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まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ

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高浜虚子とは何した人?彼から学べる教訓【温故知新の意味】


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ブログタイトル

まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ』へようこそ。

ライフコーチ、会社員、Kindle作家と三足の草鞋を履いている小泉健一と申します。

 

このブログではライフコーチの観点から心が楽になる考え方をシェアしたり、オススメの本や映画の紹介をしたりしています。

このブログを通して知らなかったコトやモノに出会え、新たな世界が開けるかも?!

 

 

 

本記事は歴史から学べる教訓について書いています。

僕は歴史が大好きで、よく歴史の本を読みます。

 

歴史は繰り返す』

とよく言いますが、歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)

 

シリーズ177人目は、明治から昭和にかけて活躍した俳人の「高浜虚子」です。

 

俳句の生みの親である正岡子規の弟子であり、彼が創刊した『ホトトギス』という雑誌を受け継いだのが高浜虚子。

その『ホトトギス』から夏目漱石が小説デビューしたのは有名です。

 

「客観写生」という見たままを表現するということや、「花鳥諷詠」という自然を詠むということを大切にして、伝統的な俳句を継承しました。

 

高浜虚子の俳句は、俳句に詳しくない人が聞いても美しさを感じます。

 

「桐一葉 日当たりながら 落ちにけり 」

「虹立ちて 雨逃げて行く 広野かな」

 

まさに俳句の王道でもあるような高浜虚子の句は今でも人気です。

 

そんな高浜虚子はどんな人だったのか。

彼の生涯をざっくりポイントのみ触れてわかりやすく解説し、そこから現代を生きる僕たちにもタメになる教訓をご紹介していきますね。

 

彼の生涯や功績を知ると、「温故知新とはどういうことか」が学べます。

 

 

 

 

 

(約5分で読めます)

 

高浜虚子とは何した人?

高浜虚子

高浜虚子(Wikipedia参照)






若くして正岡子規の弟子に

 

高浜虚子は、1874年の明治時代に愛媛県にて生まれました。

 

本名は高浜清。気がつかれたと思いますが、高浜虚子というペンネームは清(きよし)の読みから来ています。師匠の正岡子規の命名です。

 

彼は14歳の頃、中学校で1歳先輩の河東 碧梧桐(かわひがし へきごとう)と出会います。すごい名前ですよね。本名は「秉五郎(へいごろう)」。本名も凄い笑

 

この河東先輩とは、のちに正岡子規の弟子の二大巨頭として有名になりますが、後年は考え方の不一致で対立していきます。

 

当時は河東先輩のツテで、正岡子規と出会い弟子入り。

 

わずか10代で、正岡子規から俳句を教わることになるのです。そうして20歳の頃には「虚子」というペンネームを授かります。

 

 

雑誌『ホトトギス』を継承する

彼は20代の頃に、正岡子規から後継者となるように言われますが、なんと断ります。(学問をする気はないと言ったそうです…)

 

後継者になることは断ったものの正岡子規がサポートして柳原極堂という俳人が創刊した『ホトトギス』という俳句雑誌を、引き継ぐことを決めます。

 

俳句雑誌でしたが、高浜虚子は和歌や散文(小説)も掲載するようにします。

これがあったからこそ夏目漱石の『吾輩は猫である』『坊っちゃん』が生まれたのです。

 

俳句から離れるが…

彼は『ホトトギス』を受け継いだあたりから河東 碧梧桐と考え方の不一致で対立していきます。

 

そして高浜虚子自身も散文(小説)を書くようになり俳句から段々と離れていったのです。

 

しかし、河東碧梧桐が、正岡子規の死後に、従来の俳句の伝統を破るような破調の俳句「新傾向俳句」を主唱するように。

 

これに異をとなえたのが高浜虚子。

 

「それは俳句じゃない」とメラメラと闘志が湧いてきたようです。

 

高浜虚子はこんな歌を詠み、俳句に復帰することにします。

 

「春風や 闘志いだきて 丘に立つ」

 

正岡子規の従来の俳句を守るため、河東と対立することを決意し、俳句への復帰の想いが感じられます。

 

晩年

高浜虚子は、30代後半からは神奈川県の鎌倉市に移り住みます。そして先述した俳句を詠み、句界に復帰するのです。

 

その後は、現代俳句協会という団体を設立したり、愛媛新聞の愛媛俳壇の選者を担ったりして俳句界を盛り上げていきます。

 

亡くなるまで約20万句も詠んだと言われていて、晩年は俳句に没頭した人生だったのです。

 

亡くなったのは1959年。享年85歳。明治に生まれ昭和まで生き抜きた彼は「守旧派」と名乗り古くからの俳句の伝統を守り抜いたのです。

 

 

 

温故知新の意味とは

アイデア

 

僕が高浜虚子の生涯から学んだのは「温故知新のなんたるか」ということです。

 

「温故知新」とは、昔のことから学び、新しい見解や知識を得るということ。

 

まさに高浜虚子がそれを体現していたと僕は感じました。

 

俳句というものを作り上げた正岡子規の、5・7・5のリズムや自然を詠むということなどの俳句の伝統は守りつつ、『ホトトギス』では小説を載せたり自身も小説にチャレンジしたりしています。

 

基礎を学びながらその幅を広げていくというやり方はまさに温故知新。

 

これこそお手本となるような姿ではないでしょうか。

 

高浜虚子から学べる教訓 

勉強

高浜虚子から学べる教訓は「温故知新をいかに実行するか」ということです。

 

 

昔からのやり方を踏襲するだけでもダメ。

過去を振り返らず、新しいことばかりやってもダメ。

 

「温故知新」こそ、何事も成功させるコツではないでしょうか。

松尾芭蕉の「不易流行」も同じような意味です。

 

本記事を書いている意義もあるんだなと感じました。笑

やはり歴史から学び、今に活かして未来を作っていきましょう。

 

高浜虚子をもっと知りたいという方は、以下の本がオススメ。俳句というものを初心者にもわかりやすい理論書となっています。彼の俳句に対する想いも知ることが出来るでしょう

 

 

 

 

 

①ライフコーチング

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僕は年間100冊くらいは本を読んでいて、このブログで要約記事を書いており、読書と要約は得意です。多忙な働く人のためのサービスです!

 

 

それぞれお問い合わせはお気軽にご連絡ください!連絡先→g4n0323@gmail.com

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

ではまた。

ざす。