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まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ

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楠木正成とはどんな人?彼から学べる教訓【臨機応変に行動できるコツ】


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ども!

ライフコーチのけんいちです!

 

『まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ』へようこそ。

このブログではライフコーチの観点から心が楽になる考え方をシェアしたり、オススメの本や映画の紹介をしたりしています。

このブログを通して知らなかったコトやモノに出会え、新たな世界が開けるかも?!

 

 

 

僕は歴史が好きで良く調べたり本を読んだりしています。

 

歴史は繰り返す

歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)

 

シリーズ144人目は、鎌倉時代後期に後醍醐天皇への忠義を尽くした武将の楠木正成」です!

 

彼は「忠義の人」として知られ、今でも皇居の中に銅像があります。歴史上の人物で皇居に銅像があるのはふたりだけ。そのうちのひとりが楠木正成なのです。

 

彼は、鎌倉幕府を倒すために挙兵した後醍醐天皇の味方になり、その類稀なる智略で数では劣勢だったにも関わらず、幕府側を苦しめます。

後醍醐天皇に忠義を尽くしたものの、最期は自害をしてしまいます。

 

そんな悲劇の英雄・楠木正成の生涯をざっくりポイントのみ触れてわかりやすく解説していきます。

 

そしてそこから現代を生きる僕たちにもタメになる教訓をご紹介していきますね。

 

彼の生涯や実績を知ると、「新しい事業の成功の秘訣」が学べます。

 

 

 

 

 

(約5分で読めます)

 

楠木正成とはどんな人?

楠木正成肖像画

楠木正成(Wikipedia参照)





夢のお告げで後醍醐天皇へ呼ばれる

 

楠木正成は、豪商の生まれでお金持ちの家柄でした。

 

当時鎌倉時代だったので幕府があるのは関東の鎌倉。

 

楠木正成は関西の生まれで、幕府の目の届かないところにいました。

当時、幕府や天皇に仕えていない人を「悪党」と呼びましたが、楠木正成は悪党でした。

 

 

なぜ、当時の後醍醐天皇に仕えるようになったかというと、後醍醐天皇の夢の中のお告げだという説があります。

 

後醍醐天皇

後醍醐天皇(Wikipedia参照)

 

後醍醐天皇が、鎌倉幕府を倒すために挙兵した「元弘の乱」のさなか、劣勢だった後醍醐天皇は、夢の中で「南に

枝を伸ばした大きな木の下にある上座があなたの席です」と言われたそう。

「木」+「南」=「楠」と、「楠」が名前につく人物を探せ!と動き出し、楠木正成が抜擢されたそうです。

 

こういう話は史実なのかどうかわかりませんが、そういうキッカケで後醍醐天皇と繋がります。

 

 

忠義の臣・楠木正成大活躍!

 

楠木正成は大活躍します。

 

幕府が圧倒的に力を持っていたので兵力の差はかなりあったものの、その智略で幕府軍を追い返します。

 

山の上にあった城に立てこもって防戦したときには、城壁の前にさらにニセモノのはりぼての城壁を作りました。

それに敵兵が登ってきた際、はりぼての城壁が崩れ、そこから巨石を転がし撃退。

さらに攻め入ろうとしてくる敵兵には熱湯をかけ、撃退。さらにさらに、人糞も投げたということも伝えられています。笑

 

兵力で不利な場合は、知恵を使い戦い、幕府軍相手に善戦をしたのです。この城の戦いを「赤坂城の戦い」と言いますが幕府軍を撃退してこのピンチを凌いだのです。

 

後醍醐天皇に無下になれるも…

楠木正成の善戦もあり、今の鎌倉幕府に不満を持った武士たちが反旗を翻すようになってきます。

 

そのうちの人物が鎌倉幕府を倒した新田義貞。のちに室町幕府を開く足利尊氏です。

 

