『まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ』へようこそ。
ライフコーチ、会社員、Kindle作家と三足の草鞋を履いている小泉健一と申します。
このブログではライフコーチの観点から心が楽になる考え方をシェアしたり、オススメの本や映画の紹介をしたりしています。
このブログを通して知らなかったコトやモノに出会え、新たな世界が開けるかも?!
本記事は歴史から学べる教訓について。
僕は歴史が大好きで、よく歴史の本を読んでいます。
『歴史は繰り返す』
とよく言いますが、歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)
シリーズ163人目は、日本を代表する漫画家「手塚治虫」です。
『ブラックジャック』『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』など、ヒット作を次々に生み出し、日本の漫画文化を作り上げたと言っても過言ではない人物。
僕もよくブラックジャック読んでましたねー
当時の日本でストーリー漫画というものを確立したのも手塚治虫先生です。また30分枠のアニメーションとしても日本初の『鉄腕アトム』を世に出しました。
そんな日本を代表する漫画家から学べる教訓とは?
彼の生涯をざっくりポイントのみ触れてわかりやすく解説し、そこから現代を生きる僕たちにもタメになる教訓をご紹介していきますね。
彼の生涯や功績を知ると、「死ぬ気で仕事をする」ということが学べます。
(約5分で読めます)
手塚治虫とはどんな人?
幼いころから芸術に触れる
手塚治虫は、1928年に大阪に生まれました。三兄弟の長男でした。本名は手塚治で、昆虫採集や虫が大好きなことから手塚治虫というペンネームにしたそうです。
5歳の頃、祖父が亡くなり、祖父が住んでいた家に一家で移り住むことになります。その場所は現在の宝塚市。
現在の宝塚歌劇団の本拠地でもあり、よく母には連れて行って観劇をしていたそうです。
また母は、200冊以上の漫画を与え、よく漫画を読む子供に育ち、小学校時代から漫画を描き始めていました。
当時は母親が東京の人なので関西弁が喋れずいじめられていたそうです。
しかし、小学校時代に描いた漫画がとても上手で先生からも一目置かれるくらいになるといじめがパッタリとなくなっていきました。
得意なことで突き抜けるとても良い事例ですね。
戦争で九死に一生を得る
1941年、中学校に入学する頃には太平洋戦争が始まったタイミングであり、兵役が始まります。
しかし、手塚治虫は体が弱く、強制修練所というところに入れられ、兵役ではなく軍事工場で働かされます。
そして中学卒業してから、大阪大空襲に遭遇し、頭上を焼夷弾が飛ぶ経験をして九死に一生を得ます。
この戦争の体験も漫画に描いています。
漫画家としての人生がスタート
終戦後、学生だった手塚治虫は、描き溜めていた漫画を新聞社に送ります。
このときは音沙汰なく終わりましたが、隣に住んでいた毎日新聞社の印刷局で勤めていた女性の紹介で、『少国民新聞』という新聞の大阪版に漫画を連載することになります。これが手塚治虫のデビュー作です(タイトルは『マアチャンの日記帳』)。
その翌年には長編漫画の話も入り、前々から長編漫画を描き溜めていた手塚治虫はとても喜びました。
それで完成したのが『新宝島』という作品でした。これがベストセラーになります。
このあとは次々とヒット作を生み出し、大学に通いながら学業と漫画の両立が難しくなり、教授からも漫画家を目指すように言われ、母の後押しもあり、大学を卒業後は漫画家一本で生きていくことを決意。
『ジャングル大帝』や『鉄腕アトム』もこのあとすぐに生み出され、手塚治虫がまだ20代前半の頃でした。
若い頃からヒット作を生み出しついたのですね。
大阪から東京に引っ越し、昭和の漫画家が暮らしていたことで有名なトキワ荘の初期メンバーでもありました。
その後もアニメーションが発達し『ジャングル大帝』や『鉄腕アトム』のアニメが大ヒットし、「虫プロダクション」という会社も設立。
順風満帆に見えた手塚治虫ですが、彼の漫画家人生に窮地がやってきます…
人気低迷と会社の倒産
アニメが人気ではありましたがしばらくすると手塚治虫の漫画は古いタイプだと見なされ人気が低迷していきます。
会社も経営不信になり、虫プロダクションは倒産し、1億円以上の借金を抱えてしまいます。
ここで助け舟を出したのが当時の『週刊少年チャンピオン』の名物編集長として有名な壁村耐三という人物。
彼の好意で連載がスタートしたのが『ブラックジャック』です。
この晩年の作品『ブラックジャック』が(晩年とはいえ45歳でしたが…)起死回生の大ヒット。
その後はまた大忙しになり『ブラックジャック』や『火の鳥』『ブッダ』など同時に6作品を手掛ける人気漫画家に返り咲きました。
しかし、還暦を迎える間近、病気になります。病状は胃癌だったらしいのですが、それでも漫画を描き続けました。
もう末期症状になった時も、昏睡状態で目が覚めると「鉛筆をくれ…」と妻や息子に言い、漫画を描き、また昏睡状態になり…の繰り返しだったそうです。最後亡くなった時に立ち会った人は「最期の言葉は『仕事をさせてくれ』でした」と証言しています。
死ぬまで漫画を愛した仕事人だったのです。
死ぬ気で仕事をする
僕が手塚治虫の生涯から学んだのは「死ぬ気で仕事をする」ということです。
漫画家時代の手塚治虫先生の睡眠時間は1日1,2時間なんてものはザラにあったそうです。
睡眠不足は健康を害するので進められませんが、そこまで好きなことや仕事に没頭できるというのも、やはり歴史に名を残す人なんだなと思いました。
癌になってしまったあとも、自分の死期が高いのもわかったいたでしょう。それでも「鉛筆をくれ」「頼むから仕事をさせてくれ」と周りに言っていたくらい仕事を愛していたのです。
「そこまでの気概がお前にはあるか?」と、もし聞かれても「うん」とは僕は言えないです。
これほどまでに真剣に仕事に没頭していた手塚先生の姿勢を少しでも学ぼうと思いました。
手塚治虫から学べる教訓
手塚治虫から学べる教訓は「成果を出す人は死ぬ気で仕事を愛している」ということです。
「人間は何万年も、あした生きるために今日を生きてきた。」
これは手塚先生の名言です。
明日のため、人生の目的のために人は行動することができます。
手塚先生の仕事への愛を知ると、自分の行動量もまだまだだと痛感すると共に、もっと極めていこうと決心しました。
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最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた。
ざす。