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北条政子から学べる教訓 何した人か5分で解説【人を動かすために必要なこと】


Hatena

ども!

歴史好きなライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!

 

歴史は繰り返すと言われます。

歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。

43人目は鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻で、尼将軍という異名も持った「北条政子」です!

気丈で男勝りな性格も持ち合わせており、寝返りそうになった武士たちをとどめた演説も有名ですね!

 

そんな北条政子から学べる教訓を書いていきます!

 

 

北条政子って何をした人?

北条政子から学べる教訓は?

 

これらのことをざっくりと5分でわかるように解説していきます^^♪

 

 

 

(約5分で読めます) 

 

北条政子ってどんな人?

北条政子のイラスト


 

北条政子は、伊豆の豪族であった北条時政の子どもとして生まれ、平安時代後期から鎌倉時代を生きた女性で、鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻として活躍しました。

 

源頼朝の肖像画

源頼朝

北条氏と言えば、政権を握るほどの大きな存在で、実際に北条政子も発言力がかなりありました。

そんな彼女の生い立ちをざっくり紹介します!

 

 

 

源頼朝との結婚は試練だった

 

源頼朝との出会いは幼いころでした。

 

源頼朝が平氏との戦い(平治の乱)で源氏が敗れた際、流罪になり伊豆へ飛ばされてしまいました。

当時の頼朝はまだ13歳。

 

流罪と言えども、まだ子どもなので、牢屋に入れられていたとかではなく監視付きでの普通の生活を送っていたようです。

 

 

そんな頼朝と出会い、北条政子は恋をします。

当時は政略結婚が多かった時代、恋愛結婚で結ばれたと言われています。

 

ただ、父である北条時政は大反対。

 

それも当たり前。

 

当時、平家が実権を握っているなか、平家による指示で源頼朝の監視を任されていたのが北条時政なのです。

 

宿敵の源氏の子孫と自分の娘が結婚したと分かったら平家に何されるかわかりません。

一旦、頼朝と引き離すため、別の男の元へ政子を送りますが、脱走して頼朝の元へ戻ります。

 

こんな風に、北条政子の想いは強く、まったく折れなかったそうで、仕方なく北条時政も承認することになりました。

 

北条時政の銅像

北条時政。頑固そうですが、許してくれたんですね・・・

 

北条政子の頼朝への愛が勝った瞬間です。

 

 

 

親族は皆亡くなっていった

 

北条政子はとても悲運な運命をたどっていったと感じてます。(本人がどう思っていたかはわかりませんが...)

 

鎌倉幕府を開いたのに源氏って3代でその血縁が途絶えちゃうんですよね。

 

鎌倉幕府を開いたあと1199年に源頼朝が落馬により亡くなってしまいます。

 

 

そして自分の息子である源頼家が2代目将軍になりますが、権力争いで育ての親である御家人(将軍に仕える人)の比企(ひき)氏との対立が始まります。

 

比企氏はもともと源頼朝と深い信頼関係・主従関係にありましたが、比企氏が乳母として育てていた頼家が将軍になったことで、「うちらが政権を取るべきだろー!」と言い出し、北条氏と真っ二つに割れてしまいます。

 

その対立で、勝利した北条氏は「頼家はもうだめだ・・・」ということで、なんと実の母なのに頼家を幽閉してしまいます。。

 

そして、頼家はお寺で謎の死を遂げます。北条氏の暗殺ではないかとも言われてるそうです。

その後を継ぐ3代目将軍にはふたりの人物が争います。

 

頼家の長男・一幡(いちまん)と、頼家の弟・実朝です。

一幡の母は比企氏一族の娘。

実朝の母は北条政子。

 

北条vs比企氏の戦いがここでも始まり、北条政子が勝利し、実朝が3代目将軍となります。

 

北条政子つえぇー!!!

