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まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ

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【教養】富士山の歴史をわかりやすく!【日本をもっと知ろう!】


Hatena

ども!

ライフコーチのけんいちです!

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このブログではライフコーチの観点から心が楽になる考え方をシェアしたり、大好きな本や映画の紹介をしたりしています。

このブログを通して知らなかったコトやモノに出会え、新たな世界が開けるかも?!

 

 

本記事は、「教養として日本のことをもっと知ろう!」ということで日本を代表する「富士山」の歴史について書いていきます。

 

海外の人と接するときに日本のこと教えて!と言われて答えられなかったらもったいないですよね。

 

日本のことを深く知った上で世界中のいろんな人とコミュニケーション取れたら楽しくなるハズ!

 

◆本記事はこんな人にオススメ!
✔富士山にいつか登ろうと考えている人
✔歴史好きな人
✔海外の人と接することがある人

 

 

(約4分で読めます)

 

富士山の歴史①誕生と噴火活動の開始

富士山

富士山は300万年前、海底に底に埋まっていました。

300万年前というと、まだ人類がアウストラロピテクスとかの時代。途方もないですね。

 

ホモサピエンスが台頭してきた時代の10万年前くらいから富士山は噴火活動を始めたと言われています。人類とほぼ同じ歴史?!

 

富士山は活火山で未だに噴火活動をやめたわけではありません。

20万年間も生き続けているって神秘的ですね!

 

愛鷹山(あしたかやま)と小御岳火山(こみたけかざん)というのふたつの山が噴火を繰り返し、地上に上がってきました。

 

小御岳火山は今の富士山の五合目あたりが山頂になっていて富士山の一部となっています。

 

愛鷹山と小御岳火山は8万年前には活動を停止しましたが、このふたつの火山活動により、ふたつの山の合間に小さな山の「古富士」が出来ます。

 

これが今の富士山の原型。

この古富士の火山活動により出た灰が、愛鷹山と小御岳火山に挟まれてせき止められどんどん積み上がっていき高い山となっていったのです。それが富士山。

 

しかし、1万年前には火口がふたつあったそうです。1万年前というと縄文時代。縄文人が見てきた富士山にはふたつの山頂が見えていたのです。

ふたつ山の富士山

ふたつ山の富士山(https://chafuka.jp/mtfuji/history/参照)


 

 

古富士が東側、新しく西側にできた火口が新富士と呼ばれ、古富士は大規模な土砂崩れによりなくなり、そのあとも新富士が火山活動でどんどん大きくなり、今の富士山を形成します。

 

平安時代の「貞観の大噴火」、江戸時代の「宝永の大噴火」などそれぞれ大規模な火山活動がありました。

 

富士山の麓にある富士五湖という湖はこうした大規模な噴火による溶岩流で分断されて5つの湖になったと言われています。

 

特に江戸時代の「宝永の大噴火」では噴煙が上空2万メートルにまで達したそうで、これは飛行機が飛ぶ高さをはるかに越え、大気圏の「成層圏」に突入している高さです。

 

海を越えた日本の近隣の国の人たちもその噴煙を目にした人もいるかもしれませんね。

 

こうして江戸時代の「宝永の大噴火」を最後に今日まで富士山の火山活動は見られませんが、まだ活火山なのでこれから噴火することもあるでしょう。

 

神秘的ですが、ちょっと怖いですよね…

 

 

 

 

 

 

富士山の歴史②信仰の対象に

祈り

富士山は信仰の対象になっていました。

日本はもともとアニミズムといって、自然を敬う風習がありました。

 

また「八百万の神」という考え方も大昔からあります。万物に命は宿っていて神々はたくさんいるということ。

 

こんな考え方を持っているので、富士山の火山活動は富士山が生きていると捉えられ、かつ日本で一番大きな山だったので「神仏が宿る山」とされていて信仰の対象となっていました。

 

富士山のふもとから山頂を拝める場所に「浅間神社」を建立。806年に坂上田村麻呂が建立したと伝えられています。864年~866年に起った「貞観の大噴火」は、朝廷は占いで「参拝の怠慢のせいだ!」とし、参拝がより盛んになっていきました。

 

それ以外にも、室町時代には一般庶民による信仰のために登山することが多くなってきたり、修行としての登山もよく見られたりするようになりました。

 

 

富士山の歴史③芸術の対象に

富士山の絵画

 

富士山は芸術の対象にもなっていました。 

 

日本で最も古い歌集の万葉集では、「富士山は国の鎮めの神であり、国の宝である」と詠まれています。奈良時代の万葉集にすでに「日本の宝」と言われているんですね!

 

江戸時代には、歌川広重が富士三十六景や東海道五十三次で、様々な場所から見える富士山を描きました。


葛飾北斎の富岳三十六景は世界にも広く知られ、印象派代表のゴッホなど海外の芸術家にも大きな影響を与えます。松尾芭蕉や与謝蕪村なども俳句で富士を謳っています。

 

富士山は、信仰されるだけではなく、芸術の対象ともされていたのです。

まさに日本のシンボルですね!

 

富士山の歴史④世界遺産はなぜ自然遺産じゃなくて文化遺産?! 

富士山

 

そんな日本人にずっと愛されてきた富士山ですが、2013年には世界遺産にもなりましたね!

 

世界遺産には「文化遺産」「自然遺産」「複合遺産」という種類がありますが、富士山は「文化遺産」で登録されました。

 

山なので「自然遺産」にもなりそうですが、これまでの歴史で見た通り、信仰の対象になっていたり芸術の対象とされていたり、これまでの日本の文化を代表してきたものと認識されて「文化遺産」となったのです。

 

理由もわかりますよね。

 

こんな風に書いている僕も恥ずかしながらまだ富士山を登ったことはありません。

歴史が好きで調べていくうちに、とても興味もわき、何千年と日本の文化の中心になってきた富士山に改めて「登りたい!」と思いました。 

 

 

歴史を知ってから富士山に触れてみるのもいいですね。

海外の人との交流の際も、富士山の魅力を伝えられる日本人でいたいです。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

ではまた。

ざす。