ども!
歴史好きなライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!
歴史は繰り返すと言われます。
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。
シリーズ52人目は松尾芭蕉、与謝蕪村とならぶ江戸時代三大俳人である「小林一茶」です!
僕も調べて初めて知ったのですが、彼の人生はかなり壮絶でした。
彼は幼いころ母親を亡くし、また、彼自身の子どもも全員亡くしています。
彼の書く俳句は動物や子どもについて書かれたものが多いのもその背景を知るとより感じるものがあります。
彼の生涯から学べる教訓を紹介していきます。
小林一茶って何をした人?
小林一茶から学べる教訓は?
これらのことをざっくりと5分でわかるように解説していきます^^♪
(約5分で読めます)
小林一茶って何した人?
小林一茶は江戸時代を代表する俳人です。
小林一茶の俳句で僕は次の俳句が大好きでした。
やせ蛙 負けるな一茶 ここにあり
やせ細っている蛙を応援している句ですが、小林一茶の優しさと強さが表れている素敵な句だなぁと感じています。
でも、小林一茶の人生は決して順風満帆なものではありませんでした。
いや、だからこそ、優しさや子どもや動物などを謳った無垢な作品を残したのかもしれません。
彼の生涯をざっくり紹介します!
母の死と継母との確執
小林一茶は3歳のときに実の母親を亡くしてしまいます。
そして父親は再婚相手を迎えるのですが、一茶との仲が非常に悪く、一茶は母親の愛情を感じられないまま不幸な少年時代を過ごします。
一茶をかわいがってくれていた祖母まで亡くしてしまうと、父親は一茶を継母から引き離すために15歳の頃に、ひとり江戸に奉公に出します。
いやいや、父親よ、子どもより奥さんを取るんかーい
ただ、こうして江戸に奉公に行くと、生活は苦しかったそうですが、そこで俳諧に出会い、勉強をして小林一茶は「一茶調」というスタイルを確立させていくのです。
勉強熱心で俳句の旅に出る
小林一茶は非常に勉強熱心だったと言います。
俳句のことだけではなく、当時の風俗や芸能に関する勉強も怠らず、自分の糧となるものへの学びの追求はすごかったそうです。
古事記、日本書紀などの歴史書から万葉集、古今和歌集などの歌集、そして源氏物語なども読みまくっていたんです。
そして、「俳諧の旅」に出ます。
松尾芭蕉が行った東北にも行ったり、西の方の京都や四国、九州にまで行ったと言われています。
当時は当たり前ですが電車もなかったので相当な体力だったんですね。
数年の旅を経て、一茶は確実に実力をつけていきました。
晩年は故郷に戻る
晩年は故郷の長野で過ごします。
父親が亡くなると、遺産相続問題に直面します。父は「一茶と弟のふたりで半分ずつだ!」という遺言を残しますが、「ずっと家を空けていた一茶と同じなんて許さん!」と弟と継母が反論。
数年にわたり、トラブっていたそうです。
そして、弟とも和解し半分の遺産を相続することが決まり、故郷の長野に住み始めました。
彼の家は農民の家ですが、引き続き俳句を続けるために、一茶の俳句組織(社中)を作るために奔走します。
仲間を増やして、俳句を続けていったのです。
一茶はすでに日本トップクラスの俳人と評されており、全国から彼に会いに長野を訪れる人もいたのだとか。
私生活については、次の章で触れますが、家族にも恵まれず、病気がちで晩年は体も思うように動かなくなっていたそうです。
65歳で亡くなります。
不幸を変える方法
小林一茶は母親を亡くし、寂しかった幼少期を想い、こんな歌を残しました。
我と来て 遊べや親の ない雀
親とはぐれた子供の雀に、親を亡くした自分を投影させて、一緒に遊ぼうと誘っている歌です。
なんとも切ない。
そして、小林一茶は母親だけではなく自分の子どもも亡くしているのです。
一茶は50歳を過ぎてから20歳以上も離れた女性と結婚しました。
奥さんとの間には3人の子どもが産まれましたがなんと全員2歳にもならずに亡くなってしまうのです。
そして、奥さんも30代で亡くなってしまいます。
その後、再婚するも離婚。
3回目の結婚でようやく子どもが出来たと思ったら一茶の病気が悪化し、奥さんのお腹に赤ちゃんがいる状態で亡くなり、会うことは出来なかったそうです。
さらに、生前、長野の家が火事でほぼ全焼。
倉庫に使っていたような薄暗い小屋で過ごしていました。
一見すると、とても不幸だと思えますよね。
もちろん、一茶は自暴自棄にもなっていたそうです。奥さんに八つ当たりしたりもしていたとのこと。
でも、嘆くだけ嘆いて終わりではなく、それを作品に反映させたりしていました。
不幸を不幸のまま終わらせない。
幸せか不幸かはその人自身の解釈だと思っています。
世の中は全て解釈です。
出来事には何も意味はなくそれを「幸せ」か「不幸」か自分で意味付けしているのです。
哲学者ニーチェの言葉にも以下のようなものがあります。
事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
小林一茶は「不幸だ」と嘆くだけではなくその寂しさなどの感情を作品にしました。
「不幸」を「不幸」と捉えるだけでは悲しい人生になってしまいますよね。
夢中になった俳句に自分の感情を乗せることで、不幸な解釈を変えていったのです。
小林一茶から学べる教訓
小林一茶から学べる教訓は「不幸の解釈を変える」ということです。
実際に小林一茶がそう言っていたわけではないですが、彼の人生を知り、死ぬまで俳句を詠み続けたことを知ると、彼なりに不幸だと感じることも作品に反映させることで、解釈を変えたんではないかと僕は感じました。
人生は自分で変えられる。
小林一茶から勇気をもらいました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
ではまた。
ざす。