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北里柴三郎ってどんな人?彼から学べる教訓【何のために学ぶのか?】


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ども!

歴史好きなライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!

 

歴史は繰り返すと言われます。

歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑)

 

シリーズ68人目は、世界中を苦しめたペストの病原菌を世界で初めて発見し人類に大きく貢献した細菌学者の「北里柴三郎」です!

 

2020年現在、世界はコロナウィルスの恐怖におびえておりますが、歴史上甚大な被害を及ぼした病原菌の「ペスト」もまた再度注目されていますね。

14世紀の大流行のときにはなんとヨーロッパの人口の1/3が亡くなりました。3人に1人の死者数です。

 

そんな世界を苦しめた「ペスト菌」を世界で初めて見つけたのが北里柴三郎です。

 

人類に大きく貢献した彼は、現代でもとても大切な考え方をお持ちでした。

  

 

北里柴三郎って何をした人?

北里柴三郎から学べる教訓は?

 

これらのことをざっくりと5分でわかるように解説していきます^^♪

 

 

 

(約5分で読めます)

 

 

北里柴三郎って何した人?

      北里柴三郎


 

北里柴三郎は、江戸末期から明治時代に活躍し、世界中を苦しめたペストの原因である「ペスト菌」を世界で初めて発見した偉大な細菌学者です。

それ以外にも「破傷風」の治療法も開発しました。

 

「細菌学者の父」と言われ、2024年に新千円札の顔にもなりますね。

ノーベル賞の候補にもなり、北里大学を設立もし、そして体温計や医療機器の会社のテルモも北里柴三郎が創設者となります。

 

日本の医学、細菌学に大きく貢献しました。

 

 

厳しい教育のもと育てられる

 

北里柴三郎は、江戸末期の1853年に今の熊本県に生まれます。

 

父親は「庄屋」という村の納税管理などの役人として働いていました。

母親も庄屋の仕事を手伝っていました。

 

父は、納税管理の仕事をしているだけあって、几帳面な性格だったようです。

母は、親戚に柴三郎を預けて厳しい教育やしつけを依頼していました。

 

8歳くらいの頃には、学者の叔父さんから「四書五経」という中国の儒教を習っていました。

 

こうした幼い頃からの勉強と厳しい教育がのちに活躍する土台を築いたんですね。

 

 

医者の使命を感じる。

 

北里柴三郎は、地元熊本の医学校に入学します。

 

ここで、マンスフェルトというオランダ人の先生に出会います。この方は軍医として働き、日本で医学を教えていた人でもあります。

 

彼から医学の道を歩むことを勧められ、勉強し始め、また、語学も習いマンスフェルトの通訳も務めたようです。

 

医学も語学も堪能とか、エリートですね!

 

21歳のときには東京医学校(現・東京大学医学部)に入学。

在学中に彼はこんな名言を残しています。

 

「医者の使命は病気を予防することにある」

 

病気を治すのではなく、病気にかからないように予防することが大切だと感じ、予防医学や病気の大元になる細菌を調査する細菌学などに没頭するのです。

 

 

 

留学、そして大発見へ

 

医学士という学位も取得し、エリート街道を歩む北里柴三郎は、ドイツ留学のチャンスを掴みます。

 

ドイツといえば、医学で有名ですね。

 

ベルリン大学で、のちにノーベル賞も受賞したことのあるコッホという人に師事。

そこで抜群の業績を残していったそうです。

 

破傷風という今でも恐ろしい病気がありますが、破傷風の治療法も開発。

そして「血清療法」という治療法も生み出しました。

 

血清療法というのは、少量の毒をあえて入れて、体内に抗体を作り、毒を予防できるようにする治療法。

これはとてつもない発見でした。

 

今でも「エボラ出血熱」に効く治療法は、この「血清療法」だけだそうです。

 

 

 

 

ペスト菌の発見

 

そんな業績を残していた北里柴三郎でしたが、帰国した後はうまく研究できずに苦労します。

 

細菌学の研究所が整っていなかったこともありましたが、彼は自分の母校である東大と仲が悪くなっていたことで、良い環境で研究させてもらえませんでした。

(東大の研究や論文を批判していたからだそうです。当時の東大はケツの穴が小さいすねw)

 

そんな状況を見かねた福沢諭吉は、

「なんで海外であれだけの成績を残した彼が思う存分研究できないんだ!!」

と嘆き、巨額の支援をし、研究所を作ってくれました。

 

北里柴三郎は福沢諭吉に心の底から感謝し、研究に没頭。

 

そして40歳くらいの頃、香港でペストが大流行します。

当時既に名を上げていた北里は、政府の要請で香港に行き、ペストの原因を調べることに。

 

すると、ネズミが持ってる「ペスト菌」がその原因だと発見します。

これは世紀の大発見でした。

ペストは14世紀の大流行の際は、ヨーロッパの人口の1/3の方が亡くなってしまうほどの恐ろしい病気でした。

14世紀のヨーロッパの様子

ペストが流行した14世紀のヨーロッパの様子(Wikipedia参照)


 

ペスト菌の発見後も日本の細菌学の発展に寄与します。

あの野口英世も北里柴三郎から学んでいたんです!

 

晩年には、慶応大学の医学部を創設したり、病院の設立にも貢献していました。

 

しかし、78歳で脳溢血により偉大な細菌学者は人生に幕を下ろしました。

 

 

 

 

 

 

人は何のために学ぶのか

       学ぶ


           

 

 

北里柴三郎は、大変熱心な勉強家でしたが、それは「医者の使命は病気を予防することにある」という信念を持っていたからこそ。

 

彼はこうも言っています。

 

「研究だけをやっていたのではダメだ。それをどうやって世の中に役立てるかを考えよ」

 

 

勉強だけしてもダメなんです。

大志を抱いてるか?

自分の人生の使命は?

これをハッキリ言えるかどうか。

 

僕は「お前の使命は何だ?」と聞かれても、たぶんうまく答えられない。。。

 

北里柴三郎先生に怒られちゃいそうです。

 

人はなぜ学ぶのか?それは使命を果たすためなのです。

 

 

 

北里柴三郎から学べる教訓

         勉強

北里柴三郎から学べる教訓は「学ぶための使命を持て」ということ。

 

彼はこんなことも言っています。

「熱と誠があれば、何事でも達成する。

もし、行き詰まったものがあるならば、これは熱と誠がないからである」

 

自分の使命を果たすために勉強をする。

使命を果たすための熱意と誠実さが自分にあるかどうか。

 

北里柴三郎先生について調べているとケツを叩かれたような思いになりました。

がんばるぞ!!!

 

 

 北里柴三郎先生の生涯をもっと知りたいと思った方は、マンガで読める以下の本がオススメです。

 

 

 

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!

ではまた。

ざす。