ども!
ライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!
僕は歴史が好きで良く調べたり本を読んだりしています。
歴史は繰り返す。
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)
シリーズ104人目は、絶対勝てないと思われた日露戦争で日本を勝利に導いた最強の軍人「東郷平八郎」です!
名前は一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
日本がロシアに勝利したというのは、世界的にも衝撃的ニュースで「トーゴ―」の名前は知れ渡り、世界初のニュース雑誌『TIME』誌に日本人として初めて表紙を飾りました。
ロシアを恐れていたトルコ(当時オスマン帝国)は日本の勝利に歓喜し、生まれてくる子供に「トーゴ―」と名付けたとか?!(本当か?笑)
世界的にも「名将軍」として有名になり、またその性格から「沈黙の提督」と謳われた東郷平八郎の生涯を見ていきましょう。
本記事を読み、彼の生涯を知ると「人望ある人は喋りすぎない」ということが学べます。
(約4分で読めます)
東郷平八郎ってどんな人?
青年期から実践を積む
東郷平八郎は、1847年の江戸時代末期に鹿児島県(薩摩藩)に生まれます。
当時の薩摩藩には西郷隆盛もいました。西郷と東郷。西と東。彼らが親友だというのもなんだか運命を感じますね(^^♪
彼は、子どもの頃から実践を積んでいました。
わずか15歳の頃にはイギリス人が薩摩藩に斬られたという「生麦事件」がキッカケで「薩英戦争」という争いが起き、それに従軍しています。
20歳の頃には、薩摩、長州らの「新政府軍」と「旧幕府軍」の争いの戊辰戦争にも参加。
このように青年のときから実践を積んでおり、これがのちの軍人としての力となっていきます。
『沈黙の提督』、日露戦争でヒーローに
戊辰戦争後には、イギリスへ留学しています。
最初は留学を希望したさいに大久保利通には「東郷はしゃべり過ぎるからダメだ」と断られていたそうですが、西郷隆盛が後押ししてくれ留学が叶います。
大久保利通のこの言葉から寡黙になったと言われています。
その留学の岐路の途中、西南戦争で西郷隆盛が自害した知らせを聞き「日本にいたら西郷さんのもとにはせ参じたでしょう」という言葉を残したと言われています。
もし、東郷平八郎も日本にいたら、西郷隆盛とともに亡くなっていて、のちの活躍は見られなかったかもしれません。。。
軍人として功績を残していた東郷平八郎は、1894年の日清戦争でも活躍。
10年後の1904年の日露戦争では海軍全般の作戦を指揮します。
ロシア最強にして最大の『バルチック艦隊』を破る「トーゴ―ターン」と呼ばれる攻撃を行います。
艦隊の数でも規模でも勝てそうになかった日本の軍艦は、迫りくる巨大艦隊の前にそのまますれ違いざまに砲撃するか真正面から戦うかしかないと思われていました。
しかし、バルチック艦隊とすれ違う直前に、今まで沈黙を守っていた東郷平八郎は右手を上げ、左におろしたそうです。
その合図とともに日本の艦隊は左へ急回転。バルチック艦隊の進路をふさぐように横向きになり、砲撃を開始しました。
横向きになると敵から見た面積も広くなるので不利になるため、海軍の作戦としては非常識な方法でしたが、意表を突かれたバルチック艦隊は次々に砲火に包まれていき、ついに日本が勝利したのです。
これは「トーゴ―・ターン」と言われ世界中の海軍の軍人に衝撃を与えました。
この日露戦争の勝利で「東郷平八郎」の名前は世界に知れ渡ります。
「東洋のネルソン」と謳われます。ネルソンとは、ナポレオン戦争からイギリスを守った英雄。
沈黙を守ることから「沈黙の提督」とも呼ばれてました。
ロシアの圧力に恐れていたトルコは、自分事のように日本の勝利を喜び、その年に生まれたこどもに「トーゴ―」と名付ける人も多かったとか、トーゴ―通りというストリートもあったとか。
『TIME』誌に日本人として初めて表紙を飾ったこともあります。いかに世界に衝撃を与えたかがわかりますね。
神格化される存在に
晩年は、一線から退いたあとも、海軍は東郷が偉大すぎたので東郷の発言を利用して軍事作戦などを進めようとします。
ある意味、東郷の意図したところではない形で利用されたりしてしまったとか。
偉大過ぎる故の苦悩ですね。
そして癌や結石が悪化して86歳で亡くなってしまいます。
当時の小学生が「東郷元帥でも死ぬの?」と言った、というエピソードが言い伝えられています。まさに「神」のような存在だったのです。
イギリスでも「東洋のネルソンが亡くなった…」と自国の英雄に例えてその死を嘆きました。
人望ある人は喋りすぎない
東郷平八郎からは「人望ある人は喋り過ぎない」ということを教えてもらいました。
大久保利通から「喋りすぎる」ことを指摘されたこともある東郷平八郎はそれを気にしてのちには「沈黙の提督」と呼ばれるまでの人に変わりました。
戦争のときも不利な状況にも特に何も言葉を発せず動じなかったそうです。
そのおかげもあり、自軍はうろたえることなく戦争に集中できました。
沈黙で堂々といることはリーダーにとって必要なスキルです。
『口は災いのもと』と言いますが、喋りすぎると過去の発言と辻褄が合わなかったり、うっかり余計なことを口にしてしまったり不利な状況になることが多いです。特に人前に出る人は。
もちろん交渉がうまい人は言葉巧みに話せるかもしれません。
しかし、皆がそういうわけではないので、余計なことは喋り過ぎずにいることが自分を守ることにもつながり、また、威厳も醸し出すこともできます。
東郷平八郎から学べる教訓
東郷平八郎から学べる教訓は「人望ある人は喋り過ぎない」ことです。
組織のリーダーや部下のいる上司も参考にするべきだと感じました。
東郷平八郎は破ったロシアの軍人にも寛大だったそうです。
寡黙で威厳があり、喋る時は「ここぞ」というとき。
晩年は部下の海軍の軍人からの相談を受けたりしていたそうですが、それが悪用されてしまった事もあると考えるとやはり喋り過ぎは良くなさそう。
「沈黙の提督」、東郷平八郎のようなリーダー、憧れますね!
東郷平八郎のことをもっとよく知りたいという方は以下の本もオススメ。東郷平八郎とよく比較される山本五十六と合わせて学べる内容です。
山本五十六についても以下の記事でまとめていますので是非。
山本五十六とはどんな人?彼から学べる教訓【避けられる争いは避けるべき】 - ド底辺サラリーマンの夢の叶え方 (kkenichi.com)
最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた。
ざす。