ども!
ライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです。
普段は食品会社の営業マンとしてサラリーマンしつつ、コーチング業も行っています。
ライフコーチとして心理学や人との関わり方、メンタルの保ち方などを中心に勉強していますが、個人的に歴史や哲学が大好きで、そちらの勉強もしています。
僕のブログは、歴史についての記事も多いので、本記事では、戦前まで存在した『財閥』について、まったくわからないという人向けにザックリ解説したいと思います。
また、ある程度知っている人の復習にもなるように、『財閥』がなぜ発展したかということにも触れるので、自分のビジネスや生き方の参考にもなるかと思います(^^♪
それでは早速解説していきます!
✔『財閥』が発展・成長してきたポイント
✔『財閥』は現在どう影響しているのか
✔ 自身で会社や組織を運営している人。
✔ 歴史が好きな人。
本記事では、先ほど書いたように『財閥』がなぜ発展したかということにも触れますので、自分で会社や組織を運営している人も参考に取り入れられる内容かと思います。
(約5分で読めます)
『財閥』とは何か
『財閥』というのは、めちゃくちゃ平たく言うと『ある一族が多種多用な業界にまたがって経営する会社の連合体』のことを指します。
明確な定義がないんですよね。
四大財閥と言われていたのが『三井』『住友』『三菱』『安田』。
特に大きかった『三井』『住友』『三菱』だけを取って三大財閥とも呼ばれています。
あれ?聞いたことある名前が多いですね(゜-゜)
特に三大財閥は今でも名を残しています。
三井住友銀行、三菱UFJ銀行、三井不動産、住友生命、三菱電機、三菱重工、、、
そう、このようにあらゆる業界で、同一の家族が大企業を運営している集団を『財閥』と呼ぶのです。
アメリカでいうと、ロックフェラーなどが『財閥』にあたりますね。
明確な定義はないので言いきれませんが、一族経営で多種多様な業界で大企業を抱える点からは『財閥』と言えるでしょう。
日本の財閥は、実際には、戦後のGHQが『財閥解体』を命令してなくなってしまいました。
GHQは、日本の発展のために、『財閥』が市場と資産を独占するのを恐れたんですね。
『財閥』とは何かをざっくり解説したところで、どうして生まれて、どうやって発展してきたかを歴史に触れながら解説していきます。
『財閥』はなぜ発展、成長してきたか
それでは『財閥』が発展してきた理由をご紹介します。現在でも参考になる点です。
それは、①多角的事業を行うこと ②時流とチャンスに乗ること です。
①多角的事業を行うこと
これは『財閥』の特徴でもあるので、言わずもがなですが、色んな事業を行うことです。
もちろん一点集中したほうが、成長速度は早まります。
ただ、その1本勝負に出た業界が世界情勢により不況に陥ったらどうなるでしょう。
現在、コロナ禍で非常に経営が苦しい企業がたくさんあり、実際に倒産してしまったり、閉店してしまったりする企業やお店があります。
僕は音楽が大好きで、よくライブを観に行くのですが、ライブハウスもつぶれてしまった店舗がたくさんあります。非常に悲しいです。
しかし、ライブハウスの中には、音楽だけじゃなくて、講演や発表会、結婚式の二次会などにもスペースを貸し出している店舗もあるのを見かけました。
生き残るために音楽一本ではなく多様な使い方を提供しているのです。
もうひとつ事例を出すと『丸亀製麵』で有名なトリドールホールディングス。
元々焼き鳥屋さんが始まりでした。社長いわく「うどん屋は趣味で始めた」とのこと。
そのうどん屋もヒットしかけていたころに、2004年に鳥インフルエンザが蔓延。
焼き鳥屋は大打撃だったそうです。
しかし、そのときには『丸亀製麺』で約4割の売上を占めていたのでトリドールホールディングスはつぶれずに済みました。
このように、多角的に事業を行なうことはリスク分散の点でも大事です。
財閥が発展してきたのも、金融業、海運業、鉄鋼業など様々な事業を運営していたからでしょう。
そこまでの財力はないにしても、ひとつに絞らずに事業展開する事は大切だと思います。
②時流とチャンスに乗ること
当時、三井も住友も銀行業に乗り出したことで、発展を遂げました。
銀行業は、当時の日本には非常に重要なことでした。
三井も発祥の呉服店経営が厳しかった時に政府の要請で銀行業を始めました。
住友も同じく、所有していた銅山の経営が悪化しているところに銀行業を始めてなんとか挽回。
当時の日本に必要とされていたこと=時流に乗って、拡大していったのです。
三菱に関しても、三井と住友に比べればだいぶ後発で明治時代に出来た財閥ですが、創始者の岩崎弥太郎が、海運業をしていたころに政府からのオファーを引き受け、大量の受注を貰って発展してきました。
当時三菱は海運業では二番手でしたが、このチャンスをモノにして成長できたのです。
かつ、それぞれの財閥は①多角的事業を行うことということもしっかりやっています。
今の時代の流れに乗ること、そして、チャンスがあれば即決してそれを掴むこと。
これが大事です。
また、別に事例を出しますが、ネットフリックスも時流に乗った非常に良い例です。
ネットフリックスは元々レンタルビデオ事業でした。その事業で最大手のブロックバスターというライバル企業は9,000店舗を構え、ネットフリックスは太刀打ちできなかったのです。
しかし、ネットフリックスは、そこから、オンライン化が進むことを確信して配信サービスに事業転換し、かつオリジナルコンテンツを作ることでファンを獲得。確実に業績を伸ばしてきました。
対するブロックバスターは店舗型にこだわり続け衰退。
時流に乗ることは生き残りには非常に大切ですよね。
次は、四大財閥の歴史について触れます。
そこまで詳しく知らなくてもいいという方はすっ飛ばしてください!
