる教訓を書きました。
新渡戸稲造って何をした人?
新渡戸稲造から学べる教訓は?
これらのことをざっくりと5分でわかるように解説していきます^^♪
(約5分で読めます)
新渡戸稲造ってどんな人?
幼い頃から西洋に興味を持つ
幼少期から英語に触れたり、たばこに火をつける今でいうライターのような電気装置などに触れる機会があり、「西洋ってすごい」という関心を抱いていました。
英語も得意としていたそうです。
農業を学び、西洋への想いが強くなる
当時、日本としてまだ北海道は開拓し始めたばかり。
北海道の広い大地を利用し、酪農や西洋渡来の農業が盛んにおこなわれていました。
今でも農作物が有名なのはこの明治時代の北海道開拓のおかげなんですね。
(実際は、開拓に送り込まれた人の労働は過酷だったそうですが・・・)
そして北海道にある札幌農学校に二期生として新渡戸稲造は入学。
札幌農学校といえば「少年よ、大志を抱け」で有名なクラーク博士もいました。
クラーク博士のように外国の先生も非常に多かったそうです。
そこで、キリスト教や英語、西洋の文化にまた多く触れることになり、より西洋への興味が強まっていきます。
無事、札幌農学校を卒業した新渡戸稲造は、のちの東京大学である『東京英語学校』に入学します。
入学した動機を聞かれるとこう答えたのです。
「太平洋の橋になりたいのです」
西洋の良い文化を取り入れて日本をよくしようと志を抱いていました。
しかし、当時の東京大学の教育の質に満足できず中退。
そして、「本場で学ぼう!」と決心し、アメリカのジョンズ・ホプキンス大学という大学に進学します。
アメリカ留学中にはキリスト教プロテスタントの一派である『クエーカー派』と出会い、自身も信仰しますがそこで将来の奥さんであるメアリーとも出会うのです。
クエーカー教徒は、『人類平等』を主張している派閥で、新渡戸稲造自身もこれから先、その主張を変えませんが、戦争に舵を切っていく日本の動きとは正反対なため、苦しめらることになります。
留学中にメアリーと国際結婚を果たし、留学から夫婦で帰国。
そこからは教育者として活躍します。
超多忙な教育者生活
彼は多忙を極めます。
・札幌農学校 教授
・北欧学校 校長
・夜間学校「遠友学校」設立
・京都帝国大学 教授
・東京女子大学 初代学長
新渡戸稲造の経歴です。すごいですよね。
次から次へと教育のために奔走。
とても教育熱心だったのです。
五千円札の肖像画に選ばれたのもこの教育への貢献が評価されてのことだそうです。
太平洋の橋=西洋と東洋の架け橋という思いを教育者として実現させていきますが、世は戦時中。
日清戦争や日露戦争で勝利した日本は、有頂天になり「西洋に学ぶことはない」とまで思っていて、新渡戸稲造はかなり批判をされて苦しんでいたようです。
国際連盟の事務局次長へ
第一次世界大戦終結後、国際連盟が発足。
日本の代表に新渡戸稲造が選ばれました。
海外と日本の架け橋として活動していたので適任だと判断されたのです。
しかし、新渡戸稲造は苦しみます。
当時は日本はアジアで植民地を広げようとしたり、とても平和とは程遠い行為ばかりしていました。
なので、国際的にも冷ややかな目で見られていたんですね。
そして満州国も成立させます。
中国の中に建国された国で皇帝は中国の人でしたが事実上日本の傀儡国家。
国際連盟はこれを日本の侵略行為だと認定。
「ふざけんな!」と日本は国際連盟を脱退。
もう、敵を作りまくりな行動をしていました。
間に挟まれてる新渡戸稲造のことを考えると胃に穴が空きそうなくらい嫌な立場ですよね。
立場上、日本を擁護しますが、「人類平等」を掲げるクエーカー教を信仰している新渡戸稲造には、「矛盾してるぞ!」とアメリカからも大バッシング。
こんな状況の中、実際に新渡戸稲造は体調も悪くなっていきました。
そして、カナダに仕事で訪れていた時に病気で亡くなってしまいました。
享年72歳でした。
人に流されるな!
新渡戸稲造は、当時は異例の経歴でした。
幕末から明治の時代にクリスチャンとなり、国際結婚をしています。
そして先生としても活躍し、国際連盟の日本の代表にもなります。
スーパーエリートですよね。
当時はクリスチャンなど日本人からしたらありえないし、国際結婚もメアリー夫人の親は大反対だったそうです。
でも、それでも自分な信じるものを貫き通す強さが新渡戸稲造にはあると思いました。
それは彼の著書『武士道』からもわかります。
『武士道』は、海外の人から「日本は宗教がないのにどうやって思想を教えてるんだ?」と聞かれて新渡戸稲造は何も答えられず、悔しかったのがキッカケで書いたそうです。
武士道には近代の日本人の道徳観が書かれています。
その中にはこうあります。
流されずに正義を守る勇気を持つ者こそが真の武士である。
彼なりの正義を守ったゆえ、自分の信念を貫いたのでしょう。
新渡戸稲造からは人に流されず、自分の信念を貫く大切さと強さが学べます。
新渡戸稲造から学べる教訓
新渡戸稲造から学べる教訓は「人に流されるな!」ということです。
彼ほど逆境を生きた人はそうそういないでしょう。
「人類平等」というクエーカー教の信仰を信じ、西洋の良さを日本に取り入れようと奔走しましたが、当時の日本はイケイケどんどんの時代で日清戦争、日露戦争で勝利したことをいいことに、「外国から学ぶことなんてねぇ!」とイきり、戦争の道に突っ走っていきます。。。
日本からも外国からも責められた非常に辛い立場だったのです。
それでも自分の信じる道を歩み続け、教育者としても後世にその想いを残そうとしました。
彼の壮絶な人生からは「人に流されずに自分の正義を信じなさい」と教えてもらえるようです。
ありがとう。新渡戸稲造先生!!
最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた。
ざす。