ども!
歴史好きなライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!
歴史は繰り返すと言われます。
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。
44人目は江戸時代の俳人でもっとも有名な「松尾芭蕉」です!
彼には多くの弟子たちがいて、その指導の仕方から『部下や後輩の教育方法』が学べます!
松尾芭蕉って何をした人?
松尾芭蕉から学べる教訓は?
これらのことをざっくりと5分でわかるように解説していきます^^♪
(約5分で読めます)
松尾芭蕉ってどんな人?
松尾芭蕉はその名を知らない人はいないでしょう。江戸時代前半の俳人です。
「古池や 蛙飛び込む 水の音」などの俳句で有名ですよね。
ざっくり松尾芭蕉の生い立ちやどんな人なのか?ということを書いていきます。
俳句を学ぶ
松尾芭蕉は、1644年に伊賀国(現在の三重県)に生まれます。
農民の家に生まれましたが、13歳の頃には父親が亡くなってしまい、お兄さんが一家の大黒柱となりますが、貧しい生活をしていたようです。
そんななか、18歳の頃、家臣としてお勤めしていた藤堂という人と一緒に京都の歌人に弟子入りをして俳句を学びます。
そして、10年ほど学ぶと、江戸に出ました。
ただ、この時代も芸術でご飯を食べていくのは難しかったようで、水道工事の仕事もしていたようです。体を動かす仕事ではなく事務作業たったようですが。
そして、40歳になると、俳句の旅に出ます。
俳句の旅に出る
有名なのは「おくのほそ道」ですよね。
でも、松尾芭蕉は、「野ざらし紀行」「更科紀行」など、多くの旅に出ました。
旅で感じたことを歌にする
なんとカッコいいんでしょう!
と素人の僕は思っちゃいますが、大変な旅路だったでしょう。なにせ、江戸時代は徒歩ですから。
「おくのほそ道」は、江戸を出て東北を回って北陸までいき、岐阜県の大垣に到着した5ヶ月2,400kmの旅路でした。
その旅先で歌を詠み、句碑なども各地にあります。
五月雨をあつめて早し最上川 ー 山形県
夏草や 兵どもが 夢のあと ー岩手県
さらに、宮城県の松島では、
「感動しすぎて俳句なんか詠めない!!」
と、一句も読んでないそうです。笑
※松島やあぁ松島や と感動した句を詠んだと言われてますが、あれは松尾芭蕉の歌ではありません。
また、40歳後半でこの旅が出来るってものすごい体力ですよね。そんな彼は「伊賀生まれだし、忍者じゃね?!」という都市伝説まであります。笑
故郷に帰ってからは、50歳で病気で亡くなります。亡くなる直前に詠んだ句がこちら。
旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る
意味 : 旅をしてきて病気を患っても、夢の中では冬の野原を駆け回っている。
死ぬ直前までも歌を詠み続けたんですね。
個性を活かす育て方
松尾芭蕉には、弟子がたくさんいました。
旅先で弟子を受け入れることもあったそうです。その弟子たちに歌を教えるときは、彼らの個性を活かすために、自分のやり方を押し付けるようなことはなかったそうです。
松のことは松に習へ 竹のことは竹に習へ
人に聞くよりも、その物事に向き合った方が本質がわかるという意味の松尾芭蕉の言葉です。
松尾芭蕉が師匠だからといってなんでもかんでも聞くのではなく、弟子たちがそれぞれ学びたいことや表現したいこと、その個性を大切にしていたとわかる言葉です。
これは現代でもとても大事ですね。
部下や後輩がいる人は、彼らが主体性を持って仕事が出来ているか考えてみてはどうでしょうか。
僕もついつい何から何まで教えてしまいがちでした。
部下や後輩を育てるには、個性を大切にできるような教え方を心掛けたいですね!
松尾芭蕉から学べる教訓
松尾芭蕉から学べる教訓は、「個性を活かす育て方をせよ」ということです。
部下や後輩には主体性をもって仕事してもらうために「何がしたいのか?」をしっかり認めてあげることですね。
間違ったことも最初から否定するのではなく、いったん受け止めてから「こういうやり方はどうだろう?」という指導の仕方が良いかと思います。
松尾芭蕉の言葉では『不易流行』という言葉もあります。
変えてはならないものは変えず、変えてもいいものは時代に合わせて変えていきなさいという教えです。
主体性は持ってもらうようにしつつも、変えてはならない大切なもの(会社の社訓など)はしっかり指導していきたいですね!
松尾芭蕉からは「個性を活かす育て方」が学べました!
そんな松尾芭蕉のことをもっと知りたい!と思った方には、漫画で読める以下の本があります。
参考までに。
最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた。
ざす。