ども!
歴史好きなライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!
歴史は繰り返すと言われます。
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。
シリーズ62人目は日本人にしてタイの一国の国王にもなった「山田長政」です!
歴史好きな人でないと聞いたことないかもしれませんが、なんと日本人なのにタイの国王になった人なのです!!笑
活躍の場を日本からタイに変えた彼の生涯を知れば、きっと現代にも役に立つことがあるハズ!
山田長政って何をした人?
山田長政から学べる教訓は?
これらのことをざっくりと5分でわかるように解説していきます^^♪
(約5分で読めます)
山田長政って何した人?
身分の低い武士の生まれ
1590年、山田長政は今の静岡県に生まれます。
1590年と言えば、豊臣秀吉が小田原攻めを成功させて天下統一を果たした年。
秀吉の死後、1600年には関ヶ原の戦いがあり、その後、徳川家康が江戸幕府を開きます。
江戸時代は、割と平和だったので、山田長政が物心ついたときには戦はあまりありませんでした。
山田長政は、駿河国(静岡県)の大名の籠を担ぐ仕事をしていました。
※こんな籠を運ぶ仕事。
これは身分の低い人がする仕事でした。
山田長政はふつふつとある想いを抱いていたのです。
海外へ進出?!
「武将として成功したい!!」
そんな風に思っていましたが、世の中は徳川家の時代。群雄割拠の戦国時代に生まれていたら活躍できたかもしれませんが今は活躍の場がありません。
どうしたものかと悩んでいたころ、海外貿易に目をつけます。
当時、朱印船貿易というのでタイ(当時はシャム王国)と交易をしていました。
当時、シャム王国は戦乱の世で国内にいろんな王朝があったり、隣国のミャンマーと争っているような時代でした。
そんなシャム王国は、戦力を補強するために海外から傭兵を雇っていたのです。日本からも傭兵が海を渡って行っていました。
その日本人傭兵として山田長政はシャム王国に渡ることにしたのです。
「日本でダメならシャム王国で傭兵として武将として活躍できる!」
どれだけ戦好きなんだ!!笑
目の付け所がすごい!
アユタヤ王朝の王に絶大な信頼を得る
そこで山田長政は大活躍します。
隣国の戦でも前線で戦い、当時強国スペインも侵略のために攻めてきておりその応戦もしていました。
スペインの船に、奇襲で火を放つなどして、なんと2度も追い払うことに成功しシャム王国を守り抜いたのです。
当時のシャム国のアユタヤ朝の王であるソンタム王という人からの信頼も抜群に厚く、日本の傭兵部隊の隊長に任命され、なんとタイ語の名前も貰うことになりました。
その名も「セナーピモック」。意味は軍神。カッコいい!!笑笑
さらに、さらに、日本でいう大臣クラスの役職ももらいます。
まさに、長政の夢見た未来が実現化したんですね。
タイの一国の王に
しかし、なかなか上手くいかないのが戦乱の世。
当時のアユタヤ朝のソンタム王は体調が悪く、そろそろ誰を後継者にしようかと考えていました。
弟が継ぐか、息子が継ぐかでその周りの人々含め権力争いが始まります。
当時シャム王国では弟が跡を継ぐのが普通でした。
しかし、山田長政は息子が継ぐことを推しており、その通りとなりますが、実は息子についていた長官のシーウォラウォンという人物が「俺が王になってやる」と野心に満ちていた危険人物だったのです。
息子に王位を継がせて、そばにいる自分が権力を握る。日本にもよくありましたね。
そんな策略を立ててました。
それを知った山田長政は「ふざけんな。ソンタム王の血統以外が王位を継ぐなんて俺は許さない」と怒り心頭。
ソンタム王に忠誠を誓っていたからです。
シーウォラウォンは「長政は邪魔だな」と感じ、王になったソンタム王の息子に命令させてリゴールというシャム王国の南の方の一国へ左遷させます。
そこは戦の絶えない場所だったので、その争いを鎮圧するためという名目でアユタヤ王朝から避けられてしまいました。
そして、野心家シーウォラウォンは、好き放題やり、山田長政が恐れていたことが起きます。
シーウォラウォンが王を殺害してしまうのです。
そしてシーウォラウォンは目論見通り邪魔な山田長政を遠くに追いやり、「王」を名乗ることに成功。
しかし、次はシーウォラウォンの予想外のことが起きます。
隣国と争う位置にあったリゴールでしたが、山田長政は戦わずして、7日間で戦を制圧してしまうのです。まさに軍神!!
そしてここにおいて、リゴール王国の王となります。日本人にしてタイの一国の王となるのです。
これに焦ったシーウォラウォンは、山田長政を殺害しようとします。
長政のそばに近づける者を操り、傷口に塗る軟膏に毒を盛り、殺させてしまうのです。
山田長政、40歳でした。
アユタヤ王朝に忠誠を誓い平和を願っていた山田長政でしたが、シーウォラウォンの策略に巻き込まれて無念の死を遂げます。
しかし、山田長政の功績は非常に大きいものでした。ソンタム王が生きていたころ、当時の江戸幕府の2代目将軍の徳川秀忠に国書という外交文書を送ります。
タイが現在も親日でいてくれるのは山田長政の活躍もあったからかもしれませんね。
活躍できないときは場所を選ぼう
日本人の身分の低い武将が、タイの一国の王になる。
すごいサクセスストーリーですよね。
この機転の良さが成功の秘訣ではないでしょうか。
日本で過ごしていたらおそらく、ずーっと現代で言う「カバン持ち」で終わっていたことでしょう。
活躍する場をタイへ変えただけで自分の夢を叶えたのです(途中、無念の死を遂げますが)。
現代の僕らも活躍できずに環境を嘆くだけじゃなくて、ダメだったら環境を変えてみる方がいいのではないでしょうか。
自分の人生は自分で決めましょう。
山田長政から学べる教訓
山田長政から学べる教訓は「活躍できないときは場所や環境を変えるべし」ということです。
変えられないことを嘆くだけではなんの意味もありません。
自分で変えられるところに注力しましょう!
山田長政のように、「このままだと厳しいかな」と思ったら環境や場所を変えるのも手です。
ぜひ、彼の生涯から学びを得て、現代の自分の活動に活かしていきましょう!!
山田長政について学びたい人には以下の本がオススメ。
歴史を専門にした本をいくつも書いている小和田哲男さんの本です(^^♪
読んでくださった方の何か考えるキッカケになれたら幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた。
ざす。