『まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ』へようこそ。
ライフコーチ、会社員、Kindle作家と三足の草鞋を履いている小泉健一と申します。
このブログではライフコーチの観点から心が楽になる考え方をシェアしたり、オススメの本や映画の紹介をしたりしています。
このブログを通して知らなかったコトやモノに出会え、新たな世界が開けるかも?!
本記事は歴史から学べる教訓について。
僕は歴史が大好きで、よく歴史の本を読んでいます。
『歴史は繰り返す』
とよく言いますが、歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)
シリーズ159人目は、ワンマン宰相と呼ばれた戦後を代表する総理大臣の「吉田茂」です。
1946年に総理大臣になり、戦後の処理やサンフランシスコ講和条約を結んだり、日本国憲法などの制定に尽力したり、今の日本の基礎を築いた人物。
その後、5回総理大臣に任命され、それは後にも先にも彼ただ一人。
在職日数でトップの安倍晋三元総理でさえ、4回の任命でした。
ちなみに、吉田茂の孫は麻生太郎です。
そんな吉田茂はどのような功績を残されたのか?
彼の生涯をざっくりポイントのみ触れてわかりやすく解説し、そこから現代を生きる僕たちにもタメになる教訓をご紹介していきますね。
細かく生涯を触れると、とんでもなく長くなりそうなのでかなり省略します。笑
また、僕自身、彼やどこか政党を特別に支持していたり、私的感情があったりするわけではなく、彼の歴史から学べる知識や考え方を取り入れているだけですのでご理解ください。
彼の生涯や功績を知ると、「上手な負け方」について学べます。
(約5分で読めます)
吉田茂とはどんな人?
お金持ちゆえに学び放題?!
吉田茂、1878年に東京で生まれました。
板垣退助の腹心である竹内綱(たけうちつな)という男の息子として生まれますが、父の竹内綱は反政府の人間だとされ逮捕されていたさなかでした。
母親も誰かは不明だった(あえて隠していたと言う説も)ため、竹内綱の親友の吉田健三という人に引き取られて育てられます。なので苗字が「吉田」なのですね。
しかし、吉田茂が11歳のころ吉田健三は亡くなってしまいます。
当時、息子がいなく養子の茂が跡を継ぐことに。実業家であった吉田健三は莫大な財産も残したといいます。
吉田茂は、お金持ちになったがゆえにいろんな学校を転々として自分に合った学びを探していました。
一橋大学や慶應義塾大学、東京理科大学、学習院大学など中退を繰り返して、最終学歴としては東京大学を卒業します。
ただでさえお金がかかる入学も、そんなのも気にならないくらいお金持ちだったので、贅沢な自分探しですね。
政治家になる前には
大学卒業後は、外務省に入省し外交官になります。
吉田茂の勤務地は中国でした(当時は欧米がエリートコースだったようです…)。
外交官時代から吉田茂は先輩に対しても自分の意見をはっきり言い、強硬的な姿勢を見せたそうです。
自己主張できる人間といえば聞こえはいいですが、上層部からは疎まれていました。
その後、駐イタリア大使や駐イギリス大使なども歴任。
当時は第一次世界大戦が勃発したあたりであり、敗戦したドイツの過酷さを目の当たりにして、吉田茂は戦争を回避する考えになります。(当時のドイツの賠償金は200兆円にも上ると言われています…)
総理大臣になったあとも、戦争を避けるために当時は強かったアメリカやイギリスと親しくしており「親米英派」と呼ばれていました。
彼は仲の良かった近衛文麿(のちの総理大臣)と、「終戦」を計画します。
「正直アメリカに勝てるわけない。負けてとんでもない賠償金を請求されたら日本は終わる」と思っていたのでしょう。
終戦し、和平へ導くような作戦を練っていたのですがスパイにバレて軍部に拘束されます。
そして40日間でしたが、逮捕されて勾留されてしまうのです。
しかし、この逮捕劇が「反軍部の姿勢がある」として、のちにGHQのマッカーサーに気に入られるので、人生何がどう好転するかわかりませんよね。
そして、日本が敗戦したのち、総理大臣になります。
5度の総理大臣へ
最初は総理大臣になることを周りから勧められても固辞していましたが、のちに承諾。
ちなみに現在は、当たり前ですが議員でないと総理大臣にはなれませんが、当時は政治家でない外交官から総理大臣になったのは吉田茂が最後の人物でした。
終戦翌年の1946年に67歳で総理大臣になります。
第一次内閣の時にはアメリカのGHQ主導で「日本国憲法」が作成されます。
憲法を決める際も、アメリカとしては日本が二度と刃向かってこないように軍事力をなくすことを目的としており、吉田茂も元々軍事力を持つことには反対していたため、憲法9条にある通り、平和主義を規定した憲法となりました。