 

源実朝は将軍になるも、北条氏のただの操り人形。北条氏の権力はますます強くなり、北条政子は思うがままに政治を行いますが、源実朝も暗殺されてしまいます。

その犯人は、頼家の息子である公暁(くぎょう)という人物。兄貴の息子に殺されてしまうんです。

 

このように、鎌倉幕府の将軍は、政権争いでドロドロのなか、次々に死んでいきます。

 

 

源実朝が亡くなってしまいましたが、血縁の者がいなくて、仕方なく藤原氏を4代目将軍にさせ北条政子は引き続き政権を握ります。

 

 

尼将軍の誕生

 

北条政子は、源頼朝が亡くなったあと出家しています。そうしたことから「尼将軍」と呼ばれるようになりました。

 

北条政子の銅像

尼将軍の貫禄がありますね・・・

 

そして「承久の乱」がおきます。

 

 

これは、長らく北条氏が政権を握っていたのを面白く思わなかった後鳥羽上皇率いる朝廷側が北条氏の暗殺を命令して起きた事件です。

 

実際には鎌倉幕府側から寝返った人たちが、朝廷に進言したと言われています。

 

このとき、政権争いでゴタゴタしてた幕府に嫌気がさし、また、朝廷を敵に回すことを恐れた御家人たちは「鎌倉幕府はもうダメかも....」と思い、朝廷側に寝返ろうとした人もいたそうです。

 

そのときの北条政子の演説が有名です。

 

皆、心をひとつにして聞きなさい。

これが私の最後の言葉です。

亡き頼朝公が朝敵を滅ぼし、関東に政権を築いてから、
お前たちの官位は上がり禄高もずいぶん増えました。

お前たちはかつて平家のもとでどう扱われていましたか?
犬のように召し使われていたではないですか!
しかし今は京都へ行って無理に働かされることもなく、
よい暮らしができるようになりました。

すべてこれ、亡き頼朝公の御恩。その御恩は、
海よりも深く山よりも高いのです。

今、逆臣の讒言によって、理に反した綸旨が下されました。

今こそ頼朝公へのご恩を返す時。

名を惜しむ者は、逆臣を討ち取り、三代にわたる将軍家の恩に報いよ。
ただし朝廷側につこうという者があれば、それは構いません。
早く行きなさい。

https://sirdaizine.com/CD/MasakoSpeach.htmlより引用)

 

これに涙し、鎌倉幕府側は一致団結して、朝廷軍と戦い、承久の乱では大勝利を収めます。

 

 

 

 

人を動かすために必要なこと

やる気に燃える男性のイラスト



北条政子は、人を動かすプロだなぁと感じました。

 

 

この演説のポイントは「逆臣を討て」と言っていたところです。

 

「今こそ一致団結して朝廷を倒すぞ!!」だと「そうは言っても朝廷を敵に回したら末代まで不当な扱いを受ける...」と御家人は尻込みしちゃうでしょう。

それを読んだか読んでないかわかりませんが、「朝廷」ではなく「これだけの恩を受けたのに裏切った輩を倒すんだ!」と伝えたのです。

 

また「今まで辛かっただろう、平家にこき使われてたし...」と御家人たちの共感を呼ぶように話します。

 

このように、御家人たちが恐れていた朝廷への攻撃を、逆臣への攻撃にすり替え、そして今までの辛かった出来事に触れることで共感を呼び、御家人の涙まで誘いました。

 

まさに名演説ですね。

 

 

 

 

北条政子から学べる教訓

勉強している男の子


 

北条政子から学べる教訓は「人を動かすために必要なこと」です。

 

・心配事をなくす(敵は朝廷でない)

・ストーリーを話して共感を呼ぶ(平家が政権を握ってたときは辛かっただろう)

 

上記2点をしっかり抑えることで裏切り者を出すどころか御家人を一致団結させました。

さすが、尼将軍。

 

 彼女から「人を動かすために必要なこと」を学び、実生活にも活かしていきたいですね!

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

ではまた。

ざす。