四大財閥の歴史
四大財閥について歴史の古い順から成り立ちを書いていきます。
住友財閥
歴史が一番古いのは「住友財閥」で、発祥は戦国時代、江戸時代に遡ります。
初代は住友正友(1585年-1652年)という人。
江戸時代に入り、「富士屋」という出版業と薬を売ることを生業とするお店を開業。
これが住友財閥の始まりとなります。
当時はまだひとつのお店でしたが、すでに商売で成功して巨万の富を築いていた蘇我理右衛門という人物が、正友の姉の婿として養子に来たことをキッカケに住友家は有名になりました。
住友グループでは、住友正友が家祖とされて立ち上げの人とされ、蘇我理右衛門は業祖とされて商売を拡げた人とされて、評価されています。
その後、1895年に銀行業に進出して住友銀行を設立したことをキッカケに財閥としてさらに名を上げていきました。
三井財閥
三井財閥は、三井高利(1622年-1694年)が呉服店「越後屋三井八郎衛門(越後屋)」を営むことからスタート。
三井財閥は一番大きな財閥でした。
この呉服店は支払いが画期的でした。
当時、物を買うときはツケ払いという後払いが主流でしたが、そこで「現金掛け値なし」という支払い方法で人気を博したのです。
これは、現金でその場で払ってくれることを前提に安く売るというもの。
安く手に入るから顧客は喜ぶし、呉服店もすぐお金が手に入るから踏み倒されることもなく安心。
今で言うところのクレジットカードと現金払いの違いでしょうか。
クレジットカードは後で払う代わりに手数料とか掛かりますからね。
この手法が大人気で三井は大きくなっていきました。
その後、呉服店の経営が厳しくなっていたところ、政府の用命により銀行業を開始。
三井銀行がスタートしてさらに三井財閥は確固たる地位を獲得していきました。
三菱財閥
三菱財閥は、岩崎弥太郎(1834年-1885年)が貿易や海運業の会社として「三菱商会」を作ったことを起源としています。
岩崎弥太郎は、土佐藩(高知県)の下級武士でしたが、商才を発揮してビジネスを成功させていきます。
当初は後発だった運送業も、政府が戦争により必要とされる船だったり、輸送手段の仕事のオファーを受け、巨大化していきました。
弥太郎の跡を継いだ2代目〜4代目までが、今の三菱を作りました。
弥太郎は創始者ですが、2代目以降の人が鉱山経営や石油販売、銀行業など事業を多角化していったのです。
安田財閥
他の三代財閥と違って安田財閥創始者の安田善次郎はもともと金融業に携わっていました。
両替商をしていた安田善次郎(1838年-1921年)は、明治維新後に政府が発行する紙幣の取引を担い、成長していきます。
その功績が認められ、政府から頼まれ、銀行業を始めます。
そうして出来た安田銀行が「財閥」と呼ばれるまでに成長するキッカケとなります。
安田銀行は、今の「みずほ銀行」の前身です。
以上、ざっくり四大財閥の紹介でした!
皆、ピンチの時にはチャンスをしっかり掴み成長していったのですね!
まとめ
✔『財閥』が成長してきたのは多角的に事業を行い、チャンスを掴んだから。
✔『財閥』が成長してきたポイントを取り入れ自身の活躍に活かそう!
財閥が発展成長してきたのはもちろん経営者の手腕もあると思います。
でも、成長してきたポイントは平凡な僕にも参考になる部分があると感じました。
ご自身で会社や組織を運営されてる方もぜひ参考にしてみてください!
最後までお読みいただきありがとうございました。
ではまた。
ざす。