ども!
歴史好きなライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!
歴史は繰り返すと言われます。
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。
47人目はNHK大河ドラマにもなり、今でも大人気の武将「源義経」です!
幼少期の名前は「牛若丸」。
「牛若丸と弁慶」でも有名な源義経。
非常に強かったのに、人間関係で報われず悲運の死を遂げます。
他の人とは違った観点から源義経を紹介します!
今でもファンの多い義経の生涯を知れば、ファンの作り方のヒントになりますよ。
源義経って何をした人?
源義経から学べる教訓は?
これらのことをざっくりと5分でわかるように解説していきます^^♪
(約5分で読めます)
源義経は何した人?
源義経を知らない人はいないでしょう。
鎌倉時代に活躍した武士で、鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟です。
NHKの大河ドラマの「義経」「平清盛」でも、登場しました。
ざっくり、生い立ちから亡くなるまでの一生をご紹介!
父を亡くした幼少期。修行のためにお寺に。
源義経は、兄・頼朝とは異母兄弟で、12歳離れています。
義経が2歳のときに、父親の源義朝はライバルの平家との戦いで敗れ亡くなってしまいます(平治の乱)。
平家の平清盛が勝利すると、兄の頼朝は伊豆へ島流しにあいます。
そして、異母兄弟の義経とその兄2人、そして母の常盤御前は身の危険を感じ京都から奈良へ逃げ隠れます。
しかし、常盤御前の母親(義経のおばあちゃん)が京都で平清盛らに拷問されてるのを知ると、常盤御前は平清盛のもとへ自首することを決めます。
殺されるかと思いきや、平清盛の愛人になることを条件に常盤御前は生かされ、息子の義経らはお寺に入り修行するようにされ、家族で生き延びることが出来たのです。
兄・頼朝とタッグを組み、大活躍
なんとか殺されずに済んだ源義経ですが、大きくなると、母親が、父親を殺した憎き平清盛の愛人になって自分たちの命を助けてくれたことを知り、怒り狂います。
お寺で修行して出家するのをやめ、平清盛を討伐し、敵討ちすることを決意。お寺を出て、今の岩手県の平泉にいた奥州藤原氏の藤原秀衡を頼りに東北へ。藤原氏のもとで育ったとされます。
ちょうどその頃、島流しにあっていた頼朝も平氏を倒すために兵を挙げていました。「今こそ俺も戦うとき!!」と、弟・義経は頼朝の元で戦うことを決意。頼朝とともに戦い、重要なポジションにもなりました。
1180年に兄の頼朝が挙兵。
富士川の戦いという戦で源頼朝が勝利し、静岡に流れる黄瀬川という川で陣取っていたころ、「鎌倉殿(頼朝)に会わせてほしい」という若者が表れたそうです。
これが、源義経。
久しぶりの再開にお互い涙を流しながら昔を語り合ったと平家物語に書いてあります。
源義経は頼朝に絶大な信頼を置いていたのです。
でも、この想いも悲劇に変わっていってしまいます。。
周りの人から避けられ悲運の死
その後も義経は連戦連勝。
山を馬で駆け下りたり、奇襲に次ぐ奇襲で、相手を翻弄し平家を追い込みます。
そしてついに、1185年の壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼしました。
こうした功績もあり、後白河法皇から信頼を得ていた源義経は位を与えられます。
これを受け取った義経でしたが、将軍は源頼朝。頼朝の許可なしの天皇から位を受け継ぐことに頼朝は不満を抱きます。
そして、義経の側近だった梶原景時という人物が「義経は何かと手柄を独り占めにしようとしている」という噂を頼朝に伝えます。
梶原景時は、義経と壇ノ浦の戦い前後で対立していたそうです。
こんな噂もあり、頼朝自身も後白河法皇に気に入られていく義経を良く思っておらず、「鎌倉にはもう帰ってこなくていい」と実質絶縁のようなことを言い渡します。
