ども!
ライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!
僕は歴史が好きで良く調べたり本を読んだりしています。
歴史は繰り返す。
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)
シリーズ101人目は、女性の参政権獲得のために生涯かけて奔走した「市川房枝」です!
戦時中は、女性が政治に参加することは許されませんでした。
戦後に女性の参政権獲得に奔走し、そしてついに実現させました。
彼女の行動力と実行力から多くの支持を受けて、亡くなる1年前に87歳という年齢で得票率全国ナンバーワンで議員当選もします。
しかし、途中は「公職追放」も受け、自殺まで考えた苦難も。
そんな市川房枝の人生について簡単に触れていき、彼女から学べる教訓をまとめていきます。
本記事を読めば「誠実な人の行動や特徴とは何か」が学べます。
(約4分で読めます)
市川房枝ってどんな人?
幼い頃から父の暴力に悩む
市川房枝(以下、敬称略)は、1893年の明治時代に愛知県で生まれます。
父親は、最初は商売をしていましたが、のちに農業がメインの仕事となっていたそうです。
父親は「勉強できないから商売でうまく行かず農業をしている」という劣等コンプレックスを抱えていました。
そのいらだちもあってか、自分の妻に対して暴力を振るい、幼い房枝にも暴力的だったようです。幼少期、父親へは恐怖しかありませんでした。
また、父親は自分の「勉強できない」コンプレックスもあり、房枝ら子供たちには非常に教育熱心でした。
房枝の兄や妹は海外留学もしています。
そんな幼少期に、父親の暴力にあう母が言った言葉が房枝がのちに女性民権運動をするキッカケとなるのです。
「お前たち(房枝ら子どもたち)がかわいいから暴力受けても我慢してるんだ。女に生まれた因果だから」
房枝はこの言葉を聞いて「女に生まれたことが悪いこと」のように捉えてしまったのです。
そして『市川房枝自伝』では、自身でこう書いています。
私のそれからの長い人生は、母の嘆きを出発点にえらんでしまったようである
こうして、女性の不平等を是正するために人生をかけていきます。
女性参政権獲得までの活動
その後、女子学校に通い卒業後は名古屋新聞の記者になります。
そして、出会った平塚らいてうと1919年には新婦人協会を設立。
当時は、女性だけで集会を開いてはダメという法律があったのです。
その法律の改正を目的として活動します。
1925年には「男子普通選挙法」が制定され、男性しか選挙に出られないことにも疑問を持ち、婦人参政権を訴える議案を通そうとするが、否決。
そして、市川房枝は、ある決断をします。
自分らの婦人団体が、戦争を遂行する国に賛成して協力する立場であることを表明するのです。
大政翼賛会といういわば独裁国家を推奨するような団体に組み込まれていき、市川房枝は国民の言論を監視する『大日本言論報国会』という団体の理事にもなります。
これは、ファシズムを批判していた市川房枝としては望むことではなかったと思いますが、国に同調していかないと婦人の参政権は得られないと考え、このような行動を起こしていくのです。
これは、婦人参政権獲得に結び付きますが、同時に悲劇をも、もたらします。
公職追放とそれから
献身的な政治活動により、やっと女性が政治に参加する権利を得ます。
終戦直後の1945年12月でした(男女普通選挙)。
その翌年には39人の女性議員が誕生しています。
市川房枝の悲願が実を結んだ瞬間です。
しかし、市川房枝は突如「公職追放」を受けます。
イコール政治活動の禁止です。
なぜかというと、終戦後のアメリカGHQの処理の中、戦時中に「大日本言論報国会」の理事を務めていたことを指摘され「戦争に協力的だった」というのが理由でした。
婦人参政権を得るために、国策に同調したことがアダとなり、指摘を受けてしまったのです。
もちろん、市川房枝は猛反論。
しかし、それは受け入れられず政治活動から身を引くことになります。
3年後には復帰できたのですが、のちに振り返ると、「すべてを否定された気がして、自殺も考えた」と仰っていました。
1950年に復帰後は、議員にも当選し、政治家として活動していきます。
彼女は「言ったことは必ずやる」というところが支持され、国民の人気を得ていきます。
政治の腐敗を悲観し、汚職事件を厳しく非難しました。
「ストップ・ザ・汚職議員」という選挙カーで演説を繰り返します。
女性の参政権だけでなく、政治の透明性も訴え続けるのです。
彼女は実際に汚職議員の地元にも出向き、汚職撲滅のための演説を繰り返したそうです。
すごい行動力!
こうした活動で信頼を得ていった市川房枝は、1980年に全国トップの得票率で再度議員当選を果たします。その時87歳でした。
しかし、翌年の在職中に心筋梗塞で亡くなってしまいます。
誠実な人の行動や特徴とは?
市川房枝からは「誠実な人の行動や特徴」を教えてもらえます。
誠実な人は、信頼され、自分の信念に賛同してくれる人を増やすことができます。
誠実な人の行動や特徴は、シンプルですが、「言ったことをやる」「約束したことを体現する」ということではないかと感じました。
これが出来ていない人は政治家に限らず多いと思いますし、自分も出来ているのか疑問です。。
女性参政権を獲得するために、戦争を遂行する国に賛同しましたがこれはあくまで「女性の参政権を得る」という信念のため。
高齢になったあとも周りに体力を心配され、全国各地に行脚するのも止められたそうですが、そのとき「私を待っている人がいるからね。行かないわけにはいかないよ」と言ったそうです。
こうした言動を知れば知るほど、市川房枝さんの人柄の良さが感じられますし、信頼されないわけがないと思いますね。
市川房枝から学べる教訓
市川房枝から学べる教訓は「誠実な人の行動や特徴は『言ったことをやる』」ということです。
シンプルだけど、体を張って体現している人って少ない気がします。
自分の言葉と行動を一致させる。
これから心掛けていこうと思いました!!
彼女についての生涯をもっと詳しく知りたい人は以下の本がオススメです。
彼女の行動力の凄さがさらにわかります(^^♪
最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた。
ざす。