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ライフコーチのけんいちです!
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僕は読書が大好きで、年間100冊ほどビジネス書や歴史書中心に読んでいます。
そんな僕が定期的にブログにてオススメ本を紹介しております。
今回紹介する本はコチラ!
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人類は「怒り」という感情とどう向き合って来たのか?
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「怒り」は一番身近な感情であり、一番厄介な感情でもあるんではないでしょうか。
長い歴史の中で人類にとって議論のテーマにもなってきた「怒り」について、古代の哲学者の考えから現在のSNSでの取り扱いに至るまで触れていきます。
✔心理学や感情、メンタルの勉強をしている
✔「怒り」という感情と向き合いたい
「怒り」と向き合いたい人についてオススメです!
(約5分で読めます)
この本の要約と感想
怒りについては古代から議論のテーマになってきていた。
仏教ではブッダが怒りを全否定し、アリストテレスやストア派哲学のセネカまで怒りに対しては否定的だった。
しかし、近代では黒人差別への怒りとしてマーティンルーサーキングが活動をしていたり、道徳感情として許される「怒り」も認められて来た。
「怒り」について様々な偉人の見解を知ることができ、自分の感情について考えを深めることができる一冊。
怒りとは?
怒りという感情は誰しも持ち合わせていて、かつ、一番身近な感情です。
身近な感情ではありますが、たいてい「怒り」はネガティブに捉えられます。
すぐ怒る人は嫌われるし、今では「褒めて人を育てるべし」という風潮もあります。
本書は、その「怒り」は歴史上どのように扱われてきたのかを論じている本です。
怒り(いかり、英: anger)とは、人間の原初的な感情のひとつで、様々な要因・理由で起きるもの。例えば目的を達成できない時、身体を傷つけられた時、侮辱された時などに起きるものである。(Wikipedia参照)
怒りを含めた感情は、起こった出来事に対して自分がどう感じるかで発生します。
これは完全に僕の私見ですが、「怒り」は自分の思ったようにならなかった出来事が起きたときに発生するものだと考えます。願いの裏返しなのです。
そんな怒りについて歴史上、どのように捉えられていたのでしょうか。
怒りの歴史
仏教
「怒りを捨てよ」とブッダは言った。怒りはみずからの主張を押し通したがる欲望であり、我々と世の中との関係から生じる悩みだ。「怒りを捨てよ」という勧告は絶対だ。怒りが正しかったり適切だったりすることは一切ない。怒りは他者を傷つけると同時に自分も傷つけるから、正しいはずがない。(21pより引用)
仏教は「怒り」を全否定します。
日本の「浄土宗」を開宗した法然も、父が他人の策略によって殺されたとき、父からは「復讐は絶対するな。憎悪からは憎悪しか生まれない」と遺言を残されています。
仏教では「怒り」は悪なのです。
ストア派哲学
ストア派哲学とは、ストイックの語源にもなった哲学の宗派で、困難に立ち向かうために良く生きる方法について説いている哲学。
現代でも関連の本が良く読まれています。
僕も影響を受けた哲学です。
怒りに身をゆだねることは理性を失うことであり、しかも、人間の性質はもともと理性的なので、怒ることはそのままみずからを失うことを意味する。(41pより引用)
ストア派哲学の代表者であるセネカも仏教と同じく「怒り」を否定します。
ストア派哲学では、心と体はひとつだと考えていて、体が怒りの反応を示すと心もそれと同じだと言います。
心が荒んでしまう「怒り」は手放すべきものなのです。
ストア派は、自分で自分をコントロールすることを大事としたので、感情に振り回されることは悪としました。
新ストア主義
新ストア主義とは、16世紀ごろにおきた、ストア派哲学とキリスト教を融合させようとした宗派です。
先に述べたように、ストア派哲学は、「怒り」を根絶すべきと考えていました。
キリスト教では、「七つの大罪」に「怒り」が入っていることからもわかるように基本的には否定的ですが、正しい「怒り」もあるとしていました。それは、神からの罰です。絶対である神がやっていることは怒りだとしても正しいとされています。
これを融合させた新ストア主義は、「怒り」は根絶できなくても発生した原因や意義を考えることで対処できればそれでいいんだと主張します。
根絶を主張してたストア派よりも少しゆるいですね。
ちなみに、怒りには美徳なものもあるという考えは紀元前を生きたアリストテレスも同じことを言っています。
近代の道徳的な「怒り」
わたしたちの倫理観は、賛成するために愛が必要なように、断罪するために怒りが必要なのだ。怒りがなければ、我々は道徳的な判断ができない。(160pより引用)
残酷な罪を犯す人には「嫌悪感」「怒り」の感情を抱くのは誰もがそうだと思います。
「死刑制度」はまさにそうで、「犯人は絶対に許されるべきではない」という「怒り」の感情から処するという仕組みです。
このように許される「怒り」もあるというのが現代の捉え方ですね。
生物学的な観点からの「怒り」
本書によると2012年には、セロトニン(別名:幸せホルモン)が、ネガティブな感情=怒りを抑え込んでいるという説が実証されたようです。
怒りは脳内のセロトニン不足も原因だそうです。
「怒り」は体の反応という捉え方もあるのです。
たしかに、湿気が多くジメジメしてるときの方がイライラしやすかったりしますよね。
環境や自分の体の状況で「怒り」の沸点が変わる気がします。
あなたは「怒り」とどう向き合う?
すべてではないですが、本書に書かれていた歴史の人物やこれまでの学問による「怒り」との向き合い方を紹介しました。
著者が言いたかったことはコチラ。
本書の目的は、過去に存在した、また現在存在するさまざまな種類の怒りを考察することだった。怒りの道徳性は、その多様さそのものにある。それは政治的な怒りと個人的な怒りのことだ。(262pより引用)
怒りは本当に悪い感情であって、全否定されるべきものなのか?
僕自身、あまり怒らない方で「怒りは怒りしか生まない」という考え方をしていたので否定的に捉えていました。
しかし、道徳的な怒りもある、美徳とされる怒りもあるというのは新しい発見でした。
本書の著者も、あらゆる怒りに関する考え方を紹介することで読者に「怒り」について再度考えて欲しかったのではないでしょうか。
万国共通の答えはないと思います。
怒りはネガティブな感情ととらわれがちで、実際に犯罪の多くの原因も「怒り」だとは思います。
しかし、人間に誰しもある感情だし、その「怒り」という感情も自分自身であり、その目的を自分でわかっていて他人に危害を加えなければ「怒り」もあっても良い感情なのかな、とも思いました。
あなたはどう感じますか?
ぜひ、本書を読んでみて考えてみるといいと思います!
✔自分自身で「怒り」について向き合うことが大切
✔「怒り」は自分が生み出した感情。生まれた原因と目的を考えるべき
最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた。
ざす。