そして、1951年、第三次内閣の時には敗戦後の日本の処理を決める「サンフランシスコ講和条約」が締結されます。
吉田茂としては、第一次世界大戦に敗戦したドイツと同じようにならないよう、列強国の要請も受けながら日本を守るという難しい交渉をすることになります。
このとき吉田茂は、ズタボロになった日本をまずは復興させるため経済政策を優先し、軍事力は後回しにしました。現に吉田茂はこんな言葉を残しています。
「日本は敗戦によって国力が消耗し、やせ馬のようになっている。このヒョロヒョロのやせ馬に過度の重荷を負わせると馬自体が参ってしまう」
まずは国力を豊かにすることを優先。
その結果、防衛力はアメリカに任せるという『日米安全保障条約』も締結します。
この条約は日本に米軍基地を置きながらも、アメリカが日本を守ってくれるという保証までは明記されてないので不平等だと批判も受けます。
しかし、まずは国内の経済を回復させることを優先し、諸外国にあった日本の領土も返還し、アメリカとの関係性も維持して、他国と戦争に発展するようなトラブルを避けるような決断をしたのです。
負け戦でしたが、まずは内側を強くする決断をしたことはその後の高度経済成長にも繋がったのではないかと僕は思います。
これが、さらに他国に対抗するために軍事力ばかりに力を注いでたら日本の経済力はこんなスピードで伸びなかったでしょう。
日本国内にも反対派は多かったので、吉田茂は政治生命をかけてサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約を結びました。
その証拠に、日米安全保障条約の締結には自分ひとりで出席しています。
これは国内の反対派から仲間を守るためで、批判は自分ひとりだけに収めようとしたからです。男気ありますね!
ただ、結果は意外で帰国後の内閣支持率は58%で、これまでの吉田茂内閣の中では最高の支持率となりました。
しかしそれを最後に支持率は低下。第四次内閣の時は国会での野党からの執拗な質問に対して「バカヤロー」とつぶやきそれをマイクが拾ってしまい大問題に。そのまま解散して「バカヤロー解散」と呼ばれます。
第五次内閣のときには汚職事件などもあり、退陣することになります。
最後の方は残念ですが、吉田茂が防衛ではなく割り切って経済優先に注力したからこそ今の日本があると言っても過言ではないかもしれませんね。アメリカの基地問題も未だあるので彼の政策を批判する人もいるのですが、日本に残した功績も計り知れないでしょう。現に彼は国を挙げての国葬をされています。
上手な負け方
僕が吉田茂の生涯から学んだのは「上手な負け方」です。
太平洋戦争に負けて日本はどれほど賠償を迫られるのか。
第一次世界大戦 敗戦後のドイツを見てきた吉田茂だったからこそ、最小限に止める交渉ができたのではないでしょうか。
吉田茂は、気難しいことで有名なマッカーサーとも仲が良かったようです。非常にユーモアもある人物で、外国との関係性を作る上でも役だったことでしょう。
こんなエピソードがあります。
戦後の食糧難で国民が餓死しそうなので、100万人分の食料をアメリカに依頼しますが、マッカーサーはかなり少ない支援しかしなかったそうです。
それをなんとかうまくつなぎ、餓死者は出さなかったのですが、マッカーサーは「なんだ、足りてるじゃん、100万人だなんてそんなデタラメな統計をしてもらっては困るね」と批判。
吉田茂はこのとき「当たり前です。日本が正確な統計が出来ていたら勝てる見込みのないアメリカに戦争を仕掛けませんよ」と回答。
怒っていたマッカーサーを笑わせたと言います。
こういう機転の効かせ方もうまいですね。
未来を見据える先見の明があります。
負けても卑屈にならずに、自分達に何が一番必要か?(防衛よりも経済)を考え、諸外国にも納得してもらう落とし所を見つける。
負けてはいるものの自分達に有利に持っていくのはとても上手な負け方だなと思いました。
吉田茂から学べる教訓
吉田茂から学べる教訓は「負けたあとだからこそ、自分達に何が一番必要かを考えるべし」ということです。
負けて卑屈になったり、諦めたりせず、または逆に自分達のことだけ考えて相手を怒らせないように、冷静にうまく立ち回らないといけません。
吉田茂は、自分達の国力の回復を優先しながらも、アメリカにも納得してもらうために日米安全保障条約にもサインをしました。
日米安全保障条約は批判もされていますが、経済と防衛を一気に対策するのではなく、ひとつずつ着実に取り組んでいく。
こうした姿勢は負け方の見本として学ぶことがあります。
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最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた。
ざす。