こうして3名の優秀な武将を筆頭に、足利尊氏が京都にあった六波羅探題という幕府が置いた天皇の監視機関を撃退。その後、新田義貞が鎌倉幕府を倒幕し、鎌倉幕府は終焉を迎えます。

 

こうして、一度はピンチになった後醍醐天皇も、鎌倉幕府亡き後、「建武の新政」という政治を行います。

しかしこれは朝廷にばかり有利な内容の政治でがんばった武士たちにはなんの見返りもありませんでした。もちろんこの措置に不満をもつ人もたくさんでてきます。

 

そのうちのひとりが足利尊氏です。

 

足利尊氏は、後醍醐天皇に見切りをつけて巨大な兵力で攻め込みます。楠木正成はそれでも後醍醐天皇に忠誠を誓っていたので、足利尊氏と戦うことになります。

 

足利尊氏の強さと兵力をわかっていた楠木正成は、後醍醐天皇に和睦をするように求めたり、一旦逃げたフリをして京に招き入れて包囲して兵糧攻めにするなど進言しましたが、後醍醐天皇はプライドと意地に負けてこれを拒否。

 

結局負けがわかってながら真っ向から戦うことになってしまったのです。楠木正成はこのときどう思ったことでしょう。

 

有名な「桜井の別れ」というものがあります。

これは楠木正成が、「桜井駅」という宿場で、息子との別れになる出来事です。

絶対的不利で負けがほぼ確定していた足利尊氏との戦(湊川の戦い)に、息子も一緒に戦うと言いますが、父の正成はこれを拒否。自分ひとりで戦に行き、のちに湊川の戦いで自害することになり、これが今生の別れとなります。このシーンは、能や歌にもなって語り継がれていきます。

 

 

後醍醐天皇に忠誠を誓い、建武の新政で自分たちにはなんの見返りがなくとも裏切ることはなく、足利尊氏との戦いでは度重なる誤った判断により、窮地に追いやられるも、自分の命を捨ててまで天皇に忠義を尽くした楠木正成。

 

人によっては、裏切ったっていいから生き延びればいいのにと思う人もいるかもしれませんが、彼の忠義の心は後世の人々の心を強く揺さぶり、今でもファンの多い人物です。彼の生涯や思想から学べる教訓を書いていきます。

 

 

 

 

臨機応変に行動できるコツ

アイデア

 

僕が楠木正成の生涯から学んだのは「状況によって判断する臨機応変さ」です。

 

彼は戦の達人でした。孫氏の兵法を彷彿とさせるような戦いぶりです。

 

自分たちが不利なら不利なりの戦い方を模索する。

後醍醐天皇のようにプライドや名誉などは気にせずに、裏切り者で敵である足利尊氏とも手を組もうとしたりもしました。

 

最後は忠義を尽くして自害してしまいますが、この臨機応変さは我々にも応用できますよね。

 

大手の全国チェーンにはできないことをして成功している小さなお店だってあります。

自分たちにしかできないことは何か?

諦めない心でビジネスも取り組んでいきたいですね。

 

 

 

 

 

 

楠木正成から学べる教訓 

勉強

楠木正成から学べる教訓は「臨機応変に行動できるためには、自分にできることに注力するということ。

 

どうしても相手と比較すると劣っている部分に目が行きます。楠木正成も鎌倉幕府、足利尊氏と対峙するうえで兵力では圧倒的に不利なので、兵力ばかり気にしていたら滅入っていたことでしょう。

 

自分にできることは何か?

 

これを考え抜いたからこそ、勝利を手繰り寄せることができたのです。ぜひ、彼の生涯からの教訓を今後に生かしていきましょう!

 

北方謙三氏の「楠木正成」に関する歴史小説もありますので興味がわいた人はぜひ読んでみてください(^^♪

 

 

 

 

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それぞれお問い合わせはお気軽にご連絡ください!連絡先→g4n0323@gmail.com

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

ではまた。

ざす。