ども!
歴史好きなライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!
歴史は繰り返すと言われます。
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。
シリーズ59人目は「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」で有名な作家の「宮沢賢治」です!
自分が住んでいる岩手県を理想郷とし、「イーハトーブ」と名付けて物語にした作品が『銀河鉄道の夜』
そんな彼ですが、生前はほぼ無名。『銀河鉄道の夜』を含めて、死後に発見された作品らで一躍人気を博しました。
そんな彼の生涯や考え方を紐解き、現代に活かせる教訓を書いていきます。
宮沢賢治って何をした人?
宮沢賢治から学べる教訓は?
これらのことをざっくりと5分でわかるように解説していきます^^♪
(約5分で読めます)
宮沢賢治って何した人?
学生時代は秀才ぶりを発揮
宮沢賢治は、1896年明治時代に岩手県花巻市に生まれます。
親は古着商でした。
幼少期の頃から、鉱物採集や星座を調べたりするのが好きだったようです。
銀河鉄道の夜の発想は幼少期の星座好きから来ているのでしょう。
また、仏教の法華経にいたく感銘し、10代の頃から法華経信者となります。
病弱だったようですが、学校での成績は優秀。
現在の岩手大学農学部に入学した時もトップの成績で入学し、授業料が免除になった特待生でした。
家出して上京
宮沢賢治は、首席で入学した岩手大学を卒業した際、「助教授にならないか」と誘われていたそうですが、それを断りました。
そして、『国柱会』という法華経の宗教団体に入信。
浄土真宗だった父親と宗教のことで激しく口論になり、なんと家出をしてしまいます。
家出して岩手県から上京し東京で『国柱会』の講話を聞きながら印刷所で働いていました。
その傍ら文学も書き始めます。
しかし、東京で暮らしていたあるとき、妹のとし子が病気になったと親からの電報を受け取ります。
急いで故郷の花巻に帰りますが、24歳の若さで妹のとし子が病死してしまいました。
妹を溺愛していた宮沢賢治は、押し入れで「とし子、とし子」と泣き伏せていました。
農学校教員と最初で最後の原稿料
妹の病気の知らせで岩手に帰ったときに岩手県立花巻農学校という小さな学校の教員となります。
教員中に、雑誌に「雪渡り」という童話が掲載され、原稿料を貰いましたが生前宮沢賢治が「物書き」として貰ったお金はこのときだけ。
また、「心象スケッチ 春と修羅」という詩集も刊行。実質、自費出版となりお金をもらうことはありませんでしたが、当時の有名な詩人にも評価されました。
あの阪神タイガースの応援歌である「六甲おろし」を作詞した佐藤惣之助という人にも絶賛されました。
また、中原中也などの有名な詩人もこの「春と修羅」を手にしたそうです。
そして、「春と修羅」の同じ年の1924年に「注文の多い料理店」を出版。
今では宮沢賢治の代表作として知られていますが、当時は全然売れなかったんだとか。
なので、宮沢賢治が原稿料を貰ったのは「雪渡り」という童話を載せた時だけ。
「銀河鉄道の夜」は未完成だった?!
「え?!じゃあ1番有名な『銀河鉄道の夜』はいつ出版されたの?!」
と思うでしょう。
宮沢賢治は37歳の若さで亡くなってしまいます。亡くなるまでの彼の経歴を紐解きます。
農学校の教員も5年勤めて退職。
そして農業を始めます。
「羅須地人協会(らすちじんきょうかい)」という私塾を設立し農業を教える立場にもなったのです。
稲作の指導に当たっていたが、あるとき高熱を出し倒れてしまいます。
一度回復し、また仕事に励むも再度高熱で入院。
病床生活の中で手帳に書き記したのがあの有名な「アメニモマケズ」でした。
これは作品ではなく単なる手帳への殴り書きだったのです。
そして、病床に伏せたまま、宮沢賢治は37歳の若さで亡くなってしまいます。
あの「銀河鉄道の夜」も、死後、友人がたまたま見つけた宮沢賢治の遺作だったのです。
長い年月かけて書き記していた物語。
宮沢賢治は生前は童話作家として売れていたわけではありませんが、死後、評価され人気となったのです。
そんな彼の人気の秘訣は「ありのままの自分を投影させていた」からではないかと僕は思います。
ありのままの自分でいよう
「アメニモマケズ」は、冒頭があまりにも有名ですが、ぜひ全文を読んでほしいです。
「決して怒らずいつも静かに笑っているような人になりたい」
「死にそうな人がいたら怖がらなくていいんだよと声をかけてあげたい」
「褒められず、苦にもされず、そんな人に私はなりたい」
こんな文章が書かれていて非常に長い作品です。
宮沢賢治「雨ニモマケズ」について(原文、現代語訳付き) | 好きなものの話
これを病床の死ぬ前に手帳に書いていたといいます。宮沢賢治の優しさが凝縮された文章ですね。
また、『永訣の朝』という作品もあり、これは妹が死ぬ日の朝のことを書いています。
「今日のうちに遠くへ行ってしまう私の妹よ」で始まる本作品は、最愛なる妹をなくした宮沢賢治の悲しみが凝縮されています。
実は宮沢賢治は妹の葬儀に出ていません。
なぜかというと、これも父親との宗教の対立です。法華経を信じていた宮沢賢治に対し、父親は浄土真宗を信じていたので、浄土真宗のやり方で葬儀を行います。
宗教上、参列できずに宮沢賢治は、個別でお経を唱え、妹を弔います。
そんな「葬儀に出てちゃんと弔えなかった」という宮沢賢治の悲しみも踏まえて読むと泣けます。
このように、宮沢賢治の作品は宮沢賢治の人となりが分かる作品でとても愛を感じるのです。
ありのままの自分を描いているから売れているのだと思います。
また「アメニモマケズ」も「永訣の朝」も「銀河鉄道の夜」も「売れよう」と思って世に出した作品ではありませんでした。
だからこそ宮沢賢治の優しさ、人間味が溢れ出してくる作品で多くの人に愛されてるのだと思います。
宮沢賢治から学べる教訓
宮沢賢治から学べる教訓は「人気の秘訣はありのままの自分を表現すること」です。
こうして書いているブログも同じだと思いました。
「うまく書こう」と思って書いた記事よりも、「今思っていることをつらつら書いた」記事の方が読まれたりします。
それは自分の思いや人となりがうまく表せているからでしょう。
自分の作品を届けるために1番大切なのは自分のありのままの姿をさらけ出して表現することではないかと、宮沢賢治の生涯を知って、感じました。
最後までお読みいただきありがとうございました!「宮沢賢治の作品を知りたい!」という方はぜひ、以下の作品を読んでみてください。
宮沢賢治、ステキな童話作家さんです。
齋藤孝さんの本で、小学生向けに書かれている本なので読みやすく、「雪渡り」「銀河鉄道の夜」なども含まれています(^^♪
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
ではまた。
ざす。