頼朝の座を狙うことなんてみじんも思っていない義経は、兄を信頼していて、忠誠を尽くすことを誓う内容の手紙を書きますが、受け入れられず。
多くの功績があったにもかかわらず、鎌倉入りを果たせずに京都に泣く泣く戻ります。
頼朝からのこうした待遇に不満を抱きつつある義経は、次の頼朝の命令を「体の調子が悪いので無理です」と断ります。笑
僕は個人的に義経に同情しちゃいますが、これに激怒した頼朝は、義経を討伐せよ!という命令を下してしまいます。
命からがら逃れた義経は昔育ててくれた奥州藤原氏の藤原秀衡の元に助けを求めます。
当初、藤原秀衡もかくまっていましたが、秀衡はその半年後くらいに亡くなってしまい、息子が後を継ぎましたが、源頼朝に逆らうのが怖くなり、義経をフォローするのをやめてしまいます。
そのことによって、万事休すとなった義経は奥さんと子供を殺し、自分も自害して心中してしまいました。
能力は非常に優れていて頼朝へも信頼を寄せていたにもかかわらず、頼朝の嫉妬により、命を落とすことになってしまいました。。
自分のファンを作ることを体現した
こうした義経の一生から、僕はファンの作り方のコツが隠されていると思います。
源義経は、悲劇のヒーローとして非常に人気です。強くて実力があったのに、時代や人間関係に阻まれ惜しくも31歳という若さで生涯を終えました。
短い人生でしたが、それでも今でも人気なのは、多くの人が同情して感情移入をしてしまうからではないでしょうか。
源義経の悲運な人生は本人が望んだものではないですが、結果的に多くのファンを作りました。自分の人生の中での不運なこと、失敗したこと、うまくいかないことなどは、他の人の共感を呼び、ファンを作るキッカケにもなるんです。
「判官贔屓」という言葉を聞いたこととありますでしょうか。
これは、源義経が語源になった慣用句です。
『弱い立場や悲運なエピソードがある人は、その人がしたことに関係なく、周りの人は同情して味方になりやすい』
という心理現象のことです。
源義経は、頼朝に許可も得ずに褒美をもらったり、仮病によって命令を無視したりしていました。
普通にダメですよね?笑
頼朝が怒るのは当たり前。
言ってしまえば、義経が狙われるのは自業自得だったんです。
「源氏のために貢献したのに兄弟に殺されそうになり自害した」という悲運により、判官贔屓という心理現象が働いたので、義経は頼朝よりも人気が出たのではないでしょうか。
このように、人は悲運な人にほど心を動かされます。
自分としては隠したいような過去もさらけ出すとそこに共感してくれる人が現れるかもしれません。
源義経から学べる教訓
源義経から学べる教訓は「悲劇がファンを作る」ということです。
変えたいような過去も、さらけ出してみてはどうでしょうか。
僕は昔は「褒められたい」という欲求が強く、「構って欲しい」という思いもあったことから、自分がしたことを無駄にアピールしたり、相手に気づいてもらうように仕向けたり、本当に今思うとダサいことをしていました。笑
最初はそうしていたことをさらけ出すのが怖かったですが、今では自分が活動しているコーチとしての自己紹介のときには僕の特徴として伝えるようにしています。
弱い自分を見せることで共感してくれる人もいるし親近感が湧いて話を聞いてくれる人も出てきます。
源義経のようなドラマティックな人生ではなくても、自分の悲運なことや一見するとネガティブなこともファンを作るキッカケになるかもしれません。
一度、自分の人生を振り返ってみてはいかがでしょうか。
ファンを作れるタネが隠れているかもしれません。
ファンを作れるとビジネスでも顧客になってくれたり、自分が困っているときには助けてくれる仲間になってくれる人が現れたりするでしょう。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!
義経に関する本もたくさんあるので、もっと詳しく知りたい方はぜひ!
ではまた。
ざす。