ども!
歴史好きなライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!
歴史は繰り返すと言われます。
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。
シリーズ54人目は明治時代に自由民権運動で活躍しましたが、わずか36歳でこの世を去った「植木枝盛」です!
あまり知られていない彼ですが、「国とはどうあるべきか?」ということについて主張し、板垣退助とともに「立志社」を設立したり、日本のために活動していました。
彼の生涯と名言からは学べることがあります。
植木枝盛って何をした人?
植木枝盛から学べる教訓は?
これらのことをざっくりと5分でわかるように解説していきます^^♪
(約5分で読めます)
植木枝盛って何した人?
植木枝盛は高知県出身の思想家、政治家で、主に明治時代に活躍していました。
板垣退助とともに、政治活動団体の立志社を設立した自由民権運動の指導者のひとりでした。
そんな彼の生涯を紹介します!
幼い頃から志高く
彼は高知県の土佐藩士の家庭に生まれました。
幼い頃から習字を学んだり、藩の学校から抜擢されたり、かなり優秀だったそうです。
西郷隆盛らが韓国を征服しようとする「征韓論」を唱えたことで政府から追放された「明治六年の政変」に触発される形で、上京を決意。
19歳で啓蒙団体『明六社』に入り、福沢諭吉から学ぶようになりました。
その後、新聞などに何度も何度も投書して、掲載されることもあったそうですが、内容が名誉毀損で訴えられて投獄されたことも。
キリスト教にも興味を持ち始めて、『思想論』という本も書いています。
非常に好奇心旺盛で、少し過激な若者だったんでしょう。
いち早く人民主権を主張
植木枝盛は板垣退助とともに高知県に帰り、自由民権運動の中心となった政治団体『立志社』を設立。
そして、わずか24歳のときに「東洋大日本国国憲按」というものを起案。
以下のものが規定されています。
国民が政治の主体である「人民主権」
何を行動するのも自由であるという「自由権」
君主の権利が制限される「立憲君主制」
今では当たり前のことですが、当時は革新的。
これは天皇を神格化した大日本帝国憲法が発令されると消えてしまいました。
植木枝盛は、板垣退助とともに自由民権運動も推進し、誰よりも早く国民の自由について奔走していた人物なのです。
政治家としての活動と死後の再評価
その後も、高知県の議員となり、第一回衆議院選挙にも当選。政治活動を行っていましたが、36歳という若さで胃潰瘍により亡くなってしまいました。
あまりに急な死だったので毒殺説もあるそうです。活動も過激だったのでありえそうですね、、、
早くに亡くなってしまったので、時代の流れとともにあまり注目されてませんでしたが、戦後に憲法を研究する人たちにより発表された著書を通して彼の偉業がまた注目されました。
誰よりも民主化を求める植木枝盛の功績が民主化した戦後の日本で評価されたのですね。
彼のお墓は東京の青山霊園にあります。
過去にとらわれないこと
植木枝盛の以下の名言が心に響きました。
未来が其の胸中に在る者 之を青年と云う
過去が其の胸中に在る者 之を老年と云う
常に若々しくいるためには、未来を見据えないといけないということです。
過去どうだったか
ではなくて、
今から何をするか?
ということか大切ですね。
過去にとらわれていると、行動ができなくなります。
「昔失敗したから、今回も失敗しちゃうかもな」と恐れる気持ちもわかりますが、それで行動に移せなかったらもったいない。
植木枝盛のように、いつまでも青年でいられるよう「未来」を描き続けていきましょう!
植木枝盛から学べる教訓
植木枝盛から学べる教訓は、「過去にとらわれずに未来を見据えよう」ということです。
植木枝盛は常に日本の未来を見据えていました。
彼が草案を作った「東洋大日本国国憲按」は、国民に主権があるという民主化を盛り込んだもの。
そのあとに「大日本帝国憲法」の発布で、なくなってしまいましたが、戦後の今の日本は民主化されています。
今や日本の未来を描いて植木枝盛は活動してくれたいたのかもしれないですね。
今の日本を見て、彼はなんと思うのでしょう^ ^
彼を見習い、常に未来を見て行動していきたいと思います!
最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた。
ざす。